Pillers tone 柱石 

    (18)デジタルVSオカルト


 
 近年、といってもここ10数年。デジタル打法とかオカルト打法、あるいはアナログ打法なんて話しが大変にぎやか。

 しかしそれぞれの論を読んでも、人によってとらえ方も違うようで。そこでどういう打ち方がデジタル打法なのか、なにがオカルト・アナログ打法なのかさっぱり分からない。まぁ気がない=真剣に読んでいないので、分からないのも当たり前かもしれないけれど....(-_-)

 そこでとりあえずσ(-_-)なりに解釈すると、どうやら運やツキの流れなどは考えず、牌効率を重視してゆくのがデジタル打法。運(ツキ)の流れがあることを前提に、その流れを読んだり引き寄せたりしてゆく打法がオカルト打法という感じらしい。

 しかし朕思へらく。麻雀にデジタルもオカルトもない。そんなものは意味の無いところへ意味を求めているだけの論説に思える。

 囲碁・将棋やチェスなどは完全情報ゲーム。理詰めのゲームにオカルトは存在しないオカルト打法と称して奇想天外な手を打つのは自由であるが、そんなものは自殺行為だ。

 すなわち麻雀でオカルト打法だとか運(ツキ)の流れがどうのこうのとかいう無意味な論説がまかり通るのは、麻雀が偶然性に左右されるファジーなゲームであるせいだと思う。

 ではオカルト打法が無意味な論説であるなら、デジタル打法は意味があるのか。これもオカルト打法と同じくらい意味がない。麻雀が偶然性に左右されるファジーなゲームである以上、アガリへの確率やツモにおける牌効率だけで勝てるものではないからだ。

 先般、どこかの麻雀大会の優勝決定戦で、オーラス、四暗刻ツモで逆転優勝したという話しがあった。どんな配牌であったか分からないけど、まさか「四暗刻をやってちょうだい」という配牌ではなかっただろう。

 逆転するためには、役満ツモが条件。そこでこのプレーヤーは狙うべきものを狙い、その結果が見事に実を結んだということ。これは別にオカルトでもアナログでもなければデジタルでもない。それしか優勝のチャンスが無いという状況で、強引にねらった結果、幸いにも成功したということに過ぎない。

 これほど劇的でないにしても、まくりトップのためにツモ専リーチとか、あるいは「デバサイならロン、よそからでたら見逃し」など、このたぐいの状況は日常茶飯事。そこにはオカルトもデジタルもない。あるのはプレーヤーの強い意志だけ

 大した話しではないが、最近こんな状況があった。σ(-_-)は8千点ほどマイナスで迎えた西の2局(1荘戦)

 東東一索三索四索八索九索西白四筒六筒二萬四萬
 
 サンシキと一通めがチラッとあるくらいで大した配牌ではない。第一ツモが中
 配牌から云えば、東を雀頭にしたピンフ・サンシキあたりがねらい目の感じ。しかし西の2局といえば、もう後半戦に突入している。ここらで原点くらいに持ち上げておきたい。

東はオタだからしょうがないが、西中白のどれかが対子になるだろう。8千点もマイナスしてるんだからホンイツを狙うべえ)と思って、万子・筒子を切り倒していった。

 そしたら、西中白は何にも来なかった。東は出たが、オタなんかポンしても仕方がない。そいでひたすらツモっていたらツモに恵まれ、終盤近く、こんな手になった。

 東東一索三索四索四索五索五索六索六索七索八索九索

#最後に六索五索五索と3連続で引いてテンパイ。それにしても、五索を連続で引いたときは感動したなぁ。ツモの流れが読めるのかと思ったよ...(^-^;
 終盤ちかくだったのでダマにしたところ、ほどなく下家が打二索。よろこんで「ロン」と云ったら、上家に頭ハネされた....(号泣)

 この混一色は不発におわったけれど、これがオーラス・アガリトップなら、混一色など狙わない。西中を連打して棒テン即リー全ツッパ。

 たぶんやってることはみな同じ。勝つためには牌効率最優先で打ち回す局もあれば、長打が必要な局では牌効率など無視して打ち回す。それが成功したり失敗したりの繰り返し。

 “オカルト打法だ”、“デジタル打法だ”などというのは、その中から任意の局を取り上げて理屈をこねているだけじゃないかしらん....

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