Mahjan talk 雀話

      (87)そこに至るまで


  実はこのコラムを書いたのは10月最初。しかしちょいと刺激が強いような気がして(^-^;)、upしようかどうしようかと思っているうちに古い話になってしまったのでお蔵入りにしていた。しかしまぁ野球シーズンも終わったことだし、せっかく書いたものなのでupすることにした。

 10月6日の某読売系スポーツ紙に、中日の福留選手と巨人の松井選手との首位打者争いについての、原監督や某紙記者のコメントがが載っていた。
「(福留選手が)途中で引っ込むなんて笑っちゃうな」(原)
この言葉の背景にあるのは“正々堂々と戦ってタイトルを取るべきだ”という意味だ」(某紙記者)。

 打率や防御率争いについては、昔からこういう状況はいくらでもあった。そのたびに似たような話が繰り返されている。原監督や某紙記者の「最後まで正々堂々と戦ってタイトルを競うべき」との信念は、それはそれで立派な信念だ。しかし防御率に関して桑田を戦線から離脱させ、打率に関して「最後までうんぬん」なんてコメントするのは、言ってる事とやってる事が裏腹のような気がした。

 桑田に関しては、「ローテーションにしたがっただけ」というのが言い分らしい。しかし桑田がそのとき2位で、登板する事によってトップの可能性があるとなれば、ローテーションを無視してでも登板させたに決まっている。

 逆に言えば、現状2位のプレーヤーが登板したり打席に立つ事によってトップの可能性があるのに、「ローテーションだから」とか、「いまいち不調」だとか程度の理由でゲームに出さなかった。

 あるいはそのままそっとしておけば、防御率なり打率なりのタイトルホルダーになれる可能性の高いプレーヤーを無理に出場させてタイトルを逃がしたりすれば、監督としての才覚が問われる。そこでこういう状況になった場合、どこの監督でも所属プレーヤーをタイトルホルダーにするため、最大限の便宜を図ってきた。

 そんなことは当たり前の話なので、桑田を温存したとしても何も問題を感じない。しかしそうしておいて、人のことを「笑っちゃうな」はないと思った。なんのことはない、こっちこそ笑っちゃうような話だ。

 またもう一つの問題は、「そこに至るまで、いかに闘ってきたのか」と言うこと。
 たまたま10月になってデッドヒート状態であるが、勝負は9月、10月になって始まったわけではない。勝負は野球でいえば開幕戦、麻雀でいえば東の1局から始まっている。現在の状況は、これまでの闘いの結果にすぎない。言うなら、この時点で闘いはほとんど終わっている。

 オーラス、トップめのAがプラ5千点ほど。2位めのBはほぼ原点。Bがトップをとるためには、それなりの手でAを直撃するなり大物手をゲットするしかない。とうぜんBはそこに目標を絞って手を進める。

 そのときAが「この局で1,000点オール払っても、Bには逆転されない」あるいは「がっちり降りていれば、Bがアガる前にCやDがアガってくれるかも知れない」と考え、配牌からベタ降りという戦法をとったとする。たしかに配牌からベタ降りでは、戦法としては、ちと消極的。

 しかし何と言われようとAがこういう戦法をとったら、Bは或る程度の手を自力でツモアガるか、C/Dからゲットするしかない。しかし目先のライバルが目の前にいないとなれば、Bの闘いはかなり困難さを増す。その意味でAの「配牌からベタ降り作戦」も、消極的ではあっても、それなりの効果はある。

 もちろん周囲が、「そんな戦法はおかしい」とか、「正々堂々と打ち合うべき」とか、いろいろ評論するのは自由だ。しかし大詰めに際してどんな闘い方をするかも、それぞのプレーヤーの自由に決まってる。この期に及んで、正々堂々もへったくれもない。1位めはトップキープを、2位めは逆転をめざして全力を尽くすだけと思う次第。

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