σ(-_-)が本格的に麻雀を打つようになったのは、大学に入ってから。校舎の関係で1年生のうちは静岡県の三島キャンパスであった。
全国からいろんな奴が集まってくるから、いろんな事がうろ覚えではよろしくない。そこで得点計算の習得にも本格的に取り組んだ。おかげで1年生の終わり頃には、他人のアガリ手を一目みただけで得点が判るようになった。片っ端から本を読みあさって、ルールや役に詳しくなったのもこの頃。
雀荘に足を踏み入れるようになったのも、この頃。当時はフリー雀荘なんて無かった。しかし三島市は小さな街なので雀荘の数も限られていた。そこでだんだん客同士がなじみとなり、どこの雀荘でもフリー雀荘と同じ状況であった。
とは云うものの、高校時代、“東南西北、集めてカン”なんてやっていた腕はそう簡単には上達しない。本人はヤル気まんまんでも、毎日、カモられの連続だった。(泣) それでも毎日、やっていれば、それなりに上達はする。
そんな頃、σ(-_-)と同じ下宿に近所の小学校の先生が3人いた。A先生は麻雀をやらないが、B先生とC先生は大好き。そこで同じ下宿の同級生をまじえて、しょっちゅう麻雀をやっていた。
その先生方と囲んでいた或る日。σ(-_-)の下家のB先生が万子に染めだした。全部σ(-_-)が鳴かせたわけではないが、中盤すぎた頃には3副露して、手牌が4枚。そんなときにσ(-_-)は要らない万子を引いて来た(何万だか忘れた)。
B先生の副露牌を見ると、その辺りの万子は全然チーポンされておらず、どう考えても超危険。ヘボなりに、「こいつは絶対当たる」と確信した。で、どうしたかと云うと、そいつを切った。(_ _;) そしたら見事に放銃した....
そのときσ(-_-)は思った。「やっぱり当たったか。しかし清一の当たり牌を読み切るなんて、σ(-_-)はなんてうまくなったんだ!」
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