このカテゴリーで麻雀プロについて結構厳しいコメントをしている。そこでちまたでは(ちまたって、どこだ....)、σ(-_-)はアンチプロのということになっている(らしい)。敢えて否定するつもりもないが、実は正しくはない。
※アンチプロ=「麻雀プロ→嫌い」ではなく、「麻雀プロ→認めない」という意。
知人に、「麻雀は囲碁・将棋のように力の差がハッキリでない。そのようなゲームでは、プロは存在しえない」という持論の人がいる。「しえない」というのが前提だから、なにがどうであろうと頭からプロの存在を認めない。しかしσ(-_-)は「麻雀でもプロは存在しうる」と思っている。
からっぽのビール瓶を振ってみる。まったく音がしない。水を満タンにして振ってみる。やはり音はまったくしない。音がしないのは同じでも、中身は正反対。第三者が見た場合、辛口コメントは同様でも、彼とσ(-_-)では根本的に姿勢が異なる。
それならどうしてσ(-_-)がプロ雀界、あるいはプロ雀士を擁護・礼賛・ヨイショしないのか。どうして辛口コメントをしているのか。それにはそれだけのわけがある。σ(-_-)は、ひょっとしたら、現状の麻雀プロは、プロという名前を名乗っているだけの者が多いのではないか。そのほとんどはとてもプロのレベルに達していないのではないか、と思っているからだ。
しかし麻雀プロを名乗る側は、そんなコメントは見たくもないし、聞きたくもない(らしい)。そこでちまたでは(って、どこだ....あぁ、くどい(_ _; )、σ(-_-)は単なるアンチプロで片づけられている(らしい)。
清水一行という作家がいる。たしか20年ほど前、「月刊プロ麻雀」に「なにがプロなんだ!」という一文を書いた。それを読んだとき、「なるへそ」と思う部分もあったが、プロ肯定派のσ(-_-)としては、「それは言い過ぎかも」と思う部分もあった。
それから20年経った昨年、月刊プロ麻雀における来賀氏の「蛙の釜茹で」というコラム騒動があった。この件でプロ雀界もけっこうガタガタしたらしい。しかしいまは元の鞘に収まっている。
あのときプロ連盟を代表して、小島武夫プロの反論というか、釈明があった。それを読んでσ(-_-)は、「20年間、何してた?」というコラムを書いた。要は清水氏のコメントの時代から、何も進んでいないという感じ。いまは清水氏のコラムも、昔読んだときより「なるほど、ごもっとも」という感じが強い。
釜茹での来賀氏も、いまはCS放送でMOND21のプロ対局番組に解説者として出演している。それはいいが、「おおっ!、すごいヒキだぁっ!」とか、「すごく深い読みに入っていますね〜」などと、ヨイショとしか思えないコメントを連発している。プロだからすごいヒキができるわけではない。深い読みにいたっては、何を切っていいのか分からないだけかもしれない。
そんな麻雀の、どこが一流プロのゲームなのかいな....釜茹での話はどこへ行ってしまったのかいな....まさか自分も一緒にゆだっているんじゃないだろな....
まぁ別に構わないけど、これじゃあ永久に進歩しない。プロ界には個人的な知人もいる。人間的には好意を持てる人も多い。しかしそれとこれとは別問題。既存団体にσ(-_-)の考えるようなプロプレーヤーを求めるのは、まず無理かと思うようにもなった。
σ(-_-)は現時点でも、「麻雀にプロは存在しうる」と考えている。その意味では、完全にプロ肯定派だ。しかしプロ世界を確立するには、既存団体によらないまったく新しい方策が必要かも、と思うこの頃。となれば、σ(-_-)は決してアンチプロではないけれど、現状のプロ界は認めがたいという意味ではアンチプロかも。
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