Mahjan talk 雀話

    (145)助数詞


 昭和58年頃、某麻雀紙にこんな内容のコラムを書いた。

 「は中国語でアルと発音する。そこでたとえば二索アルソーだし、二万アルワン二翻アルハンで、二向聴アルシャンテンとなる。しかし麻雀ではの代わりにが用いられることが多い。そのため表記は二索、二万二翻二向聴であってもリャンソーリャンワン、リャンハン、リャンシャンテンと発音されることが多い。

 しかし麻雀のときだけ“”を“”と言い換えるわけではない。一般でも二親(アルシン)ではなく両親二手(アルショー)と云わずに両手という表現がある。

 しかし中国では二親両親二手両手と云うしかないが、日本では二親は“ふたおや”、二手は“ふたて”と発音する奥の手があるぞ」

 言葉のアヤをつっついた軽いコラム。ところがこんなコラムに、某麻雀団体関連の人からマジレスがあった...(別な雑誌で)

 たしか「は助数詞であって、二親の言い換えではない。また両手は“2本の手”、二手(ふたて)は“二方向”なので意味が異なる」というような趣旨だった。

 これにゃあマイッタ。ふんなこと云われなくても二手(ふたて)が“2本の手”じゃなくて“二方向”という意味であることぐらい、知ってらい。おまけにこのマジレス、“”という助数詞についての趣旨がおかしい....

 助数詞は数字の次につけられる呼称で、有名どころでは「」とか「」とか「」。珍しいところでは(しゅ)とか(しょう)とか、全部で120種類くらいある。で、電車なんかは1両2両なので、たしかには助数詞の一つ。

 しかし宇宙人でもない限り、親が5人いたり手が8本あるなんてことはない。そこで両親といえば父親と母親の二人両手といえば“左右の手2本”。すなわちが前につく場合は、という数そのものを表すのであって通常で云う助数詞ではない。そんな筋違いのマジレスだったので、20年以上経ってもまだ忘れられん....(-_-)

 #ついでながら、麻雀の“”も助数詞の一つ。そして両翻は、もちろんの代用。そこで宇宙麻雀でない限り、両翻なのに満貫点をもらえることは絶対ない。キッパリ(笑)

 

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