昭和58年頃、某麻雀紙にこんな内容のコラムを書いた。
「二は中国語でアルと発音する。そこでたとえば二索はアルソーだし、二万はアルワン。二翻はアルハンで、二向聴はアルシャンテンとなる。しかし麻雀では二の代わりに両が用いられることが多い。そのため表記は二索、二万、二翻、二向聴であってもリャンソー、リャンワン、リャンハン、リャンシャンテンと発音されることが多い。
しかし麻雀のときだけ“二”を“両”と言い換えるわけではない。一般でも二親(アルシン)ではなく両親、二手(アルショー)と云わずに両手という表現がある。
しかし中国では二親は両親、二手は両手と云うしかないが、日本では二親は“ふたおや”、二手は“ふたて”と発音する奥の手があるぞ」
言葉のアヤをつっついた軽いコラム。ところがこんなコラムに、某麻雀団体関連の人からマジレスがあった...(別な雑誌で)
たしか「両は助数詞であって、二親の言い換えではない。また両手は“2本の手”、二手(ふたて)は“二方向”なので意味が異なる」というような趣旨だった。
これにゃあマイッタ。ふんなこと云われなくても二手(ふたて)が“2本の手”じゃなくて“二方向”という意味であることぐらい、知ってらい。おまけにこのマジレス、“両”という助数詞についての趣旨がおかしい....
助数詞は数字の次につけられる呼称で、有名どころでは「個」とか「枚」とか「本」。珍しいところでは首(しゅ)とか床(しょう)とか、全部で120種類くらいある。で、電車なんかは1両2両なので、たしかに両は助数詞の一つ。
しかし宇宙人でもない限り、親が5人いたり手が8本あるなんてことはない。そこで両親といえば父親と母親の二人、両手といえば“左右の手2本”。すなわち両が前につく場合は、2という数そのものを表すのであって通常で云う助数詞ではない。そんな筋違いのマジレスだったので、20年以上経ってもまだ忘れられん....(-_-)
#ついでながら、麻雀の“翻”も助数詞の一つ。そして両翻の両は、もちろん2の代用。そこで宇宙麻雀でない限り、両翻なのに満貫点をもらえることは絶対ない。キッパリ(笑)
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