History 歴史 

    (38)地球に好奇心


3/7の夜、知人のhebaさんから、電話がかかってきた。
いまテレビ見てますか?
 これから寝ようと思っていたとこなので、見ていなかった。わけを聞くと、いまBS放送の「地球に好奇心」という番組で、中国のマージャン事情みたいなものを放送しているという。う〜みゅ、残念ながら我が家はCS放送で、BSは映らない....(というか、BS契約をしていない)。そこでビデオ録画をお願いした。そして後日、無事 ビデオを受け取った。いや、これが非常に面白かった。(^-^)/

 内容は、中国麻将のプロを目指す若い男女が、マージャンの歴史を調べたり、中国統一ルールによる麻将大会に参加したりするドキュメント。日本でもマージャンルールは地方によって異なる。中国でも事情は同じ。これでは全国的な麻将大会ができない。そいでいまから10年ほど前、中国麻将の公式ルールができた。

 中麻の公式ルールでは、現在、80のアガリ役が採用されている。聞くところによれば、300ほどのアガリ役から広く普及しているものを優先して取捨選択したそうだ。とはいえ採用されたアガリ役も、改めてポイント設定(日本でいえば、翻数設定)をしたため、各地方で採用されているポイントとは異なる。いうなら新しいルールを作ったというところ。

 それでも行政機関の肝いりで各地で麻将大会が開かれたり、麻将発祥の地と目される浙江省(せっこうしょう)の寧波(ニンポー)に麻将博物館が出来たせいで、麻将人気が一段と高まった。そんな風潮の中で、中国麻将のプロを目指す人間が出てきたというわけである。これも中国が完全に資本主義国に移行した一つの現れと感じられ、興味深かった。

 登場人物は、天津(テンシン)在住の若い男女。若いといっても、男性は27才くらい、女性は30才。男性は(よう)さん、女性はさんという。この二人が中国麻将の歴史をいろいろ調べるところから始まる。

 まず李さんが、天津の古本屋や骨董店に行って、古い馬吊(マーチャオ)を手に入れてくるところから始まる。そして、二人で、「どうやら、これが麻将の前身らしい」などとやっている。おいおい、いくら麻将の研究では揺籃期といっても、そんなところから始めるなよ....そのあと二人は在野の麻雀研究家、KSさんを尋ねて江蘇省の蘇州に行く。在野の麻雀研究家と言うんだから、σ(-_-)みたいなもん。というか、そもそも国から経費を貰ってる麻雀研究家なんて、世の中に存在しないわな(^-^;

 このKSさんの麻将誕生説が面白かった。KSさんに寄れば、麻将は次のような経緯で誕生したという。
 曰く
 麻将は蘇州で生まれた。蘇州は中国の穀倉地帯。そこで国の穀倉を守るために、兵士が配備されていた。その最大の敵は、せっかく出来た穀物を食べに来る雀。そこで兵士は、毎日、鉄砲で雀を撃ち殺した。撃ち殺すと、その数に応じて賞金が貰えた。後に、それをゲームにしたのが麻雀。雀を撃ち殺すことをモチーフにしたゲームだから麻雀(「麻雀」は、中国では雀(スズメ))という意味)という。だから1索には雀(スズメ)の絵が描かれている。他の索子の棒のような絵は、撃ち殺した雀の脚を束ねた状態をモチーフしたものだ。

 筒子は鉄砲の銃口を表している。万子は賞金の額、あるいは撃ち殺した雀の数。 は、的中の意味で、鉄砲の弾が雀に当たったことを表している。 は發財
(ファツァイ=財産が出来る)の意味。これは雀をたくさん撃ち殺し、賞金をたくさん貰ったことを表している。 は、当たり損ねて、カス(賞金無し)の意味。鉄砲を撃つときは、風向きをよく考えなければならない。そこでの風牌が加えられた。

 なんと、日本の鳥撃ちルールは中国源流の由緒あるルールだったのか....(゚0゚)
 そんなKSさんの驚天動地の新説にあきれて感銘した二人は、今度は寧波の麻雀博物館を尋ねる。そこで麻将の発祥について、博物館の学芸員にさらに詳しい話を聞く。

 それはいいけれど、寧波(ニンポー)をナレーターがねいはねいはと連呼するのには違和感があった。たしかに重慶(じゅうけい)、成都(せいと)洛陽(らくよう)大連(だいれん)など、日本語の音読みする地名もたくさんある。その反面、北京(ペキン)、上海(シャンハイ)、南京(ナンキン)天津(テンシン)など、中国語風読みをする地名もたくさんある。単純に云って、呼び慣れた呼称がいいと云うわけだけど、こっちは寧波(ニンポー)で呼びなれているので、ねいはねいはと呼称されると、なんか変な感じ....

 余談はさておき、二人はこの麻将博物館でいろいろ見聞する。ここで良かったのは、博物館の中が映像で紹介されていたこと。中国旅行を兼ねて、いつか寧波へ行ってみたいと思っているが、そう簡単には時間がとれない。そこで寧波博物館のことは写真でしか見ることが出来ない。それが動く映像で見ることが出来て、良かった。

 博物館を後にした二人は、今度は紙牌が骨牌に移行した時期や理由を探るため、麻雀牌製造の中心地、泰興(たいこう=タイシン)を尋ねる。ここでのドキュメントが最高だった。

 この泰興で麻雀牌作り60年という、趙南林(ちょうなんりん)という名人が登場する。この趙さんが、牛骨牌作りを実演する。80才というのに、矍鑠たるもの。いまどき牛骨牌を作ることができるのは、この人くらいなものだろう。その制作シーンを1から見ることが出来て、大変嬉しかった。さすがに手際は鮮やかだったが、ドキュメントの中で作ってみせた牛骨牌は普及品だった。注文も受け付けて作っているというので、いまのうちに特注品を発注したくなった。

 そんな調査旅行の後、ドキュメントは後半部分、天津での麻将大会の様子へと進む。まぁ、こっちの方はσ(-_-)にとってはどうってことはなかった。

 ただ、あるプレーヤーが手牌バラバラ作戦=吃乱筋(チーランチン)をやったら、自分の手を見るのに気を取られ、相手にやられてしまったというエピソードが傑作だった。吃乱筋など、やるのは自由だけど日本麻雀でもあまり意味が無いと思っている。ましてやアガリ役が80もある中国麻将では、なおさら無意味としか思えない....

 もう一つ、60才の周明華(しゅうめいか)という女性が、小四喜・字一色をツモリあがった(合計600点くらいのアガリ)。日本の麻雀大会のように得点かき集め大会ではなく、順位点の合計を争う。そこで優勝にはならなかったが、1ゲームでの最高得点だった。

 麻雀揺籃期の中国ではあるが、随所に見習うべき点も多々ある。得点かき集め大会ではなく、順位点の合計を争うという点も、その一つだ。プロだとかすべっただとか云っているヒマがあったら、こういう点は早く見習うべきじゃないかと思った。

 このドキュメント、編集し直されて、6月半ばくらいにNHKの地上波でも放映されるという(たぶん、「地球に乾杯」という番組で)。興味のある人は、ぜひご覧くだされ。

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