History 歴史

    (27)麻雀遭難記 3


 前項に続いて、旧日本軍関係者・景謙という人が語る、中国における麻雀関連のエピソード(日本麻雀連盟機関誌「麻雀春秋29号(s6/01)」掲載)。

*     *     *     *     *

 廣西省の桂林、小さな田舎の都會ではあるが、四圍の山水頗る明媚で加ふるに支那の中でも言語の最も違ふ兩廣の地で、桂林だけは珍しく綺麗な北京語を使用して居る。其上街の中央には北京に擬して紫金山と云ふ山があり、市街の區割も整然として町の名も北京に似たものが多い。丁度我が國の京都の様な感じがある。廣西人は、桂林の景は天下に冠たりと自慢をして居る程だ。

 私は五月の二十日、此桂林の東門外から民船一隻を準備して他の幕僚の船と共に桂江を梧州に向かって下航した。

 第一日は桂林から六十里下の平樂に假泊し、第二日は桂江の中でも絶景と称せられる陽朔の峡中を下った。陽朔の河峡は丁度四川三峡を小さくした様なもので、兩岸の奇岩懸崖其下を洗ふ激灘念流。しかも流るゝは桂江の名にふさわしく支那には珍しく紺碧の水。廣西人は更に此絶景を自慢して陽朔の勝は桂林に冠たりと云って居る。結局陽朔の景色は天下第一として居るのである。

 成る程景色は良いが由来土匪の本場で有名な廣西の事とて、此絶景な兩岸の山の上には今でも各所に土匪が跋扈して居る。昨夕、平樂に假泊した時も、桂江を上って来た米國宣教師の一行が、數日前、陽朔の上流で土匪に攫れたとの噂を聞いた程で、土匪を聯想しては折角の景勝も何となく興醒める心地がする。然し我々下航の船は前後に衛隊の乗船もあるので、土匪先生も一寸顔出しが出来ない様だ。

 丁度此日平樂を解纜するとき、陽朔の絶景を一所に賞する積りで大本営参謀部の呉参賛、茅参議、周秘書と云ふ平樂の麻雀仲間を私の船に招待して晝食を共にしてから八圏と云ふプログラムを作って戰闘を開始した。

 肝緊の絶景の峡中に入った頃は将さに戰闘酣の最中で、賞景もそっちのけ。勿論土匪の事などは胸中に浮かばず、只管中發白の奪ひ合ひに熱中して居ったのである。

 私の乗って居た船は大きな用船だが、桂林から梧州迄桂江を下航するの朝、割合に船夫は少なく此船を家として居る老船頭夫婦と、それに若人が二人居る切りだ。念流を下るに老船頭は艫で舵をとり兩人の若人は舳先で水棹をつかって水路を分けて居た。

 陽朔の念湍は三峡のそれと同じく所々に岩礁が出没して居るので、下航の船頭の苦労は一通りではなかった。我共が麻雀の勝負に夢中になって居る時、丁度峡中の中央に達した頃、舳先の若人の曖呵々々と叫ぶ間もなく、矢の如く下る船腹が暗礁に乗り上げたたと覺しく、ドッシーンと重き音がすると同時に船軆が大振動して卓子の上、皆の上に並べられた牌は算を亂して倒れた。同時に船は吸い付けられた様に止まって、念湍が船べりをヒタヒタと叩いて居る計りだ。

 舳先の次の間に居た召使い共が急に騒ぎ出して簀板を上がるのを見ると、舳に沿ひ船腹が壊れてそこから水がドンドン船底に溢れ込んで来るのである。かうなっては麻雀戰どころではなく、跡の始末を従僕等に命じて我々は後から来る友船を呼び寄せてそれに乗り移って下航した。

 此日梧州の手前、馬江と云ふ所に到着假泊した時、後から来た従僕等の話を聞くと、麻雀を始め私の荷物は大概友船に移したが、壊れ目から侵入する水勢が強く、船は瞬く間に半ば沈没して遂に船の屋根に載せてあった私の駕籠は取り下ろす事が出来ず其儘下航して来たとの事であった。

 更に梧州に着いてから聞けば、我等一行の船が殆ど過ぎ去った時、對岸の山上から土匪が現はれて、半ば沈没した船にのりつけ、私の駕籠と一所に可愛想に老船頭夫妻も捕らへて山上に引き上げたとの事だった。詰り私の駕籠が私の身代わりに土匪の人身御供に上がった譯であった。

 私自身の麻雀の遭難は之で終わったが、雲南以来、旅行の徒然を慰めて呉れた私の此麻雀其物の遭難こそ、此遭難記の最後を飾るに適はしい悲惨なものであった。

 我々の一行は第一次北伐の進展に伴れ、江西省に入って第一線部隊は江西省の省城近く迄進んだ時、廣東に陳烱明氏の變が起って、廣東省城に大本営を置いた孫文氏が白鷺潭の永豐軍船に避難されるようになったので、北伐軍は續々廣東に帥を旋す事となった。之が為め江西に残った彭程萬氏の指揮する彰軍は孤立に陥って遂に退却に退却を余儀なくされる悲境に陥った。

 當時、彰軍総司令部に居た私も、其巻添えを食って遂に廣東境迄退却したが、途中私について居た駕籠屋を始め、行李運搬の人夫迄皆逃亡した為、余儀なく携行していた行李を江西省南部の小都市○州の電燈公司に残留して置いたので、旅中の好伴侶をなした私の麻雀も自然江西の片田舎○州に置き去りを食った形となった。定めし此頃でも電燈公司の倉庫にくすぶって、逢日に行かぬ私を怨んで居る事と思はれる。 

前へ  次へ  目次へ