Hands 和了役

    (68)鵲橋会



中国語風に発音すると、チュエチャホエ 。

一索一索一索七萬七萬七萬七筒七筒七筒裏向き裏向き裏向き裏向き裏向き裏向き

は「かささぎ」を表すので、一索 は必須であるが、七萬 七筒 の組み合わせは 七萬 七索、あるいは七筒 七索 という組み合わせでも良い。

喜鵲派
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 日本では佐賀県や筑後地域に生息する天然記念物だとか。Jリーグのサガン鳥栖のマスコットのにもなっている。“勝ち勝ち” と鳴くので、佐賀では”カチガラス” と呼ばれいるという。





 この“鵲橋会”、直訳すると「鵲の橋で会う」という意味、ってこれじゃあ、なんのこったか分かんねぇ...(^-^;

 これは中国の七夕民話にちなんだ名称 and アガリ役。そこで七萬 七筒 七索 のうちの2種で7月7日、一索 で鵲(かささぎ)を表す。

 その七夕民話とは、こんなの。
 昔、南陽城西牛家庄に一人の若者がいた。父母は早く死んだので兄嫁の家に住んでいた。牛の世話をしながら暮らしていたので牛郎中国語風の発音だと、ニューラン)と呼ばれた。しかし兄嫁はいつも牛郎を追い払いたいと思っていた。そこである日、9頭の牛を与えて10頭になったら戻ってくるように言いつけた。

 牛郎は牛を連れて山に入ったが、牛が繁殖して増えるなどいつのことか分からない。悲しんでいると一人の髭や髪が真っ白な老人が現れた。事情を聞くと老人は「心配することはない。伏牛山に1頭の病気の老牛がいる。その病気を治し、連れ帰れば済むことじゃ」と言った。

 そこで牛郎はさっそく伏牛山にでかけ、病気の老牛を見つけた。すると老牛いわく、「じつは自分は天上界の灰牛大仙です。天の掟を破ったために下界に落とされました。そのときに足を挫き動けなくなりました。この傷は百花の露水で、1ヶ月洗えば治ります

 牛郎は昼間は花を取ってきて露水で傷を治し、夜は老牛のそばで一緒に寝るなどして1ヶ月世話をした。やがて老牛の傷が治ったので喜んで家に帰った。

 早く帰った牛郎をみて、兄嫁はがっかり。それからも相変わらず牛郎に危害を加えようとしたが、その度に老牛によって助けられた。怒った兄嫁は、ついに問答無用と牛郎を家から追い出した。そのとき老牛だけがついて来た。

 老牛と暮らしていたある日、天女が何人か下界に遊びに来て水浴しているのを見つけた。牛郎は老牛の助けで天女の1人、織女と親しくなった。その後、織女はこっそり下界に下りて来て牛郎と一緒になった。そして天上から持って来た蚕を皆んなに分け与え、絹織物の作り方を教えた。
(「牛郎がこっそり着物を隠したので、天上に帰れなくなった織女が仕方なく一緒になった」との別話もある)

 二人は男の子と女の子にも恵まれ、幸福に過していた。しかしこれを天帝が知り、王母娘娘を使わして織女を連れ帰ってしまった。天上に行くことが出来ない牛郎が悲しんでいると、老牛が「自分の皮で靴を作って履けば天上に行くことが出来る」と云った(「皮で服を作って着れば天上に行くことが出来る」と云ったとの別話もある)

 老牛の死んだあと、牛革の靴を作って天上へ向かった。もう少しで織女に会えるという時、王母娘娘が簪(かんざし)を抜いて一振りすると怒涛逆巻く天の川が出現した。そのため二人は両岸に別れ別れになってしまった。

 二人が悲しんでいるのを見た喜鵲(xiqueカササギ)が感動し、何千何万の喜鵲が集まり鵲橋を作った。そこで二人はうことができた。これを見た王母娘娘は、毎年七月七日だけ会うことを許した。

 ということで、中国ではジューン ブライドよりジュライ ブライドの方が圧倒的に多いらしい.....ってホントか?

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