風牌4種のうち、3種を刻子とした組み合わせ。
原語に近い発音ならサンフォンクーであるが、これまでの流れで日本ではサンフォンコーとかさんぷうコーと発音されることが多い。日本では通常、三風(さんぷう)と称される。
日本麻雀で採用される場合は両翻扱いが一般的。日本ではまだマイナーな存在であるが、中国公式ルールでは12ポイント役として正式採用されている。しかし日本麻雀の三風は、中国麻将の三風刻が伝来して普及したものではないようである。
日本麻雀の三風(さんぷう)の前身は、昭和32年(1957)、日本牌棋院(代表・天野大三)から発表されたの東京ルールで登場した客風三刻(コーフォンサンコー)である。この客風三刻、通称・オタ風三刻は、3種類のオタ牌(場風・自風以外)を刻子とするものであった。
3種類のオタ風を刻子とするのだから、東場では東家、南場では南家しか可能性はない。おまけに東京ルールでは親専用の役とされた。つまり東場の東家限定の役という、まことに不思議な役であった。
当時、その役には、「オタ風は、とかく粗末にされやすい。そのオタ風を大事にする意味で、この役を採用した」という主旨の解説がなされていた。ほいじゃあ、客風三刻は日本牌棋院の天野大三氏創案の役かと言えば、これがなんともよく分からない。
客風三刻なんて役は、中国古典麻雀の文献には登場しない。ひょっとしてローカルで存在したのかも知れないが、いずれにしてもσ(-_-)は見かけたことはない。
1980年代に入って、中国は改革開放という建て前のもとに資本主義に移行した。それにしたがって国家統制が緩やかになり、麻将もおおっぴらに行われるようになった。
※文化大革命の頃は、紅衛兵が民家に乱入し、麻雀などは退廃的ゲームだとして牌を窓からほうり出すなど、徹底的に弾圧されていた。
この頃から麻将書も大量に出版されるようになったが、その中に他風三(ターフォンサンポン)なる役が登場する。この他風三は、文字通り門風(自風)以外の他風だけが対象である。そこで圏風(場風)は入っていても良かった(日本牌棋院発表の客風三刻は、圏風(場風)が入るのも不可)。
いずれにしても他風三と客風三刻客風三刻は、非常によく似てはいる。そこでσ(-_-)が知らないだけで、実は中国麻雀のローカル役に他風三という役が存在しており、日本牌棋院発表の客風三刻は、その他風三を踏まえたモノである可能性はある。
しかしσ(-_-)が知る限りでは、客風三刻の方が20年は早く文献に登場している。じっさいに中国の文献でも、「九.最近流行しだした新役(九.近来流行的新番)」として紹介されている(「中国麻将牌打法(1987年(昭和62年)、吉林科学技術出版社)。そこで中国文献に掲載された他風三ポンは、日本牌棋院発表の客風三刻が逆輸入された可能性もある。
この辺りの事情はよく分からないが、その後、中国で公式ルールが作成されることになったとき、アガリ役として中国各地から集められた約300だか400種が候補となった。そのうち80種が正式役として採用されたわけであるが、その中に他風三ポンら脱皮した形(場風とか自風だとかの区別はない)で三風刻が採用された。
そこで中国で三風刻が登場してきたのは、1990年代に入ってからと言うことになる。しかし日本では、少なくとも昭和43年(1968)には三風(さんぷう)を採用していた。じっさいσ(-_-)たちのグループで採用していたのだから、間違いない。
σ(-_-)は昭和40年頃、天野大三氏の麻雀本で、客風三刻という役があることを知った。そのとき東場の東家限定の役なんて、なんという不公平且つおかしな役だと思った。風牌3組というなら、客風だとかにこだわる必要はないんじゃないか、ということで採用していた。
もちろん中国麻将の他風三ポン→三風刻をみるまでもなく、人間の考えることは誰でも似たようなモノ。ほかにもそういう発想をもったグループがいても不思議ではない。現在、それなりに知られるようになったのは、みんな、「そんな役があったっていいんじゃないか」と思った結果に違いない。
別名・三風ポン・三風会・大三風・三風刻・三風子
英名・Three Winds(3つの風)
・Encounter of 3 Winds(3つの風の出会い)
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