ClassicTactics  古典技法論

     (2)麻雀戦術(1)


 昭和4年、日雀連機関誌「麻雀春秋」に発表された天川義一氏の戦術論。天川義一は、当時、日雀連で実力ナンバーワンと称され、数々の麻雀大会で優勝を総ナメにしたという打ち手。ただその絶頂期に雀界から身を引くことになったため、氏の手になる戦術論はほとんど残っていない。


 和了を最終の目的とする雀技において、その目的を達するためには、良き聴牌をすることが秘訣である。しかし良き聴牌とは、必ずしも待ちが多いといふ意味ではない。和了しやすい聴牌を言ふのである。ではいかなる形が和了しやすいか。それはその場その場によるので一概に言えないが....

 A:なるべく生牌を持たぬこと。
 B:相手の打牌、および場の形成によって出やすい牌を知ること。
 C:チャンスを数えて多い方を取ること。
 D:直感と推理によって、自摸和しやすいものを取ること。
 E:変化しうる聴牌に導くこと。

 以上は聴牌の際、及び聴牌の道程に於て、預め考慮せねばなら要件であり理想である。理想であるから、必ずしも、理想通りには行かぬかも知れない。しかし何うしたら理想を実現しうるかを研究せねばならぬ。

 A:生牌聴を如何にして避けるか


 対子、搭子の少ない場合は勿論、多い場合においても吃ポンを急ぐのは、自ら生牌聴に陥る無策な戦法である。吃・ポンに依っては得難い牌を自摸って得るかも知れぬ。又是に依つて他に知られぬ牌を取り、秘かにインブループしておけば他の安全と見で捨てる牌に依って和る場合が作られる。

 之を策の上々とする。殊に二索二索三索、とある場合の如きにおいては、吃・ポン、何れもすべきでない。特に此の場合、ポンと掛け声をかけたり、吃を迷ふごとき態度は、相手に手中を看破されるので慎むむべきである。

 単にツモにより一索二索四索の何れかを得るかも知れぬという理由だけでなく、二索ポンすれば三索を捨てねばならず、一索を吃すれば二索を捨てねばならず、何れにしても一つの危険を踏まねばならぬ。それ位なら自分はそれ以上の利益を得るようにするのが得策である。

 一索四索を吃して二索を捨てれば一索二索三索は安全といふ事位は誰にでも解ってしまふ。手札を少なくするために、変化に乏しくなる不利、敷へ上げれば幾何も不利のあるに反し、後者には反対の利益をあげる事が出来る。

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