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(21)アクロイド殺人事件
ミステリーの女王として有名なアガサ・クリスティの長編第6作(AD1926(昭和元年)発表)。イギリス文学で最初に麻雀シーンが登場する作品である。
R.グレイブ&A.ホッジスの「TheWeekend」には、イギリスに麻雀が伝来したのは1923年のこととある。たしかに1923年にはEileen BeckによるMahjong do's and don'ts、Jeen Bray によるHow to play Mahjongという本格的な麻雀書がLondonで出版されている。
しかしそして英米は上海租界で密接な関係にあり、上海とイギリスの往来も活発であった。そしてHow to play MahjongはNewYorkとの同時発売である。また上海租界のMahjong company of Chainaで出版されたJoseph P.BubcockのBubcock's rules for mahjongg the red book of rulesは1920年の出版である。
そのような観点から考えると、客観的に確認できるという意味では1923年であっても、実際に麻雀がイギリスに上陸したのは、それより1年くらいは前ではないかとも推測される。そして麻雀書の刊行とともにイギリスでも麻雀ブームが巻き起こり、1925、6年にはピークに達した。
このアクロイド殺人事件は、キングスアボットというイギリスの田園都市に起こった殺人事件を、かの有名なエルキュール・ポアロが解決するというストーリー。内容もさる事ながら、それまでの推理小説の手法を一変させたエポックメーキングな小説として有名である。
麻雀シーンは関係者が麻雀をしながら事件について話し合う形で登場する。発表は、まさに麻雀ブームが頂点に達したというAD1926(昭和元年)である。その麻雀シーンを例によって抜粋で紹介する。
その夜、私の家では小さな麻雀会を催した。こうした罪のない楽しみはキングズ・アボットではよく行われていた。(中略)。ミス・ガネットがコーヒーを飲んでいる間にキャロラインが麻雀箱を持ってきてテーブルに牌を出した。
「牌を洗うというんですよ」と大佐はおどけた調子でいった。
「そうですよ・・、牌を洗うってね。上海クラブでは、我々はそう言っていたのもですよ」
これはキャロラインと私の意見だが、カーター大佐は今まで上海クラブの会員などのなったことはないのだと思う。さらにまた彼はインドより東には行ったことがなく、インドでは、大戦中、牛缶や干し葡萄や林檎ジャムをちょろまかしていたらしい。しかし大佐は厳然として軍人には違いないし、キングズ・アボット村では各自が個人的特質を自由に発揮するのは許されているのである。
「そろそろ始めましょうよ」とキャロラインがいった。4人はテーブルを囲んだ。5分間ばかり完全な沈黙が続いた。誰が牌を一番早く並べ終るかみんな心の中で激しく競争していたからである。
「さあ、ジェイムズ」とキャロラインがいった。
「あなたが荘家ですよ」
私は牌を捨てた。1、2回まわる間は「三索」とか「両筒」とか「ポン」とかいう単調な声と、ミス・ガネットがよくやる癖だが、慌て過ぎて手に持っていない牌に「ポン」と声をかけては「取り消し」という声がかかるだけだった。
「私、今朝、フロラ・アクロイドと会いましたよ」とミス・ガネットがいった。そして続けて
「ポン!。違った、取り消し。間違っていた」
「四筒」とキャロラインがいいながら、「どこで会ったの?」
「向こうでは私に気がついて いないのよ」とミス・ガネットは小さな村でしかお目にかかれない、ひどくもったいぶった調子で行った。
「あら、そう」とキャロラインが相槌を打ちながら「チョー」といった。
「近ごろでは」とミス・ガネットが一時話題を変えた。
「チョーというのは間違いで、吃というのが正しいんだそうですよ」
「そんなバカな」とキャロラインがいった。
「私は昔からチョーといってますよ」
すると大佐が「上海クラブでは昔からチョーといってますよ」といった。ミス・ガネットは負けて引っ込んだ。(中略)
大佐の話はだらだらと長いばかりで、不思議な程おもしろくなかった。何年も昔にインドで起こったことなど、つい最近、キングズ・アボット村に起こった事件とは比較になるものではない。
キャロラインが麻雀にかこつけて大佐の話の腰を折った。キャロラインが計算を間違え、私がそれを訂正するのでいつもの事ながらちょっと気まずい雰囲気になったが、私たちはまた新たにやり始めた。
「荘家が替わりますよ」とキャロラインがいった。そして「ラルフ・ベイトンについては、私は私で考えを持っているんですよ。三万。でも今のところは自分の胸に納めておくことにしますよ」
「ほんと?」とミス・ガネットがいいながら、「チョー、違った。ポン!」
「ええ」とキャロラインはきっぱりいった。
「編上靴の事はあれで良かったの」ミス・ガネットがいった。「黒靴でもさ」
「あれでよかったのよ」とキャロラインがいった。
「あれのねらいは何だったんでしょうね」とミス・ガネットが尋ねた。キャロラインは口をすぼめ、首を振ったが、それは、そのことはすっかり知っていると言わんばかりの様子だった。
「ポン!」ミス・ガネットがいった。
「違った、取り消し。先生はポワロさんといつも一緒なんだから秘密は何でもご存じと思うんだけど」
「とんでもない」とわたしは言った。
「ジェイムズは内気過ぎるんですよ」とキャロラインがいいながら「あらっ、暗槓!」
大佐はヒューと口笛を鳴らした。一瞬間、うわさ話などすっ飛んでしまった。
「しかもあなたの風だ」と大佐がいった。「おまけに翻牌を二つもポンしている。こりゃ用心しなくては。キャロラインさんはどでかい手ですよ」(中略)
私たちは一回りは手早く運んだ。
「あのミス・ラッセルね」と キャロラインはいった。
「金曜の朝、ジェイムズのところへ診察を受ける振りをしてしてきたんですよ。私の考えでは毒薬がどこに閉まってある紙に来たらしいの。五万」
「チョー」とミス・ガネットがいった。
「まさかそんなことが。あなた、間違いじゃないの」
「毒薬といえば」と大佐がいった。
「え、何だって。私が捨ててないって?。捨てましたよ、八索」
「あがり」とミス・ガネットがいった。キャロラインはひどく腹を立てた。
「紅中が1枚あれば」と姉は悔しそうにいった。「私、三翻の手であがれたのに」
「紅中は僕が初めから2枚ですよ」とわたしはつい口を出した。
「いかにも貴方らしいわね、ジェイムズ」とキャロラインはとがめるようにいった。
「あんたにはそもそもゲームというものがわかっていないんですよ」
私の方にすれば、うまく抑えた積もりであった。もし私がキャロラインに振り込めば、大変な点数を払わなければならなかったのだ。ミス・ガネットの上りはキャロラインがすぐ指摘したように、最低のあがりだったのである。荘家がかわって、私たちは黙々と次のゲームを始めた。(中略)
「まあ」とだしぬけにミス・ガネットがいった。
「私、さっきから上がっていたのに気がつかなかったのよ」
キャロラインの注意は、自分の推理活動からそらされてしまった。姉はミス・ガネットに、チョーやポンを混ぜたり、やたらにチョーしたんでは上がっても大きな手にならないからつまらないといった。ミス・ガネットはそれを平然と聞きながら点棒を集めた。
「ええ、あなたの言うことはわかっていますよ」と彼女は言った。でも配牌の手によるんじゃないかしら」
「ガメらなきゃ大きな手になりませんよ」とキャロラインは主張した。
「でも銘々の流儀でやるより仕方がないんじゃない?」とミス・ガネットはいった。そして自分の点棒を見やった。
「ともかく私は勝っているんですからね。今のところは」
相当負けているキャロラインは何も言わなかった。荘家がかわって、また私たちはゲームを始めた。アニーがお茶道具を運んできた。キャロラインとミス・ガネットは、こうした催しの晩にはよくあることで、二人とも少しむくれていた。
「もう少し早くやってもらえないものですかね」ミス・ガネットが捨てる牌に迷っているとキャロラインがいった。「中国人は牌の捨て方が早いので、小鳥が羽ばたきするような音がするそうよ」
しばらくの間、私たちは中国人のようにゲームを始めた。(中略)
「ポン!、とミス・ガネットが静かに、得意そうにいった。
「それで上がり」
情勢は益々緊迫してきた。また配牌を始めた時、ミス・ガネットが三度も連荘したというのでキャロラインが私に不満をぶちまけるに至っては、甚だ迷惑至極であった。
「あなたはなんて退屈な人でしょうね。ジェイムズ。でくの坊みたいに座って一言も口をきかないなんて」
「でも姉さん」と私は抗議した。「ほんとに何も言うことはないんですよ。姉さんが言うような意味ではね」
「何をいってるのよ。とキャロラインは理牌しながらいった。「あなたは何か興味のあることを知っているに違いありませんよ」
ちょっとの間、私は返事できなかった。私は圧倒され夢中になった。こういう満貫があるということは本で読んで知っていた。配牌のまま上がっているという手を−。しかしそんな手が自分につくとは思いがけもしなかった。私は得意さを抑えて自分の手をテーブルに広げた。
「上海クラブでいう」と私は言った。「天和の満貫というやつですよ」
大佐の目が飛び出しそうになった。(後略)