ある夜の四万点
千点五十円で、会社の同僚と居残り麻雀をやっているうちは罪がない。それでも、もう結構バクチの毒に犯されて、女の子とランデブーなんかオカしくなっている。大なり小なり賭博者は、精神的インポに陥入るものだ。女の刺激よりバクチの刺激のほうが、ずっと刺激的である。よしんば恋人がいたとしても、そいつとの逢い引きを振ってジャン友との誘いにのる。
僕はとっくの昔、会社マージャンを卒業していた。月末給料日、勘定の賭け金は、すこし額がかさむとと取れないし、取れたところで千点五十円なのだから、いくらにもならなかった。それに貸しがあると、勝負そのものに妙なユトリができて面白くない。賭博者を刺激するものはただ眼前で動くなのだから、手帳に金銭で書き込んで、「じゃ月末に・・・・」なんていうバクチは興ざめだった。
僕が町の麻雀屋に入りびたって、いわゆる他流試合のみをこととするようになったのは、つまり賭博のスリル、賭博の魅力にいよいよ溺れている証拠であった。もちろん僕にもまたいっぱしの賭博者に共通したうぬぼれがあった。
いつも「今日は勝てる」というあの気持ちである。バスの停留所に行く。するとすぐバスが来る。「今はツイている」と思う。電車が止まる。僕の直前にドアが開いて、僕はスッとにりこみ、ゆうゆうと座席をえることができる。「今日はバカツキだぞ!。バカツキ礼次郎だ!」
こうしてエンギまでかつぐようになったとき、賭博者は、あの自分自身で運命を支配しているような最大のスリルに生きているのだ。スリルだけが生き甲斐になるのである。賭博者に許された唯一の幸福、勝っても負けても心臓が痛くなるほどのスリルがえられること。
僕の行きつけている麻雀クラブ「緑一荘」は、千点二百円が常識であった。すべて二飜ルールで、ドラ牌にサイコロまでつくから、会社マージャンなんかやっている連中にいわせたら、それこそ「バカでかくなる」のだった。が、スリルの強弱は正直に金銭の多寡による。同じ賭博者なら、僕のほうが連中よりはるかに大きな幸福にひたっていた。そのかわり負けたときの不幸も大きいだろう。と、賭け金の莫大さを怖がるようでは、なんのためにバクチをやっているのかわからない。さっきも云ったように、勝っても負けても、バクチはやめられるものではないのだ。
町の麻雀屋で他流試合ばかりといっても、そこは自然顔馴染みもできる。また、やたらに見も知らぬ奴なんかとやると、意外にもそれが刑事で、一網打尽にパクられるという危険もあった。とまれ「緑一荘」の常連は多種多様で、会社の課長級みたいな人間もいれば、麻雀屋を事務所みたいに心得て、遊びながら電話取引したりしている人間がいた。彼らに共通した点は、やたらにゼイタクに気前よく飲み食いしたり、麻雀以外に心に満たしてくれるもののない、一種異様な孤独の影を背負っていることだった。
ある晩、僕は子で二回、親で一回マンガンをやり、四万点もの大勝を博したのである。もっともなにかというとすぐ三翻くらいはついているので、マンガンはワケなくできる。だからことさらマンガンというのは、七翻以上の五割り増しマンガンのことなのだ。四万点といえば八千円。もちろん三コロだった。
「イカれた、イカれた。岐阜芸者にされるとは、おそれ入谷の鬼子母神で!」と竹さんと呼ばれている酒問屋の若主人がいった。岐阜芸者というのは、昔、三円でコロぶ芸者のことを、同地で「三コロ芸者」と称したことからきたシャレである。それに岐阜が「ギフギフの目にあわされる」、ギュウにかかっている。
「クヤシイじゃないか。ゼヒとも仇討ちといきたいが、時すでに遅く・・・・」緑一荘はカンバンである。十一時を廻っていた。
「どうだい、ことのついでに徹夜といかねえか? 河岸を変えてさ・・・・」と竹さんがみれんたっぷり皆を見渡して声を落とした。イヤもオウもない。
「なに、八千円もありゃ大丈夫だよ。千点千円のウチだけどね。こんなときでも一度行っとかなきゃあ、普通じゃ行く気がしないよ。とにかくちょっとしたウチなんだ」
と、これは竹さんが、とくに僕に云った言葉である。酒問屋の若主人ならいつでも行けるが、僕みたいなサラリーマンは、よっぽどアブク銭でもつかんだ日でなきゃ行けるところじゃないよ、という思いやりともミクビリともつかぬ言葉であった。千点千円!、僕は大丈夫だと自信をもって立ち上がった。
つづく
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