(8a)榛原茂樹


 榛原茂樹(はいばらしげき)は筆名。本名・波多野乾一(はたのけんいち)
 日本麻雀揺籃期の重鎮。大正元年、上海東亜同文書院(現在の愛知大学)卒。時事通信社の北京特派員として中国に長く在住した。

 帰国後、S4年9月、銀座2丁目の銀二ビル内に銀雀会を設立、翌5年2月、日本雀院と改称した。昭和7年、銀雀会は他団体と大同団結し、大日本麻雀連盟となる。

 時事通信退社後、昭和10年頃より外務省に勤務(外務省嘱託課長、興亜院課長)。戦後は産経新聞にて中国問題の論説委員を勤める。その著「中国共産党史」全7巻は、現在も中国共産党の研究には欠かせない重要文献(客観性において中国共産党の自党史を凌ぐという評価がある)。また中国演劇にも造詣が深く 「支那劇五○○番」、「支那劇大観」という著書もある。

 麻雀研究の第1人者でもあり、麻雀学の祖と称される。その著「麻雀精通(S4・文藝春秋社)」は、麻雀学研究に不可欠な名著として輝きを放つ。また競技麻雀に不可欠な「牌譜(ゲームの記録用紙)」の考案者でもある(S4年4月2日、世界初の牌譜を残す)。またS23年、本邦初のマナー集「日本雀道清規」を現す。S38年12月30日、東京にて逝去。

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