Aphorism 箴言 

    
(1)麻雀讃



 文豪・菊池寛は、昭和4年に発足した日本麻雀連盟の初代総裁に就任するほどの愛雀家であった。その菊池寛が、昭和3年、関西の某麻雀団体発足に際し、「麻雀讃」というタイトルの筆書きの書面を贈った。さすがは文豪、非常な名文で、いま読んでも愛雀家の心を打つ。


 とにかく勝つ人は強い人である。多く勝つ人は結局上手な人、強い人と云はなければならないだらう。

 しかし一局一局の勝負となると、強い人必ず勝つとは云へない。定牌を覚えたばかりの素人に負けるかも知れない。そこが麻雀の面白みであらう。

 しかし勝敗の数は別として、その一手一手について最前なる打牌を行ふ人は、結局名手と云はなければならない。公算を基礎とし、もっともプロパビリティの多い道を選んで定牌に達し得る人は、名人上手と云へよう。

 しかしさうした公算に九分まで準拠し、しかも最後の一分に於て運気を洞算し、公算を無視し、大役を成就するところは、麻雀道の玄妙が存在しているのかも知れない。

 最善の技術には、努力次第で誰でも達し得る。それ以上の勝敗は、その人の性格、心術、覚悟、度胸に依ることが多いだらう。あらゆるゲーム、スポーツがさうであるが如く、麻雀も技術より出で、究極するところは人格全体の競技になると思ふ。そこに麻雀道が単なるゲームに非ざる天地が開けると思ふ。

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