Ensemble Lapis Lazuli
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lapis lazuli(ラピスラズリ) とは
ラピスラズリとは
ラピスラズリの原石
ラピスラズリ―金色の斑点が輝く群青の石。 古代ローマの博物学者プリニウスはラピスラズリを「星のきらめく天空の破片」と表現した。 ラピスラズリの美しさを言い表すのにこれほどふさわしい言葉は他にはない。
ラピスラズリのラピス(Lapis)はラテン語で”石”、ラズリ(Lazuli)は”青”や”空”を意味するペルシャ語の”lazward”が語源である。
ラピスラズリの産地はアフガニスタン、シベリア、チリ、アメリカ、コロラド州など非常に限られており、歴史に古くから登場するのはアフガニスタンのバダフシャン産出のものである。
神秘的世界を思わせる石、ラピスラズリは古代から現代にいたるまで数多くの伝説を生み、世界各地で人々を魅了してきた。 装飾品にとどまらず、工芸品や宗教的な儀式を行うための道具、鮮やかな青を描くための材料、時には薬や化粧品などにも用いられ、美しさと力を備えた石として人と長い係わりをもってきた。
日本では、ラピスラズリは瑠璃と呼ばれ、仏教の七宝(金・銀・瑠璃・玻璃・しゃこ・珊瑚・瑪瑙)のひとつとされ、真言宗の開祖、空海(西暦774-835年)は瑠璃を守護石としていた。
奈良、正倉院の宝物庫には、紺玉帯と呼ばれるラピスラズリで飾られた黒漆塗の牛革製ベルトが収められている。
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真珠の耳飾りの女(1665-66)
西洋ではラピスラズリの粉末を用いて作った顔料を「ウルトラマリン」と名づけた。「海(地中海)を越えてもたらされたもの」という意味である。現在のウルトラマリンは他の成分を合成させて作られているが、ルネサンス期には遠い国からもたらされた本物が使用され、その価格は純金と同じかそれ以上であったという。
ルネサンス期は古代から使われてきた顔料をより鮮やかで美しい発色に生成する技術が急速に発展した時代であった。この「色彩革命期」を代表する色が「天空の破片」とも呼ばれたラピスラズリの粉末、ウルトラマリンなのである。
牛乳を注ぐ女(1658-59)
ラピスラズリ色には「フェルメール・ブルー」という別名がある。これはルネサンス期より少し時代が進んだ17世紀にオランダで活躍した画家フェルメールがラピスラズリ色をその作品に多用したことにちなんでつけられたものである。
フェルメールの「真珠の耳飾りの女」の少女の青いターバン、そして「牛乳を注ぐ女」の青いスカートはもちろん「ラピスラズリ色」である。
この頃ウルトラマリンは依然として非常に高価な顔料で、他の顔料の百倍の値段であったという。通常の画家には、キリストのローブ、マリアのマントなどごく限られた部分にしか使用できなかった顔料をフェルメールは惜しげもなくふんだんに使った。ラピスラズリの粉末の極上の青の魅力にはどうしても抗えなかったのであろう。
(フェルメール/ラピスラズリ"Dictionary"より抜粋)
ラピスラズリとメディチ家
巨額の富でルネサンス美術を大いに発展させたフレンツェの支配者メディチ家とラピスラズリには深い関わりがある。それはイタリアのウフィツィ美術館にあるメディチ家の紋章にラピスラズリがはめこまれていることにも象徴される。
「純金と同じかそれ以上の価値」とされたラピスラズリの粉末・ウルトラマリン顔料がこの時代の美術工芸品にふんだんに使われたのはなんといってもメディチ家の財力と芸術に対する深い尊敬と愛があったこそである。