南門 |
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中門 |
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当寺院の西院の門を南門に移設したものといわれ、室町時代の永正9年(1512年)の建築物である。 |
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昭和59年(1984)に昭和の復興事業の一環として再建された。この中門の左右に廻廊がつながっている。 |
金堂 |
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大講堂 |
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故橋本凝胤氏の「創建当初の姿で再建したい」との思いを受け高田好胤管長が昭和46年4月3日起工し同51年4月1日完成した。この金堂をはじめ再建された堂宇は、白鳳様式の東塔の意匠で統一されている。
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平成15年3月昭和の復興事業の一環として再建された。横41m、奥行20m、高さ17mであり金堂より大きい。 |
西塔 |
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東塔 |
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元の塔は、享禄元年(1528)筒井順興の兵火により焼失。現存のものは、昭和55年東塔を参考に再建された。 |
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天平2年(730)に建立された。三重塔であるが五重塔と匹敵する高さで、白鳳様式に倣い建てられており、法隆寺、法起寺に次ぐ古い様式の塔である。 |
東院堂
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東院堂正面
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皇女吉備内親王が母である元明天皇のために養老年間に建立した。建立地は、現在の薬師寺の東に隣接する観音池であったとされ、南面して建てられていた。ところが、天禄4年(973)2月に焼失し、弘安8年(1285)に現在地に移して再建された。この時、西面して建てられた。
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休ケ岡八幡宮 |
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休ケ岡八幡宮 本殿(重文)
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寺伝では、平安時代初期の寛平年間(889-898)に別当栄紹が薬師寺の鎮守として宇佐八幡を勧請し建立したとする。但し現存のものは慶長元年(1596)に豊臣秀頼が寄進したもの。ここに祀られている木像の祭神三神像は平安時代の作で国宝に指定されている。
なお、祭神三神像とは、僧形八幡神・神功皇后・仲津姫命坐像で、いずれも高さ30数センチのものであるが神像としては日本最古のものであるという。
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玄奘三蔵院 |
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玄奘三蔵像 |
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平成3年(1991)に玄奘三蔵を祀る堂として建立され,右の玄奘三蔵の像が安置されている。
玄奘三蔵(602-664)は西遊記で有名であるが、インドより多数の経論を持ち帰って訳し唐の仏教に多大な貢献をした。法相教学の祖である。薬師寺には玄奘三蔵の遺骨が分骨されたことはよく知られているが、その遺骨はここに祀られている。昭和17年南京に進攻した日本軍が玄奘三蔵の墓を発掘し遺骨を持ち帰りさいたま市の慈恩寺に、さらにこれを薬師寺にも分骨したものである。
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