岩 船 寺
(がんせんじ)

岩船寺三重塔

Contents
1.所在地
2.宗派
3.草創・開基
4.その後の変遷
5.特記事項
7.現在の境内
8.古寺巡訪MENU
 
1.所在地
京都府木津川市加茂町大字岩船上の門43番地 0774-76-3390
2.宗派
真言律宗  本尊:阿弥陀如来座像(重要文化財)
3.草創・開基
寺伝では創建などを以下のように述べられている。
  • 天平元年(729年)聖武天皇の勅願によって行基が建立した。
  • その後、弘法大師と智泉大徳阿弥陀堂に於いて仏法灌頂を修したことから灌頂堂となる。
  • 大同元年(806)、智泉大徳が報恩院を建立。
  • 弘仁4年(813)、嵯峨天皇の皇后、皇孫誕生祈願成就をうけて堂塔伽藍を整備され、、寺号、岩船寺となる。

しかし、これらは専ら寺伝によるもので当寺院の創建について詳しいことはよくわかっていないのが実情である。なお、よく言われる「行基建立四十九寺」に当寺院は記載されていない。

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4.その後の変遷
これも寺伝では以下のように伝えている。
  • 最盛期には、四域十六町の広大な境内に三十九の坊舎があり、その威容を誇っていたが承久の乱(1221)によって大半が焼失し、その後衰えた。
  • 江戸時代の寛永年間(1624-1643)に、本堂、塔、坊舎、鎮守社などが再興された。
  • 本堂、昭和63年4月2日落慶(老朽化のため再建された)。
なお、江戸期は、南都の大多数の寺院がそうであったように、当寺院も奈良興福寺の末寺であった。

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5.特記事項
紫陽花の名所と知られ「アジサイ寺」ともいわれている。私の感覚ではアジサイの時期より紅葉の季節がこの寺院には最も映えるのではと思うのだが、いずれにしても一度は訪れる価値のある寺院である。

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6.現在の境内
山門   本堂
岩船寺正門   岩船寺本堂
山門の真奥に三重塔が望める   昭和63年4月2日落慶(老朽化のため再建)
     
三重塔   三重塔と紅葉
岩船寺三重塔   岩船寺三重塔
  寺伝では承和年間(834-847)に、仁明天皇が智泉大徳の遺徳を偲んで宝塔を建立されたものと伝えられている.が、現存のものは、室町時代の嘉吉2年(1442)に建立されたものである。
(重要文化財) 拡大写真
五輪塔
岩船寺五輪塔
十三重石塔
岩船寺十三重石塔
石室不動明王立像岩船寺石室不動明王立像

(重要文化財)鎌倉時代作
 五輪塔は仏塔の一種で、主に供養塔・墓塔として使われる。古代インドで発祥し、舎利(お骨)を入れる容器であったという。それぞれの形は、古代インドの五大思想を現している。即ち下から方形は「地」、円形は「水」、三角形(または笠形、屋根形)は「火」、半月形は「風」、宝珠形は「空」を現し、古代インドにおいて宇宙の構成要素・元素と考えられた五大を具現化している。
 日本では平安時代末期から高野聖などにより急速に広まったという。この五輪塔もそうした背景を考えると特定の人を、あるいは戦陣で散った人々を供養する目的で、誰かが建立したのであろう。

(重要文化財)鎌倉時代作
  正和三年(1314)に妙空僧正の建立と伝えられている。
 十三重石塔も仏塔の一種で日本では十三重塔、五重塔、三重塔、多宝塔が代表的なものである。建築材料は木材(桧が中心)を使用して建立されることが多い。十三重塔で有名なものとして、奈良県桜井市の談山神社の十三重塔がある。
談山神社十三重塔画像を見る

(重要文化財) 鎌倉時代作
  応長二年(1312)塔頭湯屋坊の住僧盛現が眼病に苦しみ、不動明王に七日間の断食修法をされ、成満日には不思議にも眼病平癒された。そして報恩のために自ら不動明王を彫刻安置し、入滅の時「我が後生の凡俗にて眼病に苦しむものあらば、必ず岩船寺の不動明王を祈念せよ、七日間に祈願成就する」と遺言され、今日に至るまで霊験にあやかろうと多くの参拝がある 。
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 7.古寺巡訪MENU
 
<更新履歴>2012/9補記改訂 2016/2補記改訂 2020/11補記改訂
岩船寺