西暦 |
和暦 |
出来事 |
806 |
延暦25年 |
桓武天皇が崩御して皇太子・安殿親王(平城天皇)が即位 |
809 |
大同4年4月 |
平城天皇、発病。その病を「早良親王や伊予親王の祟り」と恐れ、その禍を避けるために譲位 |
810 |
大同4年12月 |
平城上皇、旧都・平城京へ移る(平城京北東の地に萱葺きの御所(萱の御所)を造営する)
嵯峨天皇の観察使廃止案等によって、二所朝廷といわれる対立が起こる |
大同5年3月 |
嵯峨天皇,,、蔵人所を新たに設置 |
大同5年6月 |
嵯峨天皇,,、観察使を廃止し参議を復活(これに平城上皇との関係悪化決定的となる) |
大同5年9月6日 |
平城上皇、平城京遷都の詔勅を出す
嵯峨天皇、この詔に従い坂上田村麻呂・藤原冬嗣・紀田上らを造宮使に任命し、平城京へ派遣する(実際は上皇側牽制が目的) |
大同5年9月10日 |
嵯峨天皇、藤原仲成を捕らえて右兵衛府に監禁、詔によって薬子の官位を剥奪 |
大同5年9月11日 |
平城上皇、自ら薬子とともに輿にのって挙兵を目的に東国に向かう。
しかし、大和国添上郡田村まで達したとき嵯峨天皇側兵士に阻まれて断念 |
大同5年9月12日 |
平城上皇、平城京に戻り剃髮して出家。薬子は服毒自害。 |
大同5年9月13日 |
嵯峨天皇、高岳親王(平城上皇第三皇子)を廃太子し、大伴親王を立太子させる |
大同5年9月19日 |
阿保親王(平城上皇第一皇子)、太宰府へ太宰権帥として左遷される |
823 |
弘仁14年4月 |
嵯峨天皇、大伴皇太子(淳和天皇)へ譲位する |
824 |
天長元年7月 |
平城上皇没(51才)、阿保親王、許され平安京へ還る |
826 |
天長3年 |
阿保親王、子息の行平・業平の両名の臣籍降下を願い出て許され在原朝臣姓を賜与される |
847 |
承和14年 |
「仁明天皇の勅により御殿を寺とする」(寺伝) |