秋篠寺へはバスでは秋篠寺前で、車では当寺院の駐車場で下車ということになります。いずれもこれらは東門近くにあるため、多くの方は秋篠寺へのお参りはこの東門から入山されることになります。しかし奈良時代最後の官寺として当寺院が持つ独特の雰囲気を感じるには、少し遠回りしてでも南門から拝観されるのがお勧めです。以下、その順路に沿って当寺院の境内を紹介します。 |
南門 |
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東塔基壇跡 |
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南門は創建当時中門があったところに位置しています。この門を一歩踏み入れると、鬱蒼とした木々が生い茂る静寂な世界が眼前に広がり、吸う空気までもが異なったように感じます。 |
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南門を入って歩を進めると右手奥に東塔礎石とその基壇跡があります。この礎石は西大寺に残る礎石に極似していることからも、秋篠寺が官寺として整備され始めた時期が推定する手がかりとなっています。 |
西塔跡 |
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金堂跡 |
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東塔基壇跡の反対側には林立する木々とその下には苔むす緑の一画があり、この奥に西塔基壇が残っています。 |
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さらに進むと左手に金堂跡があります。ここも一面濃い緑の苔がその地を覆っています。そして所々に金堂の礎石を見ることができます。 |
本堂 |
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そして本堂に至ります。鎌倉時代に、焼け残った講堂を修復したともありますが実質上はやはり再建されたとする方が有力なようです。建築様式は奈良期の様式を踏襲しており、正面5間側面4間の飾り気の少ないすっきりとした建物です。堂内には本尊の薬師如来座像をはじめ著名な技芸天立像など多数の仏像が安置されています。 |
大元堂 |
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この堂には、当寺院別尊の大元帥明王像が安置されています。秘仏とされ毎年6月6日の開扉されます。この大元帥明王を伝えたのは、空海の弟子・常暁です。常暁は、遣唐使船によって留学僧として承和5(838)年6月入唐した平安期の入唐八家の一人です。大元帥修法は、怨敵・逆臣の調伏や国家鎮護を祈る真言密教の法で、その法力は凄まじいとされ朝廷により封じられた秘法中の秘法でした。平将門の乱、元寇などの危機に際して禁裏で行われ朝廷を救ったされています。 |
開山堂 |
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十三社 |
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当寺院の開祖とされる善珠を祀る御堂です。善珠が卒した時、皇太子安殿親王が祀った善珠画像が安置されているとのことです。 |
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春日大社はじめとする十三の社が横一列に並べて祀られています。重要文化財であるかないかとは関係なく往時の神仏習合を如実に物語る、これも貴重な遺産です。 |
香水閣 |
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僧・常暁が当寺院にあるときに、閼伽井の水面に映る大元帥明王像を見たという故事に因んで,大元帥修法が毎年正月七日宮中で行われる時の神泉は、この香水閣の閼伽井から汲み上げられ、この秋篠の地から平安京禁裏まで運ばれました。
なお、この儀式は、以降天皇が東京へ遷る前年の明治4年まで連綿と続けられました。平安期以降の朝廷が、何事も先例主義の硬直した公家政権であったとは言え、大元帥修法がいかに重要な儀式とされたかがわかります。 |
東門 |
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先述のとおり通常、秋篠寺へはこの東門を使用します。今回は奈良時代最後の官寺・秋篠寺の持つ独特の雰囲気を存分に味わっていただく為、少し遠回りして南門から案内しました。秋篠寺は時代が変わろうとする大きな節目に建立された寺院です。それだけに時代に翻弄された人々の様々な思いが境内の奥深くに沈殿しているように思います。
この苔むした境内に佇んでいると、今尚、それらが地中深くからそれぞれの思いを込めた眼で、訪れた者をじっと凝視しているような幻想にとらわれます。秋篠寺。必ず訪れたい寺院の一つです。 |