秋篠寺関連年表


この秋篠寺関連年表は、秋篠寺の歴史をより分かり易く理解するために作成しました。
期間は、秋篠寺創建に深く関わった思われる光仁天皇の即位(770)から、入唐僧であり当寺に一時住した常暁が大元帥御修法を持ち帰った年(839)までの約69年間です。
 参考にして頂ければ幸いです。

西暦 和暦   天皇 出来事 
770  宝亀 元年 光仁 白壁王即位(光仁天皇)
771 2 2月、左大臣藤原永手死去58歳
772  3 3/02 皇后・井上内親王、呪詛の罪で廃位される
5/27 皇太子・他戸王、廃位される
773  4 山部親王、皇太子となる
775 6 4月、井上内親王、他戸親王死去
776 秋篠寺創建 「興福寺官務牒疏」
777  8 11/01 光仁天皇、病気になる
12/25 山部皇太子、病気になる
12/28 井上内親王の遺骸を改葬する
778  9 1/20 井上内親王の遺骸を改葬させた(注:前年12/28の改葬が完了したことを示すものか)
780  9 6/05 封百戸を永く秋篠寺に施入する
781  天応 元年 桓武 4/03 光仁天皇、山部皇太子へ譲位(桓武天皇即位)
4/04 早良親王を皇太子とする
782 延暦 元年 氷川川継謀反発覚(天武系男性皇親、これにて全て排除される)
783 2 6月、新たな寺院の建立、禁止される
784 3 6月、藤原種継、造長岡宮使に任命される
11月、長岡京遷都
785 4 9月、藤原種継、賊に射られて死去。 早良親王、藤原種継暗殺に共謀したとして、廃太子となる
10月、早良親王、淡路島へ配流途中に餓死
11/25 安殿(あて)親王を皇太子とする(安殿親王は後の平城天皇)
788 7 5月、桓武天皇の夫人藤原旅子死去
789 8 12月、桓武天皇の生母・皇太后高野新笠死去
790 9 閏3月、皇后・藤原乙牟漏死去
7月、后・坂上大宿禰又子死去
この年から、皇太子・安殿親王、体調優れず一進一退の状態続く
9月、京内(長岡京内)七カ寺で皇太子病気平癒の読経させる 
791 10 10月、皇太子安殿親王、病気平癒の祈祷のため伊勢大神宮に向かう
792 11 6月、「卜」によって、安殿親王の病の原因は早良親王の祟りとされ、早良親王の墓所が整備され、墓守が置かれる
794 13  10月、平安京遷都 このころ秋篠寺完成
796 15 1月、大極殿完成し天皇、百官の朝賀を受ける 
797 16 1/16 善珠、僧正に任じられる
4/21 善珠没(75歳) 皇太子・安殿親王、善珠の像を秋篠寺に安置する
800 19 3月、富士山噴火する
7月、早良親王の怨霊を恐れ、崇道天皇と追称する
805 24 4月、怨霊に謝するために早良親王の命日を国忌(こき)に入れる(日本後紀)
勅旨によって興福寺の僧・常楼が秋篠寺におかれる(日本後紀)
806 大同 平城 3月、桓武天皇崩御 安殿(あて)皇太子、即位(平城天皇)
815 弘仁 6 嵯峨 常暁、空海から潅頂を受ける
838 承和 5 仁明 6月、遣唐使船出航、遣唐副使小野篁、病を理由に乗船拒否 同遣唐使船に円仁、常暁、乗船
(常暁の在唐期間1年2ヶ月)
839 6 8月、遣唐大使帰朝 同船で常暁帰朝し(大元帥秘法を持ち帰る)
         



<更新履歴>2013/10作成 2016/2補記改訂
秋篠寺年表