西暦 |
和暦 |
天皇 |
出来事 |
770 |
宝亀 |
元年 |
光仁 |
白壁王即位(光仁天皇) |
771 |
2 |
2月、左大臣藤原永手死去58歳 |
772 |
3 |
3/02 皇后・井上内親王、呪詛の罪で廃位される
5/27 皇太子・他戸王、廃位される |
773 |
4 |
山部親王、皇太子となる |
775 |
6 |
4月、井上内親王、他戸親王死去 |
776 |
7 |
秋篠寺創建 「興福寺官務牒疏」 |
777 |
8 |
11/01 光仁天皇、病気になる
12/25 山部皇太子、病気になる
12/28 井上内親王の遺骸を改葬する |
778 |
9 |
1/20 井上内親王の遺骸を改葬させた(注:前年12/28の改葬が完了したことを示すものか) |
780 |
9 |
6/05 封百戸を永く秋篠寺に施入する |
781 |
天応 |
元年 |
桓武 |
4/03 光仁天皇、山部皇太子へ譲位(桓武天皇即位)
4/04 早良親王を皇太子とする |
782 |
延暦 |
元年 |
氷川川継謀反発覚(天武系男性皇親、これにて全て排除される) |
783 |
2 |
6月、新たな寺院の建立、禁止される |
784 |
3 |
6月、藤原種継、造長岡宮使に任命される
11月、長岡京遷都 |
785 |
4 |
9月、藤原種継、賊に射られて死去。 早良親王、藤原種継暗殺に共謀したとして、廃太子となる
10月、早良親王、淡路島へ配流途中に餓死
11/25 安殿(あて)親王を皇太子とする(安殿親王は後の平城天皇) |
788 |
7 |
5月、桓武天皇の夫人藤原旅子死去 |
789 |
8 |
12月、桓武天皇の生母・皇太后高野新笠死去 |
790 |
9 |
閏3月、皇后・藤原乙牟漏死去
7月、后・坂上大宿禰又子死去
この年から、皇太子・安殿親王、体調優れず一進一退の状態続く
9月、京内(長岡京内)七カ寺で皇太子病気平癒の読経させる |
791 |
10 |
10月、皇太子安殿親王、病気平癒の祈祷のため伊勢大神宮に向かう |
792 |
11 |
6月、「卜」によって、安殿親王の病の原因は早良親王の祟りとされ、早良親王の墓所が整備され、墓守が置かれる |
794 |
13 |
10月、平安京遷都 このころ秋篠寺完成か |
796 |
15 |
1月、大極殿完成し天皇、百官の朝賀を受ける |
797 |
16 |
1/16 善珠、僧正に任じられる
4/21 善珠没(75歳) 皇太子・安殿親王、善珠の像を秋篠寺に安置する |
800 |
19 |
3月、富士山噴火する
7月、早良親王の怨霊を恐れ、崇道天皇と追称する |
805 |
24 |
4月、怨霊に謝するために早良親王の命日を国忌(こき)に入れる(日本後紀)
勅旨によって興福寺の僧・常楼が秋篠寺におかれる(日本後紀) |
806 |
大同 |
1 |
平城 |
3月、桓武天皇崩御 安殿(あて)皇太子、即位(平城天皇) |
815 |
弘仁 |
6 |
嵯峨 |
常暁、空海から潅頂を受ける |
838 |
承和 |
5 |
仁明 |
6月、遣唐使船出航、遣唐副使小野篁、病を理由に乗船拒否 同遣唐使船に円仁、常暁、乗船
(常暁の在唐期間1年2ヶ月) |
839 |
6 |
8月、遣唐大使帰朝 同船で常暁帰朝し(大元帥秘法を持ち帰る) |
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