「龍騎」問題における、ハカトリエル的意見
仮面ライダー生誕30周年記念作品「仮面ライダー アギト」の後を受けて、放映が開始された「龍騎」
放映前からいろいろと物議をかもしていたこの作品ですが、結論から言わせてもらうと、ハカトリエル的に見てこの作品は「仮面ライダー」ではありえません。
この作品には、肯定派と否定派が存在するわけですが、その中でも肯定派の中にも(積極的肯定・消極的肯定)があり、同様に否定派の中にも(強硬な否定派・軽い否定派)が存在するわけです。
実は、私は「龍騎」以前にもこの図式に当てはまる作品に心あたりがあります。
「機動武闘伝 Gガンダム」
この作品、「龍騎」と共通点があるのです。
○ いままでの世界観を覆す独自の世界観
○ ガンダムの大安売り、出る人型ロボットのほとんどが「●●●●ガンダム」もしくは「ガンダム●●●●」
○ 別に作品がガンダムである必然性が無い。名称がガンダムでなくても成り立つ。
など等・・・
この、「機動武闘伝」も随分と叩かれたものでした。ええ。そりゃもう罪人扱いでした。
そもそも、「機動戦士 ガンダム」という作品が、それまで勧善懲悪路線しかなかったロボットアニメ界に、正義も悪も無く、存在するのは2つのイデオロギーによる戦争という新しい視点で切り込んだ意欲作で、その辺が徐々にファンの心を掴み、いまや知らない人のほうが少ないほどの人気シリーズに成長したわけです。
このような、ある意味リアルさが重要な要素になる「ガンダム」世界において、「拳」と「拳」のぶつかり合い、必殺技を「叫ぶ」主人公と、あきらかに「捻れの位置」にある「機動武闘伝」は、旧来のファンに到底受け入れられる性格の作品ではなかったわけです。
ですが、折りしも格闘ゲーム全盛時期でもあり、また、善悪がはっきりしたわかりやすい設定ということも手伝って、年少のファン及び、まったくの新規のファンの獲得に成功したわけです。
この作品、ともかく熱いんです。バトルに次ぐバトル。血管ぶちきれそうになるほど絶叫して放つ必殺技。何よりも個性的なキャラクターが叫ぶ・跳ぶ・戦う!!
娯楽作品としては、満点をあげてもいいくらいです。私もこのノリは大好きです。
でも、「ガンダム」という作品からしてみれば「異端」なのです。これは肯定派・否定派が共通して認識していることだと思います。
さて、前置きが長くなりましたが、いよいよ「龍騎」について考えてみましょう。
仮面ライダーは、その世界観の違いによっていくつかの世界に分けることができます。
○その1 「仮面ライダー」〜「仮面ライダーZX」までの世界
これは、初代仮面ライダーである、「仮面ライダー1号」から連綿と続く世界です。
この世界は明確に共通する事項が何点か存在します。このことから同一時間軸・同一世界の作品であると言えるわけです。
☆「仮面ライダー」 全ての原点。何も問題はありませんね。1号、2号が登場します。
☆「仮面ライダー V3」 第1話で、1号、2号によって風見志郎はV3へと改造されます。また、前期シリーズの重要人物でもある、立花藤兵衛(おやっさん)がライダーのサポートをしています。1号、2号、V3、ライダーマンが登場します。
☆「仮面ライダー X」 物語最初こそ他のライダーが登場しませんでしたが、XがV3によって再改造を受けたり、何よりも立花のおやっさんが登場しています。この一点は大きいです。
☆「仮面ライダー アマゾン」 私の記憶が確かなら、客演のライダーは存在しなかったと思います。ですが、ここでも立花のおやっさんの存在が大きいです。
☆「仮面ライダー ストロンガー」 前期シリーズを締めくくる作品。最終決戦での7人ライダー全員集合。しかも変身前の姿で。変身前でライダーが勢ぞろいするのはこれ以降ありませんでした。最強の7人VS岩石大首領との戦い・・・。巨悪を倒すため一致団結する仮面ライダー達。そして茂・ユリ子を支えてきたのは立花のおやっさんです。
☆「仮面ライダー」 便宜上「仮面ライダー(新)」と表記されることの多いこの作品。この、後期シリーズからはライダーのもう一方の主役であった、立花のおやっさんが登場しなくなります。ですが、ポスト立花的なキャラとして、谷源次郎が登場します。
また、賛否両論分かれるものの、客演ライダーが次々に登場します。変身前の姿でも。
決戦では8人ライダー揃い踏みとなります。
☆「仮面ライダー スーパー1」 アマゾンと同じく、本編中では客演ライダーの無かった作品(映画などの番外編では登場)。
このスーパー1における世界観のつながりは、谷源次郎の存在によります。彼がスーパー1にライダーの称号を与えるのです。
☆「仮面ライダー ZX」 写真による子供雑誌展開&特番作品1本のみという特殊なライダー。しかし、特番において、風見志郎が村雨良にライダーの戦いの歴史を説明すること、そして戦いの後、ZXに「10号」の称号を与えることから、同じ世界観の話だとわかるわけです
○その2 「仮面ライダーBLACK」の世界
「仮面ライダーBLACK」及び「BLACK RX」の世界です。
BLACKは制作サイドがバトンタッチし、仮面ライダー0号を目指して作られた作品です。
シンプルなデザイン、原点であるバッタ男の怪人であるBLACK。
ただ、前シリーズとの相違点として、ライダーがマフラーをしていません。これ以降のライダーもマフラーは無くなります(アナザーアギトはマフラーっぽいものがあるが、マフラーではない)。
RXでは、終盤にライダー総出演があるのですが、同一世界観に含めるのは不自然な気がします。何よりも登場が唐突な上、ライダーの素顔での登場は一切なく、また立花藤兵衛OR谷源次郎のような、時代(世界)をつなぐ役割のキャラが不在であること等から、パラレルワールドの話と考えるのが自然なのではないかと思われます・・・というか思いたいです(涙)。
多分、意見の分かれるところなのでしょうが・・・。
@全て同じ世界
ABLACK&RXの世界はパラレルワールド
BBLACKとRXもそれぞれがパラレルワールド
私的には、Bなんですけどね。BLACKとRXでは作品のカラーが違いすぎるので。
旧ファンのなかで、BLACKが認められない人がいることも付け加えておきます
○その3 「真・仮面ライダー 〜序章〜」の世界
ここ数年で、「仮面ライダー シン」なる名前を頂戴したそうですね。・・・あまりカッコいいとは思えませんが。
仮面ライダー生誕20周年作品として制作されたこの作品。
バッタ怪人としての仮面ライダーを全面に打ち出し、改造人間の悲哀・愛するものを奪われた怒り・邪悪へと立ち向かう姿という、異形ではありながらもライダーのポイントを抑えた名作だと思います。・・・マフラーはおろかベルトも無く、変身後のスペシャルバイクも存在しませんが・・・。
ライダー世界とのつながりはまったく無く、劇中でもラストのCIAの識別コード上で「仮面ライダー」と出てくる以外は、仮面ライダーの名称は登場しません。
○その4 「仮面ライダー ZO」、「仮面ライダー J」の世界
両作品とも劇場用作品。それぞれがオリジナル設定で、独立しています。ですから本来なら その4と その5とすべきなのでしょうが・・・。
困ったことにこの2人、小作品で共演しています。・・・しかも、そのときのボスキャラがシャドームーンで、しかも巨大化するんです。
でも、それを言っちゃうと、BLACKとも同じ世界にしなきゃいけないし、敵で「真・仮面ライダー」に登場したサイボーグLV2も登場するので「真」ともゴッチャにしなきゃいけない・・・う〜ん、やっぱり その4と その5に分けましょう。
○その5 「仮面ライダー J」の世界
と、言う訳で、解説は上の通りです。
○その6 「仮面ライダー クウガ」「仮面ライダー アギト」の世界
これは、「クウガ」の後番組である「アギト」において『未確認生命体』また、『第4号(クウガの警察内での呼称)』等の共通項目から、同一世界の話と言えます。
○その7 「龍騎」の世界・・・
では、ここから、何故私が「龍騎」を「仮面ライダー」と呼べないのか、その理由を挙げたいと思います。
いろいろありますが、第1点目として、商品的な意図が露骨であることが、挙げられるのではないでしょうか。
今回のライダー、13人いるらしいですが、そのソフビ人形、関連グッズだけでも相当の数になります。
さらに、折からのトレーディングカード・ブームも手伝って、あのカードを使う変身、戦闘システムもウケていますよね。これでさらにもうひとつの商品が売れるわけです。
これらは、おそらく「仮面ライダー」のネームバリューがなくても売れたのでしょうが、「仮面ライダー」の御威光があったために、さらに売れたのではないでしょうか?
「仮面ライダー」ファンとしては、そのためだけに「仮面ライダー」の名前が必要だったのでは?と邪推したくもなります。
2点目として、「仮面ライダー」の扱いの投げやりっぽさが挙げられます。
かつての作品を振り返ってみましょう。
仮面ライダー1号〜ZXまでの世界においては、仮面ライダーという単語がその世界ですでに認識されている単語となっています。
各ライダーが「仮面ライダー」と名乗る切っ掛けも様々で、
○悪との対決を決意したときに自ら名乗った
○その振る舞いから、周りの人が仮面ライダーと認めた
○先輩仮面ライダーから、「仮面ライダー」の称号を賜った
と、言う具合です。
BLACKは、ストーリー後半で、次のような台詞があります。
「ゴルゴムが作ろうとしているのは・・・(中略)・・・だから僕は仮面ライダーとなって・・・(後略)」
つまり、彼に関しては「仮面ライダー」を名乗る経緯に対し、いくつか推測ができるのです。
1.仮面ライダー1号のように、南光太郎が考えた全くのオリジナル
2.かつて、仮面ライダーが存在した世界で、そのライダーたちと同じように戦うことを決意した
3.原作コミックのように、光太郎の世界ではTV番組で「仮面ライダー」が放送されていた
おそらく上記のうちいずれかの理由なのでしょう。
ずっと飛びますが、「クウガ」「アギト」では、劇中で「仮面ライダー」という単語は登場しません。
かれらは、「未確認生命体第4号」であり、「アギト」なのです。
仮面ライダーと名乗る場合、生半可な決意ではないことは解っていただけたのではないでしょうか。
今回「龍騎」の第1話で「仮面ライダー」という単語が飛び出したときショックでした。
「クウガ」や「アギト」と同様に、「仮面ライダー」という単語が登場しない世界なら、これほどショックは受けなかったと思います。
しかも「仮面ライダー」が鬱陶しいほど連発され、それが最後の3点目、最大にして最悪の理由につながるのですが・・・。
では、3点目最大の理由は、悪が、そして己の私利私欲のために力を振りかざすものが「仮面ライダー」と名乗ることです。
以前、研究の一番最初、不滅の仮面ライダー、その魂の系譜のなかで、「仮面ライダーの魅力は、己を犠牲にしても他の人々の幸せのため、自由と平和を守るために戦うことにある」というようなことを書かせていただきました。
「形式や伝統が大事なのではなく、その精神こそが重要である」とも書かせていただきました。
今回「龍騎」の劇中での「仮面ライダー」が、その世界だけで作り出された造語だったとしても、いやしくも「仮面ライダー」と名乗るものが私利私欲に走ってはいけない・・・そう思うのです。
今までにも悪に属する「仮面ライダー」は存在しました。
ショッカーライダーを初めとする、「偽ライダー」達。
そして、主人公と同等の改造を受け、ライバルとして立ちふさがった「シャドームーン」。
この一番「悪のライダー」らしさを持つこの男でさえ、「仮面ライダー」とは名乗らなかったものです。
以上のことを踏まえたうえで、「龍騎」を見た時に、「クウガ」や「アギト」では、確かに感じることができた「仮面ライダー」の「精神」が作品の中から感じ取れない・・・、いや感じ取れないほど希薄であるといわざるを得ません。
無論、この作品が正義・悪を扱った「ヒーローもの」であることは否定しません。子供番組として人気があるのも事実です。
無駄に男前を揃えて、女性ファンの獲得に成功したことも評価できると思います。
ですが、果たしてこの作品が、「仮面ライダー」である必要があったのか?
まあ、それを言うなら「クウガ」「アギト」の場合もそうなのですが、彼らの中には「ライダー精神」が存在したのです。
それが感じられない「龍騎」を、どうして「仮面ライダー」のカテゴリに含めなければいけないのか・・・私にはわかりません。
例えば、「メタルヒーロー物」で、なぜいけなかったのか?
例えば、「戦隊ヒーロー物」ではいけなかったのか?
例えば、なぜ全く新しいシリーズとして、新境地を開こうとしなかったのか?
そこに「仮面ライダー」としての商品価値を利用したいとの意図を感じられずにはいられないのです。
・・・ともあれ、これはあくまで、昭和51年生まれの、一仮面ライダーファンの意見でしかありません。
第1期シリーズの更に後半の「仮面ライダー(新)」以降をリアルタイムに見た人間の意見でしかありません。
もっと年季の入ったファンから見れば、まだまだ若造が何を言うのか、と言われてしまいそうです(苦笑)。
長々と、書いてきてなんですが、本来、こんなことに目くじら立てるのもおかしな話なのは事実です。
たかが子供番組ひとつで・・・。確かにそのとおりなのです。
でも「仮面ライダー」に「正義」というものを学んだかつての子供の一人としては、今の子供たちにとって「龍騎」が「仮面ライダー」なのだな・・・そう思うとたまらなく寂しく感じられます。
「異端」の作品である「龍騎」・・・。
誤解しないでいただきたいのですが、「異端」は「邪悪ではない」ことです。
それまでと異なるから邪悪と断ずるならば、それは世に蔓延する「差別意識」と同じです。
そんなのは「仮面ライダー」の「精神」にも反することです。
そんな、魔女狩りのようなことはしたくありませんし、してはならないと思います。
ただ、これまでの「仮面ライダー」とは明らかに異なる異端児「龍騎」・・・。
「仮面ライダー」ではありえないこの作品が、どういう形で完結するのか、それを静かに観察させていただきたいと思います。