1989

噴煙第10号 パソコンシンドローム
  RPGと私

  (1) 1979年 RPGとの出会い
 (2) RPGと「指輪物語」
 (3) アメリカ旅行と「ホビット物語」
 (4) 1988年 ドラクエ騒動


(1) 1979年 RPGとの出会い

1979年夏

 教員3年目の夏、「オックスフォード英語研修の旅」に参加。いま考えると安易な企画であるが、オックスフォード市の数あるカレッジの一つの一部と寮を借りて、日本人英語教師対象の講義と観光旅行の旅であった。講義の内容は「イギリスの…」という題目のついた寄せ集め的連続講義であった。その中で私の印象に残ったものに「小学校におけるロールプレイングをとりいれた授業」というものがあった。

 Role(役割)という単語とPlaying(演ずる)という単語は知っていたが、その言葉が合成されたRole Playingの実体については全くの無知であった。学生時代のSituation Dialogの延長がとも思ったが、報告される内容は私の想像力を越えていた。このロール・プレイングには主人公はいない.子供たち一人一人が、町の人になりきってそれぞれの役割を演ずるのである。特定の話もないから、周りから見ている人にはただ雑然と子供たちが動いているようにしか見えない。私にもただ子供たちの恍惚とした表情だけが印象に残った。

1981年夏

 少し薄めのぺーパーバックなら読み通す自信もついた。書物の知識がないので、本屋へ行っては数少ないぺーパーバックから1,2冊買って読むという生活が続いた。なかにはよくもわからずに,"HIM"などという本を買って読んでみたらポルノまがいなどということもあった。

 多少厚めの本も読了したので、思いきり厚い本に挑戦することにした。「将軍」を読む手もあったが、これは日本語で読んでしまったので、書名もよくわからないまま、本屋にあった一番厚い本"The Lord of the Rings"という本を買った。これは長い。3分冊で、1冊400ページ、それも文字がやたらつまっている。

 夏休みに読み終えるつもりで開始した。「とにかく最初の50ページは丁寧に」というどなたかの忠告通りノートをとり、できるだけ単語を引いて読み進める。大概の本はある分量を越えると単語を引かずに速度も増してくる。ところがこの本はそうはいかず、1冊目途中で挫折。


(2) RPGと「指輪物語」

1983年4月 

 何かの折りに同僚の米沢氏に"The Lord of the Rings"の話をすると、「それなら翻訳されて文庫本にもなっているよ。『指輪物語』でしょ。」と貴重な情報を得る。木曽高の図書館にも所蔵。かなりの人気らしい。  

1983年8月

 5ケ月遅れで新婚旅行に出発。「黄金の旅5000年」というキャッチフレーズは、ローマ・トルコ・ギリシャ・カイロ・王家の谷とめぐる世界史5000年をさかのぼるということらしい。

 旅行中本など読めようはずがないが、何か本を携えないと落ちつかない悲しい性癖で、「指輪物語」第-巻(旅の仲間)を携行することにする。英語で挫折したところまで何とか日本語で読んでしまおうというわけである。しかし、英語で読まねばというブレーキがはたらき、遅々として進まなかった。ただ同じツアーにいた、背の低い2人組の女性を、指輪物語のホピットに似せて、ホビトンと呼ぶのがせいぜいであった。

1984年夏 

 日本初のロール・プレイング・ゲームを購入。(以下RPGと略)

 アメリカでは1981年以来大ブームになっているというRPGとは何か。それは説明をするのは困難を極める。あえて簡単に言えば、全くの架空の世界で、架空の生き物たちと、架空の目的をめざして冒険を繰り広げる「おとぎ話」の世界である。私を最初に魅了したのは、全く架空の地図とそこに住む怪物たちの横顔を読んだときである。「宝島」や「ソロモンの谷」といった物語を思い起こさせる冒険の世界がそこにある。

1985年冬
 ボーナスで、"Xanadu"というゲームを購入。"Xanadu"の話を学校でしていたら、同僚の白鳥氏がその出典となっている詩を渡してくれた。

 中学時代グループサウンズ全盛の頃「キサナドゥの伝説」という歌があったが、どうもこれはXanaduを読み間違えたものらしく、これは「ザナデュー」という表記である。このゲームは10層からなる地下迷宮を探検し、4つの王冠を集め、「ドラゴンズレイヤー」というドラゴン退治専用の剣を見つけ、悪の権化キングドラゴンを倒すというゲームであるが、年末本当に熱中してしまった。妻に「あなたのこと嫌いになりそう」といわれ、それを生徒に話したらずいぶんと喜ばれてしまった。


(3) アメリカ旅行と「ホビット物語」

1986年夏

 しばらくじっくり静養する時間があった。これを機に延ばし延ばしになっていた「指輪物語」を読了することにする。指輪物語の読みにくさは、まず物語が全く架空の世界で展開されその地名がどうも英語とかけ離れていること。語彙が豊富で、特に状況描写における言葉使いが私には困難であること。添付の地図がたいへん小さくて、地図を見ても文章を読んでもこの世界の土地感がつかみにくいこと。登場人物のうち、elfとかdwarfとか単語として知っていても、どうも自分の辞書から得るイメージとはかけ離れていること等理由をあげればきりがない。しかし、1週間のうち日に何時間がさくこともできて、なんとか2冊目"Two towers"の途中まで読むことができた。

  2学年の解散旅行は下呂温泉で行われた。ずいぶんと風の強い夜であったが、つきにも恵まれて「四時刻」をツモることができた。思いがけない収入で"Wizardry"というゲームを購入することに決める。

 このウィザドリーというゲーム。アメリカで1981年から大ヒットというRPGの元祖のゲームである。ファンタジー・ロール・プレイング・シミュレーションとかかれたこのゲームは日本ではアメリカに後れること5年、やっと発売されたゲームだ。当初、西洋人と感性の違う日本人には受け入れられないのではないか、もっと簡単で、反射神経を問うものでは、など懸念されていたが、そこそこの売れ行きをみせていた。

 本格的というだけあって、非常にこっている。まず自分の分身となる登場人物を6人創造する。これには種族と職業を決め、それにあった能力を、敏捷性・知性・体力・器用さ等、細かく設定する。種族は人間・エルブ・ドワーフ・ノーム…? 職業は騎士・戦士・僧侶・魔法使い・盗賊…? どこかで見たような構成。これは「指輪物語」の旅の仲間の構成と酷似している。指輪物語では、すべてを統括する指輪をこの世から消滅させることを究極の目的としているが、第一部では、そのメンバーとして、人間・ドワーフ・エルブそしてホビットが参加。魔法使いのガンダルフは物語の最重要人物である。

 RPGの源流が「指輪物語」にあることは、1983年に日本に盛んに紹介された頃から指摘されていた。しかし、私は参考文献ぐらいだろうと思っていたが、そうではなく、「指輪物語」の世界からRPGの世界が生まれたことをここにいたって納得した。

1987年夏

 日本製の安直なRPGから、アメリカ生まれのRPGをいくつか経験すると、そのバックグラウンド(ローマ・ギリシャ神話、北欧神話)の違いとRPGの奥深さを痛感するようになった。それと同時にいつまでたっても読み進まない「指輪物語」への愛着も増したが、この作者J.R.TOLKINという人に関する情報が少なく、なんとか、もっと知りたいと考える。

1988年冬

 まわりの同僚諸氏には多大な迷惑をかけたが、妻の友人に会いにアメリカヘ行くことにする。ケチケチ旅行に徹することと、旅程が独自であることで、旅券とホテルの予約だけ旅行者に頼み、残りは2人でする事にする。

 搭乗手続きから、ホテルまでの交通、ホテルのチェックインなど、実を言うと経験がないことなので不安一杯であった。

 初日、ロスアンゼルスのホテル近くの本屋へ行った。全部英語の本と言うのは当り前であるが、圧倒されてしまった。それでも何か購入したいと思い、店員さんに「指輪物語の参考書のようなものはないか。」と尋ねると、それなら、この本屋へ行きなさい、と紙に本屋の名前と住所を書いてくれた。

 実を言うとそれは本屋の名前ではなく、書名であるとはじめは考えていた。"A Change of Hobbit"というのだから。ホビットとは指輪物語の主人公の種族である。参考書の名前と思っても無理はないだろう。

 翌日好運なことにサンタモニカに行く機会があり、本屋を見つけた。行ってみると、本屋の名前が、"A Change of Hobbit".そこはSF、ファンタジーの専門店であり、フロアー全部がおどろおどろしい雰囲気に満ちていた。指輪物語の出来事、地名、登場人物を辞典風にまとめたぺーパーバック、ホビツト生誕50年記念カレンダー、作者トールキンの自伝、「ホピット」の豪華装丁本、ホピットをあしらったTシャツ、これぞとばかりに日本のおばさん連中よろしく購入してしまった。店員さんは世界一のSF・ファンタジー専門店であると豪語していた。

 


(4) 1988年 ドラクエ騒動

1988年帰国途上の機内

 格安券のなかでも超格安券のマレーシア航空の機内。久しぶりに見た日本の新聞は「ドラクエブーム」を報じていた。いわく、「ドラクエ購入の為に学校をさぼらないよう、異例の都教育委会通達」「ドラクエほしさの恐喝」「ドラクエ窃盗」。ドラクエV、すなわちドラゴンクエストの3番目のシナリオは1200万台の販売実績を誇るファミコン用初の本格RPGゲームの名前である。ドラクエーは1986年に発売され、結構売れていた。シナリオ、音楽、絵と子供の喜びそうな人たちをチームに招いての、最初から大量に売ることを目的としたソフトであるから、ある程度売れるとは思っていたが、社会現象になろうとは思いもしなかった。とにかく反射神経を競わないRPGが、これほど一般大衆に受け入れられるとは、コンピュータゲームも一定の社会的地位を築く良い機会かもしれない。

 船便で送ったアメリカ土産が到着した。さっそくトールキンの伝記を読む。トールキン、オックスフォード大学の言語学の教授。小さいときから大変な才能を持っていたらしい。ラテン語、ギリシャ語はもとより、ウェールズ語に強い興味を持ち、北欧神話、古代イギリスの英雄譯を好んで読んだトールキンは既成の言語習得にあきたらず自分で文字を考え、文法を作り、言語を作ったようである。その言語で日記も書いているようであるが、自分で頻繁に文字も単語も文法も変えるので、自分自身さえ日記が判読できなかったくらいだそうだ。そして、単に言語の創造にあきたらず、その言葉の話される国、その歴史、文化、種族をも創造した。この世界での出来事が、第-作の「ホピットの冒険」であり、「指輪物語」であった。RPGの原型となっているエルブ・ドワーフのイメージはこのトールキンのエルフでありドワーフであるにちがいない。そのトールキンは北欧.ゲルマンの神話の影響を強く受けている。

 RPGに登場する怪物は人類が歴史上創造したありとあらゆる怪物を登場させている。日本からは大名、侍、忍者なども登場している。ギリシャ・ローマ神話のメデューサ、キメラ、ウイバーンなどは大変な人気者だし、北欧神話のたこのお化けクラーケンもかならず登場する。骸骨のスケルトン、指輪物語でも頻繁に出るオーク鬼、トロール鬼もなくてはならない存在である。

 過去5年にわたるRPGとの関わり、挫折しても気になる「指輪物語」この両方とも私のパソコンシンドロームにはなくてはならない存在になっていた。そして、その二つは私のもう一つの核英語の世界、西欧世界とも深い関わりを持っていた。
 パソコンが日本で発売されて10年。パソコンは最初から道具として売り出された。現在では2万円ほどで購入できる元祖ベストセラー機(16万円)も「ビジネスに威力」と宣伝された。しかし、性能的にも、価格的にも、ソフトも本当に使えるようになったのはここ2,3年の事であろう。そこで、「パソコンは道具だ。」とか「パソコンは筆記用具だ。」と喧伝する勢力が登場。パソコンは事務室のコピー機、印刷室のリコピーと同じ地位に甘んじるようになった。もしパソコンがコピー機と同じ単なる道具であったら私の「シンドローム」もこんなに続かなかったと思う。RPGとの出会いは、私をいつまでもパソコンに引きつけておく重要な要素であった。RPGという全く新しいゲームの形態がまさに紹介され、普及しようとする時にパソコンと出会ったことも何かの縁であろう。

 当初予想されたように、ファミコンの普及にともないその弊害をもっともらしく指摘する人たちが出てきた。これから、漫画・コミックがたどったようにファミコンソフトヘの迫害が長く続くだろう。この冬の時代をのりこえて、「文化の一部だ」「30男が夢中になってやって何がおかしい」と声を大にして言える時代が来ることを願っている。