干立部落の節 (2日目世乞い神事)
祖納部落の節 (2日目世乞い神事)
ウガンジュに面したマイダリ(前泊)浜で一列に並び、賑やかに神を乗せたサバニの帰りを乞う女達。ユー(幸)を招きよせる腕の動き(ガーリ)が独特。
神を迎えて一度戻ってくる船に、濁り酒をかけようと水に入り待つチヂピ。
神は満潮に乗り、海の彼方からやって来る。それを迎えるのは2艘のサバニ。全力で競い合う意味は神の来訪に対する歓迎のしるしか。海をまわる船漕ぎ競争は続けて二度行われる。
ユークイ
シチ
干立ウガンで神様に祈りを捧げるチカ(司)の女性達。供え物は濁り酒、酒、重箱に詰めたご馳走、花米。花米とは綺麗に精製した米で、手の上に乗せた米から2粒づつ似たようなものを合わせていって、吉凶を占う。
何もない海をまわって帰る一度目のフナクイ(船漕ぎ)が神を招くユークイならば、夫婦岩をまわる二度目は、岩の傍にあるアマウガンに神を案内する為なのであろうか。
サシマタは槍を象った旗頭のこと。後ろの青空を透かす手前のものが一番旗、奥が二番旗。
干立ウガン境内のパイドゥン家で出番を待つ2神の仮面。後の神棚の足に巻き付けられてあるのは、シチカッツァ(節カズラ)の地方名を持つ蔓性のシダ。
太鼓を打ち音頭をとりながら、右回りにまわるトゥーチ(男女2名づつの船頭)らを中心に、その外円を反対回りに少しづつまわる女たちのアンガマ踊り。
アンガー(外円の女)たちはゆっくりとした動きでトゥーチの謡う唄に合わせ、開いた両手の平を顔の横に上げる仕草を繰り返し進む。
八重山独特の来訪神、ミリクの行列。槍をもった少年が左右からその袖を持つ。後に続くのはアンガーたち。さらに太鼓を持ったトゥーチらが続く。
ミリク節に合わせて大きく団扇を振るミリク。島に豊穣の風をもたらすようだ。因みに片手に槍をもっているのはこの干立の特徴。顔も厳しい。
もう一人の神様、オホホ。人々から愛され、世果報をもたらすミリクに対し、こちらは一応悪い神様。しかし、ユーモラスな踊り、他にはない神である為、人気は実はこちらが上か。
「ホホホホホホホ」 突然、甲高い笑い声が響き、荘厳なミリク行列の雰囲気を破る。ミリクの行列に絡むオホホ。肩に下げた布袋から札束を見せびらかせながら、ミリク行列の中の子供や取り囲む観客たちの腕を引こうとする。あんまり相手すると連れて行かれてしまうかも。
おどけた顔をしたこのオホホの由来には、実はある暗い史実が隠されているのだ。
獅子舞に使われる獅子。
長い体毛は日本の獅子舞よりもバリ島のバロンダンスの獅子を思い起こさせる。
棒の演舞。リズムを刻むドラの音にあわせ、弾むように男達が打ち込み、或いは受ける。
祖納の節はマルマ盆山を眼前に望むマイドン(前泊)浜で行われる。ミリクは最初から行列で入場し、行事が終わるまで、浜の上のフナムトゥと呼ばれる桟敷の中央に座し続ける。浜に立てられた一番旗の「尊農」の二文字が西表を名乗るこの部落の歴史であり、誇りであろう。
ミリク節に合わせ、優雅に、そして厳かに舞うミリク。祖納のミリクはあくまで福々しい。ミリクとなった数え49の生まれ年の男は行事中、食事もトイレに席を立つ事すらも許されない。
三人棒を披露する青年たち。石垣島などに下宿する高校生たちは、この日の為に石垣でも棒の稽古を続けて本番に合わせ帰って来る。
しっかり練られた技はキレもテンポも素晴らしく、演舞ながらも鬼気迫るものがある。
ミリクの見守る桟敷の上で演じられる奉納舞踏。ムラを発祥とする曲の数々である。それにしても鮮やかな色彩である。祖納という集落がいかに豊かであったかを思わせる。
このアンガマーは、ある意味、祖納の節を象徴する踊りであろう。干立同様、内外2つの同心円上を女たちが踊るが、注目は中心の頭から黒い布を被った二人の女。フダチミと呼ばれる彼女達の由来にもまたある史実があるとか。
双方必死の船漕ぎ競争を浜で応援する参加者たち。女たちはガーリで船を招く。
勝負に勝ったサバニの前乗りが、桟敷の前に駆け寄り、櫂に跨ってチカらに早口上である「パチカイ」を述べる。一方、船の方では漕ぎ手たちが船を陸にあげ、盛り上がっている。
節とは、旧暦9月の「つちのと亥」の日から3日間にわたって行われる島、最大のお祭りである。
初日は島では「大晦日」にあたり、身を清めたり、家を清めたり、またムラを清めたりと、清めの儀式が多く行われる。
面白いことに、まるで内地の「節分」同様、豆ではないが、小石を玄関から外に向かってまくという儀式も各家々で行われる。
2日目がここで紹介した「世乞い」の神事になるわけであるが、これはまさにムラに新しいミリク世を迎える意味がある。ミリク世というのはミリク神がもたらす豊穣と平和の世の中である。毎年、この日に新しいミリク世を迎えるのであるから、この日がムラの元旦と言ってもいいかもしれない。
勿論、行事の中心は海からやって来る神を迎えに上がる船漕ぎであり、その後の芸能は、祝いの意味であろう。
3日目はツヅミと言って、行事の締めくくりの日。祭りの舞台の片付け、命の井戸の清掃、お礼参り、ムラの清掃などがいっせいに行われる。
この祭りは1991年、国の民俗重要無形文化財に指定され、早くも10年がたつ。少なくとも300年以上前から行われてきた祭りにおいて、たかだか10年というのは、どうということもない気がするが、しかし、この時代の早い流れの中での10年というのは意味合いが非常に違う。現在の両部落の祭りを見るに、若者の多くは島外からの移住者、内地の人間であり、また彼らがいなければ、この祭りも実行が難しいとさえ言えるだろう。
石原慎太郎の「秘祭」で取り上げられた祭りの排他性はここには見られない。モデルとなった新城島は、今や発展する事のない過去の島であり、大事なのは島出身者たちの血族意識だけである。
しかし、西表は違う。これからの島の将来を考える島人がおり、島人にならんとする若者があり、新しい島の姿が先に見える。
西表の節祭は、彼等が理解し合い、溶け合い、一つになる、そんな融合の為の儀式的要素が強いように感じるのは私だけではあるまい。生きた島には生きた祭り、進化する祭りが似合う。
いつの時代も島に世果報をもたらすミリク。しかし、昔と今では島にとっての世果報はかなり違う筈である。今の島にとって必要なミリク世とは、なんであろう。
この節祭はその答えをきっともたらすであろう。