2008年7月27日
三重県 津市内の川


 時々掲示板でも書いてますが、安濃川で発眼卵放流を行うようになってから漁協・・・いや、漁協が行う放流活動に強い疑問を感じるようになっています。

我々遊漁者は、漁で生計を立てている方達の生活を脅かさないよう、様々な制約を受けながら川で”遊ばせて”もらっている訳ですが、その代償が游漁証ということになります。
全国的な平均は分かりませんが、東海・近畿地方なら日券で¥1000〜¥2000、年券で5000〜¥8000ぐらいでしょうか。

 高い安いは別にして、この制度自体に文句はありません。法律や規則で定められたものであり、趣旨は理解できます。
しかし、川それ自体は漁協の占有物ではなく、市民の財産である事に間違いありません。
従って、我々遊漁者に制約があるのと同様、漁協にも遊漁規則を定め、游漁代金を徴収できる特権に見合った義務があります。

これがよく知られた「増殖義務」というもので、上記の特権を認められる(漁業権の免許を受ける)代わりに、漁協(免許を受けた者)は、その川の水産動植物を増殖しなければならない・・・はずなのですが、ここで冒頭の強い疑問を感じるわけです。



魚って、増えてます?



 解禁日前日にドバッと放流して、翌日には殆ど釣られてハイ、お終い。そもそも、バケツで放流した魚を「増殖した」とは言わない気もしますが、増えたのは2〜3日の間だけ。
遊漁者が多すぎる、河川環境が悪化している、自然災害多発している・・。魚が増えない理由は沢山あるでしょうけど、少なくとも、この方法をあと50年続けても、魚が増殖するとは思えません。

「我々が放流しなければ、魚はあっという間に絶滅するぞ」そんな声が聞こえてきそうですが、果たしてそうなのでしょうか。漁協が無い、放流されていない川では、アマゴは生き残れない?


そんな疑問から、今年、管理人は名も無き地元の川の奥深くばかりを釣り歩いています。

場所は全て津市内(今は奈良県との県境まで津市内ですが・・)の小さな流れ。市の中心部から半径30km圏内ぐらいでしょうか。漁協が無く(或いは解散してしまい)、放流はされていない場所ばかりです。

どの流れも酷いものです。
殆どの場合、周囲の山林(当然、人工林)が荒れており、川底は土砂で埋まっています。川は、山とその森が健全でなければ成り立たないものであると再認識させられます。

しかし、荒れた山林の合間を縫うように流れるか細い流れに、アマゴ達は残っています。

いかがでしょうか?間違っても宮川や櫛田川での釣果ではありません(漁協あるしね)。

岐阜や長野へ遠征せずとも、地元の渓にまだまだ魚は残っているのです。
ガソリンも高くなった今のご時勢、もう少し地元の川を見直すべきだと、今年の探検で痛感させられています。

では、漁協が無いから・無くてもこれらの魚は生き残れるのでしょうか。
その答えは、どちらでもありません。

これらの魚が残っている最大の要因は「釣られなかったから」という単純明快、当たり前の理由なのです。
漁協が放流すれば、釣り客がやってきます。放流しなければ、釣り客は来ません。

放流が行われなくなり、やがて釣り人から忘れられた流れに、生き延びたアマゴ達の末裔が細々と血を繋いでいる・・・。

私達人間から見れば随分棲みにくそうで、産卵する場所も無さそうな流れです。しかし、ここでアマゴが泳いでいる以上、どこかで産卵し、全滅を免れているのは間違いありません。

アマゴの産卵に適した水温、川底の砂礫・底質、水量を調べると、とてもじゃないけどここで産卵するのは不可能な印象を受けます。
それ以前に、アマゴは冷水性の魚で、生息可能水温はせいぜい20度以下と言われていますが、この日の水温は24度。
生き延びているのが奇跡なのか、産卵場所も含めて、我々が思っている以上にアマゴという魚が強いのか・・・。私は、後者ではないかと推測しています。

 仮にそうだとすると、釣って持ち帰られなければ、余程河川環境が悪く無い限り生き残っていけるアマゴを、なぜ成魚放流しなければならないのでしょう。
結局、漁協が成魚放流をする行為は、魚を放流した「代金」として、游漁料金を徴収するための口実に過ぎないのではないでしょうか。

「我々が放流した魚だから、ここで釣りをするにはお金が要りますよ」と。簡単に言えばこういうことなのではないかとさえ、勘繰ってしまいます。

勿論、魚の増殖や漁場の維持管理に並々ならぬ努力をしている漁協もあることでしょう。しかし、それらは組合員も財務状況もしっかりした、ごく一部の漁協に言えることで、日本の多くの内水面漁協は、増殖義務やら漁場の維持管理(草刈やゴミ回収だって維持管理です)といった趣旨から外れ、殆ど慣例のように解禁前日に成魚放流し、それで義務を果たしたと言わんばかりの状態にあるとしか思えません。

漁業法の第129条第5項第2号には、このような規定があります。
「遊漁料の額が当該漁業権に係る水産動植物の増殖及び漁場の管理に要する費用の額に比して妥当なものであること。」

説明が少し長くなりますので割愛しますが、大雑把に言えば、漁協はその川での放流活動や漁場の維持管理に必要な費用に見合った遊漁料しか取れない(バカ高い遊漁料は認められない)という事になっています。

何が言いたいかと言うと、遊漁料は本来、魚を増やしたり漁場の維持管理に使うために徴収しているのであって、基本的には漁業者や遊漁者に還元される筈のお金なのです。
鮎・アマゴの游漁証が分かれているなら尚更で、少なくともフライフィッシャーが払った遊漁料は、アマゴの増殖や産卵場の造成工事に使われるべきお金のはずで(増殖活動のために投入した人件費、という逃げ道がありますが)、基本的にはその他に流用できるものではないはずです。

さて、ここで質問です。
皆さんは、買った年券なり日券なり游漁証を持っているか確認された事が何回ぐらいあるでしょうか。

私は今年でフライフィッシング歴15年目に突入し、それなりに場数も踏んできましたが、記憶している限り7回です。安濃川漁協(解散)×2、雲出川漁協×2、寒狭川上流漁協、長良川中央漁協、郡上漁協。これだけです。

安濃川と雲出川は毎年年券を買ってましたので頻度が高かったのかもしれませんが、監視員の姿さえ殆ど見かけないのは何故なのでしょう。
背中に見やすくぶら下げているとはいえ、今のご時勢、偽造や違う日の券、他人の券を使っているかもしれません。遊漁者を見かければ、必ず声を掛けるべきなのに、殆ど確認されない游漁証。

解禁日に一箇所に放流し、そこに集まる釣り人だけ見ていれば良い?組合員の高齢化によって、見回りが難しい?


考えてみてください。遊漁証を買わずに釣りをして、魚を持ち帰る輩の存在なんてのは、漁業者にとっては死活問題のはずです。
放流してるからこの川で魚を釣るのは金が要る=この畑の農作物は私達が種をまいて育てたものです、と置き換えれば分かりやすいでしょうか。
イチゴ狩りや桃狩りなど、自分の畑を一般客に解放し、有料で収穫を体験させている農家は沢山ありますが、全く見回りもせず、放ったらかしにしている農園なんて聞いたことがありません。
農家の方々は、自分達が育てた作物を必死で守っています。海の漁協の方々は、イセエビやアワビの密猟を防ぐため、深夜にパトロールしているという話を聞きます。この差は何なのでしょうか。


遊漁規則に基づく渓流釣りは、制度として既に破綻している。

私は最近、目指す方向が少し分からなくなってきました。

安濃川での発眼卵放流。地元の渓流にアマゴを残したいとの思いで続けていますが、似たような環境の沢で、放流されずとも細々とながら悠々と生き残っているアマゴ達。

成魚を大量放流して得られるメリットってなんなのでしょうか。解禁日にクレームが出ないようにするため?100匹釣って持ち帰って自慢してもらうため?

漁協のある無しに関わらず、渓魚を本当に増殖したいのであれば、釣り禁止区域の拡大や持ち帰り尾数制限、周囲の山林保護や産卵場の造成を漁協の義務に追加するなど、「増殖」の方策を根本から見直す必要があるのではないかと思います。


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