釣った魚は食べましょう


 フライフィシングで釣ったアマゴを、2回ほど食べた事がある。

最初の一回目は、初めて15cmクラスを釣ったフライ歴1年目の時。2回目は今年の春。もちろん自然河川で、釣ったその場で焼いて食った。


                      うまかった


 基本的に俺は魚が好きで、川魚も例外ではない。川魚を食べる時は、大抵雲出川上流にある養殖業者を兼ねた川魚料理屋だ。
もちろん食べるのは虹鱒やアマゴだが、自然河川で釣ったアマゴは資源保護のため、基本的にC&Rだ。


キャッチアンドリリース。C&R。フライでは今や当たり前。
高校から始めてフライ歴9年目に突入した現在まで、自然河川で釣った魚は上記の2例以外全てリリース。
1年目の時もC&Rは行っていたが、初めて魚らしいサイズのアマゴを釣り上げたため、興奮した。アマゴが高級魚に分類される事ぐらい知っている。魚屋にはほとんど出回らない、珍しくて美味しい魚だという事も知っている。

当時は、単純に『食ってみたい』という気持ちの方が強かった。

なぜ今年、釣ったアマゴを食べたか。


・・・



思い切って告白すると、俺の彼女もフライをやる(ウキャー!言っちまった!!)
イヤ、違うな。正しくは『フライの世界に、無理矢理引きずり込んだ』

最初はイヤイヤだったと思う。しかし、今やキャスティングに関しては欲目では無く客観的に見ても、自分が今までに見たことがある女性フライフィッシャーの中でもかなりのレベルだ。
 管理釣り場なら、15mぐらいまでなら難なく綺麗なループを作っている。
長良川の解禁ミッジングでも、#30のドライフライで善戦した(長良川はスニーカーでも釣りになるポイントが多数ある)


今年の始め、3000円の安物のウェーダーを買ってやったので、川の中を歩いて釣る本格的なフライフィッシングに連れて行った。

アマゴは釣れなかたっが、自然河川で初めて彼女が魚を釣った。カワムツだった。
メッチャ喜んでいた。写真まで撮れという。
『メンドクセー。カワムツが釣れたぐらいでキャーキャー騒ぐなよ』と、適当にシャッターを押した。


しばらく釣りあがり、俺が一匹アマゴを釣り上げた。20pぐらいの放流魚だった。

フライを外そうとした時、焦った。完全に針を飲んでいる。放流魚だから、ためらわずに飲み込んだのか?
なかなか外れない。と言うより、フォーセップがほとんど届かない。四苦八苦しながらなんとか外したが、かなり出血し、腹を見せて浮いている。




・・・どう見ても、もう助からない。








『焼いて食おぅ☆』



不意に彼女が言った。驚くと同時に、スゲー女だと思った。
魚が触れない女もたくさんいるのに(例えばウチのオカン)見上げた度胸。

『でも、C&Rせなあかんし・・・』 言いかけて思った。

C&R? 俺は逃がすために釣ってるのか? アマゴが可哀想だから逃がす??



それなら
釣ってやらない事が一番魚のためじゃないのか?


いつのまにか、C&Rが当たり前になって、その行為の本質が自分の中で、軽薄になっている事に気付いた。


フライフィッシングだから、C&Rだから逃がす? 違うだろ。 いつまでもこの川でアマゴを釣っていたいから、魚がいてほしいから、逃がしているんだろ。
C&Rは、俺達釣り人が共感し、実践している理念

『C&Rだから、フライフィッシングだから逃がしなさい』という法律やルールじゃない。



カワムツを釣って、大喜びの彼女。

カワムツが釣れたら、『チッ!』と言いながら、面倒くさそうに針を外す俺。

アマゴが釣れたら、細心の注意を払い、魚体に触らず、素早く逃がし、時には水中で支えて泳ぎだすのを待つ俺。

死にかけたアマゴを逃がそうと、もがく俺。

死にかけたアマゴを食べようと言う彼女。


どう考えたって、彼女の方が魚に対して自然な接し方をしている。
C&Rを『している』つもりが、メディアや有名人に翻弄されて『やらされている』状態になっている事に気が付いた。

 いつの間にか、ただの自己満足でリリースを繰り返していた自分にムカついた。

なぜアマゴだけVIP待遇しているんやと。カワムツはどうでもいいのかと。
同じ魚やねーか。
挙句の果てに、白い腹を見せて浮いている魚をC&R?? 心底バカらしくなった。
惰性に流されるように、『逃がさなければならないから』魚を逃がしていた自分。

目の前で死にかけてる魚、これを逃がすのはC&Rじゃない。ただの自己満足だ。
『生きているのなら、血を吐こうが浮いていようが逃がせ』と誰かが言っていたのを思い出した。

しかしどう考えても、目の前の魚を逃がすのは、C&Rではなく、『捨てる』以外のなにものでもない。


何より、釣った魚は逃がさなければならない。フライフィッシングだから、C&Rだからと、虚栄だけになってしまった自分の行いを、自己満足で完結していた自分のC&Rを、一度ぶち壊したくなった。

『・・・よし、食うか!』


大抵のフライフィッシャーがそうだと思うが、自分もナイフをベストに入れている。
山菜を切ったりするぐらいで、頻繁に使うわけではないが、山や川に行く時、刃物はやはり必需品だ。


ベストからナイフを取り出し、パチンと開く。


一気に殺してやるのが、せめてもの情け。自然と口から『スマン』という言葉が出た。


ナイフを頭の付け根付近にあて、脳めがけて一気に突き刺す。口をパクパクさせ、魚体が痙攣し、10秒ほどで昇天した。



 枯れ木を集め、竹の枝を切り出して魚に刺す。『遠火の強火』コレぐらいの事は知っている。じっくり焼く。
すると徐々に魚体が飴色に染まってきた。

『メッチャ旨そう!』俺も彼女もこれしか言わなくなった。前述した川魚料理屋は炭火で焼くが、こんな色にはならない。木の枝で焼くと煙に燻されて、ちょっとした燻製状態になるのだろう。

上手く焼きあがった頃合を見て、『いただきます』と、手を合わせた。

普段何気なく使っているこの言葉と、手を合わせるという行為。二十何年生きてきて、この時初めて『いただきます』『手を合わせる』の本当の意味が理解できた気がした。
今まで泳いでいた、生きていた魚。俺のせいで死に、食われる魚。感謝し、礼を言うのは当たり前だと思った。

そんな当たり前のことを、この一匹の魚に教えられた。


かぶりつく。

塩なんて持ってきていないから、魚そのままの味。

『メッチャうまい!!』


俺も彼女も、ためらわず言った。あっという間に骨だけ(彼女、皮もヒレも食いました・・)
『ごちそうさまでした』

あぁ、そうか。『いただきます』も『ごちそうさまでした』も、料理を作った人に対してだけ
言う感謝の言葉じゃなかったんだと、当たり前の事にやっと気付かせてもらった。




今まで、全ての魚をC&Rしてきた人、長年、釣った溪魚を食べていない人に言いたい。
5年に1度、1匹だけ、釣った魚を、自分で殺して、その場で焼いて食べてみませんか?

俺は、自分で釣って、自分で殺して、焼いて食べて本当に良かったと思っている。


C&Rの本当の意味が、ようやく分かった気がした。

『こんなに綺麗で、釣って楽しくて、美味い魚が、川からいなくなるなんて、絶対に嫌だ!!』

自分の孫の世代に、川にアマゴがいなくなっていたら、それは本当に悲しい事だ。

今俺たちがすべき事は、各地で行われる乱獲を防止し、溪魚が棲める川を護ること。いや、より良くしていく事だろう。
C&R区間を設定して成功しているいる川を見る限り、日本の川はまだまだ溪魚を育む力がある。壊れきってはいない。



解禁日に競争のように魚を釣り上げ、全て持ち帰る人、100匹釣りを自慢する人、魚篭一杯に魚を持って帰る人、稚魚を『佃煮にするとうまい』と持ち帰る人、車のバッテリーを使う人、それらを近所に配る人・・・彼らに言いたい。もう少し待ってくれと。
川にアマゴが溢れるようになるまで、貪り食うような真似はやめてくれと。




そして、C&Rを頑なに実践している人達に言いたい。

『形だけのものになっていませんか?』




食べる事によって、改めて分かる事もあると思います。

5年に一匹だけ、確実に川から魚がいなくなります。でも、学べること、再認識させられる事も多々あります。
C&Rが、形だけのものにならない事を願って


Fly High FisherはC&Rを奨励しています。


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あとがき

今回の記事の趣旨は、C&Rの再考であり、『溪魚をどんどん食べましょう』ではありません。ただ、C&Rについてあまりにもナンセンスな考え方をする人が増えてきたため、このコンテンツをアップしました。