伊能測量時における別府・大分間の潮位予測(1810年旧暦2月12日)
別府〜大分 |
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日 時 |
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満潮(時刻 潮位センチ) |
干潮(時刻 潮位センチ) |
備考 |
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1992年 |
平成4年 |
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3月15日 |
6時20分 |
183
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12時16分 |
89
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1993年 |
平成5年 |
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3月4日 |
5時51分 |
164
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11時33分 |
105
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閏月3月 |
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1994年 |
平成6年 |
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3月23日 |
5時46分 |
167
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11時44分 |
94
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1995年 |
平成7年 |
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3月12日 |
6時00分 |
155
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11時57分 |
100
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閏月8月 |
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1996年 |
平成8年 |
旧2月12日 |
3月30日 |
6時05分 |
166
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12時15分 |
91
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1997年 |
平成9年 |
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3月20日 |
7時00分 |
175
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13時02分 |
82
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1998年 |
平成10年 |
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3月10日 |
7時33分 |
188
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13時32分 |
80
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閏月5月 |
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1999年 |
平成11年 |
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3月29日 |
7時25分 |
196
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13時30分 |
69
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2000年 |
平成12年 |
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3月17日 |
7時06分 |
197
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13時07分 |
83
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2001年 |
平成13年 |
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3月6日 |
6時30分 |
186
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12時28分 |
102
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閏月4月 |
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平均 |
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6時33分 |
178
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12時32分 |
90
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6時30分 |
7時00分 |
7時30分 |
8時15分 |
9時15分 |
10時15分 |
10時45分 |
11時45分 |
12時30分 |
1時間毎 |
潮位178センチ |
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164 |
154 |
144 |
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昼食、休憩 |
90 |
14.7 |
出発(後手) |
打止め杭 |
鎌崎突端 |
鎌崎,高崎 |
仏崎 |
鯨崎、下り松 |
笠結島着 |
笠結島発 |
城下着 |
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(1.9K無測) |
0.8K |
1.4K |
1.6K |
1.7K |
1.4K(無測) |
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3.5K(無測) |
1.6K/h |
(考 察)
気象庁又は海上保安庁が発行する潮位(汐)表は未来を予測したもので、過去を推測しているものは無し。このため、潮位関係の本を読破し、三角関数(COS)で過去の潮位式を算出するが、実態に合わず。しかし、潮位は旧暦の年月日(旧暦2月12日)が同じであれば、若干時間はずれるが、同じような傾向を示すという。(九州大学 柳教授 海洋学) この前提を基に、上記のように過去10年間のデータをとり、伊能測量時の潮位を予測した。この結果、この日、大分地方は6時30分頃、満潮(潮位178センチ)になり、12時30分頃、干潮(同90センチ)になることが分った。
別府湾に突き出た高崎山の鼻、即ち鎌ア下は「豊国紀行」、「西遊雑記」、「豊後国古城蹟並海陸路程」等の文献によると、歩行も困難な難所であった。しかし、伊能測量隊は、潮位(予測)が164センチ(当日の満潮位に近い)の時に、鎌アの鼻下を越えることができたのである。当日、府内藩は高崎山腰下に船を用意したようであるが、測量隊がこれを利用したという記録は無い。
また、鎌崎下に神楽石(雉城雑誌によると、平面ノ巨石ニシテ、方三間余)なるものがあり、また付近に竜宮に通じる穴(即ち竜宮穴 豊府聞書によると如赤塗丹とある)があったという。しかし、別大国道の拡幅改修のため、明治年間に埋め立てられ道下となる。現在、国道脇に祠があり、祠下の岩場に竜宮岩(この時、潮位1M)らしきものがある。岩から国道上の祠を見上げる。祠越しに仏崎の鼻。
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別大国道脇の祠、後方は別府市街 |
竜宮岩の一部?、若干赤みを帯びている(潮位1M) |