日食1
「あれ、兄様こんな時間にお出かけ?」
夢魔は不思議そうな顔で睡魔を見つめた。屋敷の中がいつもに増して騒がしい気がする。あたりは真昼の明るさで、こんな中外に出る事などありえない事だった。
「そうだよ。今日は大事な仕事があるんだ。」
優しげな笑みを浮かべた睡魔が、いそいそと出かける仕度を整えながら答える。
「えっ、でもこんな時に外に出たら、光の輩に殺されてしまうよ!」
「あはは、大丈夫だよ。もうじき暗くなる。今日は皆既日食なんだ。」
「カイキ…?」
「夢魔は皆既日食は初めてかい?無理もない。お前はまだ生まれたばかりだからね。」


この地に住み着いてからどれほどたっただろう?

闇魔は夢魔と睡魔を遠くから眺めながらそう思った。あの闇のお方が光を追いかけて行ってしまわれてからかなりの時間が経った。待ちくたびれた闇魔は、その場を後にした。取りあえず自分が意識を持った場所に戻ってみると、そこには前と同じような物質の山がひっそりと存在していた。

しばらくその物質の山を眺めて過ごしてみたが、どうにも退屈でたまらなくなった。

あのお方はこの物質をどうしたのだったか?そうだ、たしか光の前に立ちふさがって…。闇魔はかつての彼と同じ様に自分に向かってくる光の前に立ちふさがった。バスっという乾いた音がして、脇腹が抉られた。
「痛い…!」
思わず顔を歪めて闇魔はうずくまった。抉られた腹からはどす黒い液体が夥しく流れ出した。震える手でそれを砂山に混ぜて行く。

あの方はどのような思いでこの塊をこねたのだろう?今の自分はこれが孤独から逃れる方法であり、束縛されるかも知れない危険もあると言う事を知っている。だが、闇魔は1人でいるのが苦痛だった。光と共に行ってしまわれたあの闇のお方が、恋しくてならないのだ。彼は自分を見る時に苦痛に歪んだ顔をしたが、それでもかまわないと思った。自分に飽いて行ってしまったのだから、いつ戻ってくるとも知れない。戻って来ないかも知れない。だが、どういうわけか闇魔にはいつかあの方がここに戻ってくるだろうと確信に似たものを持っていた。だが、いつになるやら…。ああ、寂しい、仲間を増やしたい。この闇の支配する空間を、同胞で満たす事が出来たなら…。そんな思いで闇魔は塊をこね、自分と良く似た形〜男〜を形作った。

こいつは修理人だ。自分の抉り取られた脇腹を元の通りに直してくれる修理人が欲しい。こうして彼は最初の仲間である修理人、『医者』を作り上げた。

だが魂はどうしよう?闇魔は気がつかなかった。自分の足下に宿りたがっている魂が2粒ほど、うち震えていたのを。それはあの方がこぼした涙であった。自分もその一粒であった事などとうに忘れ果てている。

いろいろな試行錯誤の後、闇魔は発見した。自らの人さし指を差し出し、人形の人さし指と重ねると、その人形に魂が宿るのを。
「やっと気がついたね。」
くたびれた、と言う風情の闇魔は目の前の人形に疲れた笑みを投げかけた。
「病んでいる。」
意識を持った人形はすぐにそう呟くと、右手を闇魔のこめかみにかざした。

するり、という感触が全身を駆け抜け、からだが軽くなった。

「このような力を与えて下さった事に感謝する。」
人形はぺこり、と頭を下げた。このとき闇魔は知った。自分が願えばその通りの人形が生まれる事を。

こうして闇魔はその物質の山が尽きるまで、男ばかりの人形を造りに造った。それ以外の者を見た事がなかったからだと言える。そして造った人形は壊れれば『医者』が直してくれた。

そんなある日、医者が言った。
「名前をもらいたい。数が増えて呼ぶのに不自由する様になった。」
それもそうだ、と思って闇魔は頭をひねった。
「お前はデス、あいつはリィ、あいつはシャグランでどうだ?」
「どんな意味がある?」
「意味?」
「…。」
しばらくの沈黙の後、医者のデスは笑って言った。
「ま、いいや。じきに意味の方がついてくるだろう。」

「おい、闇魔!何をうすぼんやりしている?」
闇魔は後ろから声をかけられて、飛び上がらんばかりに驚いた。
「心臓に悪いじゃないか、デス。なんだよ、いきなり。」
「大丈夫だ、心臓が止まったら、俺が直してやるから。」
「ふん。」
鼻で笑った闇魔を睨み付けて、デスは続けた。
「もう皆の準備は出来ている。あとはお前が日食の儀式を始めるのを待つばかりだ。」
「そうか。」

光が今のような『力』を持ち始めたのはいつの頃からだっただろう?闇なるお方が存在なさっていた時は、それでもまだ時々見かける穢らわしい奴、という認識でしかなかった。そして当たると身体を蝕み抉りとっていく者だともわかった。だが、注意さえしていれば身の危険までは感じなかった。

あれは物質が集まり始め、それが膨れ上がって信じられないほどの圧力になり、そして相当な温度になった時に突然起こった事だった。

いままで仲間達を造っていたはずの物質が、いきなり禍々しい光と熱を放って輝き出したのだ。核融合に寄る恒星の誕生だった。それまでは一時的に通り過ぎるばかりの光に、本拠地が出来たも同然だった。ここを拠点に四方八方光が放たれ、広がっていく。

『物質』の突然の裏切りに愕然とした。物質を手に入れた光は、闇を見習って同胞を造り始めたのだ。こうしてこの宇宙には闇界人と光界人が誕生した。

光界人は厄介な物を操り始めた。弓矢だ。彼らは光を矢の形に変えて闇に向けて放ち始めた。今までは光にあたっても抉られる程度だった。だが彼らが放つ光の矢に当たると、そこから元の物質、泥に返っていくようになった。当たったが最後、デスがどんなに躍起になっても命を救う事は出来なくなった。


闇魔は今の地に仲間を率いて安住する事に決めたのはおよそ50億年ほど前のこと。自らが誕生して100億年ほど経ってからだ。宇宙のわりと隅の方にこぢんまりとした隠れ家のような場所を見つけた。物質も十分にある。だが、彼らが移住すると間もなく光の輩も移住して来た。

うかつに彼らは出歩く事もままならなくなった。



闇魔の手許には物質に返った仲間たちの乾いた泥が、小さな容れ物にギッチリとつまっていた。闇魔はバルコニーに出て空にある光に向かって、かつて仲間だったモノを投げ付けた。

じわり、そんな音がしてきそうな勢いであたりは薄暗くなった。闇魔はもう一度投げた。じわじわ…、と更に空は暗くなる。毎日夕方になると闇魔が欠かさずに行っている儀式だ。この泥で一日の半分だけ光の襲撃を防ぐ事ができる。

そして今日は時々訪れる皆既日食の日だ。日頃は一日の半分ほどで我慢している闇の時間を、昼間にも楽しむ日だ。この日は特別なことがたくさん企画される。

闇魔が天空に向けて泥を投げる度に、あたりからは歓声が聞こえて来た。皆この時を楽しみに待ち望んでいたのだ。

「ねえ、兄様。」
夢魔は少しずつ暗くなっていく空を嬉しそうに眺めながら、睡魔の方を見た。
「どうして今日は昼間から暗くなるの?あっ!太陽が少しずつ欠けていく!」
「そうだよ、今日は滅多にない特別な日なんだ。」
「そんな勝手な事をして、光の人達は怒らないの?」
「皆闇の怒りを恐れているから。」
「ふーん…?」
不思議そうな顔で首をかしげる夢魔に、睡魔は嫌な顔も見せずに丁寧に説明する。

「日食は母である偉大なる闇から突然お言葉が下り、起こるものだそうだ。だからいつ起こるのかは定かではないのだよ。」
「そうなの。でも、母様はいつそんなお言葉を?」
「それは闇魔兄様だけが御存知のこと。我々には良くわからない。でも、我々は夜の時間は皆それぞれ仕事を持っていてゆっくりとする事が出来ないだろう?だからたまにそういう日を設けて下さっているんだと思うんだ。昔この母なる方の力に逆らった光の者に、大変な天罰が下されたのだと聞いた事がある。それ以来彼らは昼間の闇に対して恐れさえ感じるらしい。だから完全に日食の間だけ存分に楽しんでいいんだよ。」
「ほんと!?」
夢魔は嬉しそうに飛び跳ねた。
「夢魔はまだ小さいのに、毎晩人間に悪夢を見せるという大事な仕事をしているだろう?今日は一切お仕事はしないで人間の街を楽しんでおいで。」
「兄様は?」
「僕は少しやらなくてはならない事があるんだ。」
「え?」
「皆既日食の間の短い時間だけこの世に姿をあらわす木があるんだ。その枝を折り、樹液を集めてくる仕事がある。」
「兄様は日食の時もお仕事なんだ。」
「だから僕のことは気にせず遊んでおいで。」
「手伝ってあげる。僕、その木が見てみたい。」

夢魔は屈託のない笑顔で睡魔にそう言った。それが全ての誤りだとは、この時誰も思ってもみなかった。