4月2日

今朝、この春初めて、鶯が鳴いた。
どんな歌だったか、思い出せないみたいな、調子はずれの歌い出し。
ケッキョ ケッキョと、1時間も鳴いていて、やっと最後に ホーホケキョ!
もう、暖かい所は、桜も散りはじめるんだろうに。
ここらは、未だ梅も咲かない。
でも、鶯が鳴いた。
 ケッキョ、ケッキョク、管理強化、密かに決意。
 犬も猫も人も蕎麦も大根もわさびも葱も、元気で行きましょう!


五月の桜 4月2日

高遠の桜は、四月二十日頃からじゃないのだろうか。
でも、もうだれも、桜、桜と言わなくなった頃、
内の萱の山桜は、毎年、連休過ぎにひっそり咲きます。
山肌に、ぽっ、ぽっ、と 明るく白く、
桜よりいっそう白いこぶしや、白樺の浅緑といっしょに。
「うちの桜」が咲く頃、お客さんも引いて、客席は静かです。
「ぜひどうぞ」と言ってみたくなる「うちの桜」です。


犬のKOGE 4月2日

少し前のことだ。
猿の大きな群が移動して来て、内の萱の畑にたむろしていた。
家の裏にもいっぱい。野菜くずなどをひろって、屋根の上で食べている。
子猿もいる。大きな雄猿もいる。

その日の夕方、家の犬たち(柴犬2匹)が、いなかった。
口笛を吹くと、木々がざわざわと揺れて ホウー ホウー と高い声で猿が啼いた。
犬の吠える声もする。
口笛を吹いていたら、コロちゃんだけ走って来た。
コゲは来ない。吠え声も、もうしない。
夕飯時にコゲがいないなんて。
いつも家の前で、今か今かとごはんを待っているのに。
朝は、畑の方へ駆け上がって行って、吠えていたが
いまさら、猿には慣れっこのはずだ。
あの食いしん坊が、夜になっても帰ってこない。

次の日の朝、裏の畑には昨日よりも大胆に、大きな猿たちが群れを連れていた。
大きい猿は柴犬なんかより遥かに大きい。なんだか嫌な気持ちがした。
朝には帰っているだろうと思ったが、いないので、保健所に問い合わせる。
山向こうの集落の方に行ったかもしれない。
保健所で預かっている犬はないとのこと。ついでに、
「山に行っちゃって帰ってこない犬はいるからね。繋いどかないからだよ。」
と、叱られる。
無事でいれば、きっと帰りたいだろう。かなりお腹は空いてるはずだ。
裏山を探してみる。下草は枯れているから見通しはしすごくいい。
帰りたくって、帰れないって、どういう状況よ。
あの大きな猿たちに囲まれて、やられてしまうって事だってあるだろう。
今回、猿が、近くに来過ぎた。
しかも、大きな群れで、したたかそうな猿がいっぱいだ。
気持ちはだんだん落ち込んでくる。
あの、コゲのきれいな明るい茶色の毛が、
動かなくなってそこに見えたらという不安を抱えて山道を歩く。
探した限りではいなかった。
有線放送の迷い犬のお知らせで、放送を申し込む。
放送は、明日になると言われた。

夕方になっても戻らない。
御飯を持って、外に出たり入ったりする。
気配がない。

なんだか何にもする気になれないので、テレビでやっていた中国映画を見た。
チャン・ツィーの「初恋のきた道」
そうしたら、チャン・ツィーが、走るのだ。
好きになった人に 持たせてあげたかった、キノコ入りの餃子というものを持って。
その人を乗せた馬車に追い付こうとして。
でも、人間の足では絶対に追い付けないから、蛇行した道を短距離で結ぶ直線を走る。
なだらかな丘の縁をたどる道を行く馬車に、丘を駆け上がり駆け下ることで追い付こうとするのだ。
コゲみたい。
先回りしようなんて。
いつも元気で、一生懸命で、得意そうだったコゲ。
<アジアンビューティー> チャン・ツィーが、
すごい勢いで丘を駆け抜けるのに犬を重ねて、ボロボロ泣いていた。
あの陽気で、強気な、おばかさんは、もう帰ってこないかもしれない。
あの食いしん坊が、二晩も、ご飯を抜くなんて!

そうしたら、次の朝、帰って来たのだ。
1ミリも痩せないで、全く元気で、どことなく不敵にさえなって。
お腹だけは空いていたらしい。猛然と食べたから。
あわてて、有線放送を、ストップしてもらった。
 まったく!まったく!まったく!と言いながら、
すごい勢いで、私も元気になったのでした。


打ち過ぎです 3月30日

WBCの決勝戦があった日、
お客さんも来ないというのに、亭主が蕎麦を打ち過ぎたので、
以来、毎日そばを食べている。
初日は、てんぷらそばで、次の日は鍋仕立てにしたが
昨日はイタリアンで、今日はローメン風、
はたまた、クリームソースや、カレーソースという手もある。

亭主は、たまに、よく分からないことをする所がある。
不味い結果を確認してみたいのか。淵を転がり落ちたいのか。
裏切ると言う経験を、したたか知ってみたいのか。
その割に相手に対する想像力が足りてないけど。
そういう時は、たぶん、ほとんど何も考えてないんだと思う。
何も考えずに、ふとやってしまう。
そんなことが、1か月くらい前にもあって、参ってしまった。
突然で、前触れもないから、対処できない。
対処できなかったことに、かみさんは、ずーーーと、悩み続けることになる。

それ以来、残ったそばを、あげるか自家消費、あるいは捨てる日々が続いている。
罰を受けているようでもある。
だがすこし、かみさんは内向的な気分になっているから、
人にあげるように包装して揃えて用意するのも骨がおれるのだ。
だから、まだまだ食べ続けるのだ。今食べているのは、一週間以上たったそばです。
お客さんが食べているのは、今日打った蕎麦だが。
まだまだあるぞ。熟成蕎麦。
もったいないなら、自分で食べろって。
まあ、これは、全く別もんですけどね。ニンニクドレッシングとか。
やっとすこし、憂鬱から、踏み出せそうかな。
しかしまあ、花に寒波で霙で積雪です。
何も信じられません。
しかし、信じることは、責任を人にゆだねること、
疑うことは責任を自分の手に取り戻すこと、ですから。

オリーブオイルとしそドレッシング、長崎チャンポン風、中華風、レモンを搾ってと、
行は続くのであります。
今日の、ローメン風と言うのは、ソースは使わず、唐辛子とにんにく、クミン、塩で、
中東風でなかなかでした。
冷たい生トマトとにんにくのソースは、かなりいけますよ。

熟成する蕎麦との自家消費の執念の闘いであります。


無形の財 2月1日

そばを食べにこられたお客さんから、メールを頂いて、
「ひさしぶりに満足できるそばを堪能した」と言っていただきました。
こういう感想をいただいて、ご自愛下さい、とか言っていただいて、
そば屋冥利に尽きると言うものです。
物を売るということは、感動や共感という、無形の財を築くこと
なんだそうです。
「通販生活」のキャッチコピーみたいですが、チョコレート会社の社長さんの言なんです。そうだなあと思います。

うちは、無愛想なそば屋で、お客さんにもそう言われますが、
それでも、それなりに、お客さんとの関係ができると、お互い、人となりが分かってきます。
そばを食べに来ていただき、それに応えるそばをお出しして、
「同じ時代を生きていてお互い良かった」みたいな感覚。
   
しかし、長くやってますと、ご病気などで来られなくなった方もいらっしゃいます。
そば屋とお客さんの関係ですから、お名前も存じ上げません。
それでも、ずっと、気になっています。
入り口を入ってすぐのテーブルには、ずっと、「塩の本」という本が 置いてあります。
塩で、意気投合したお客さんの、定位置でした。
60代後半くらいの方で、足が悪い方ですが、奥さんを乗せて、ご自分で車を運転していらっしゃってました。
軽量タイプの車いすの扱いが見事で、バランスの取り方が、すごくうまい。
うちは、全くの民家で、バリアフリーってわけじゃあないですから、敷居はあるし、上がり口で靴を脱いでいただいて、座敷だし。  
そういうことに、ご自分で全て対応なさってました。
足を悪くされたのは、たぶん事故でしょうか。
でも、なんでも積極的に楽しもうという生き方と、お見受けしました。

うちに来れば、奥さんを相手に、いつも楽しそうに蘊蓄傾けて、お酒を飲んで行かれました。
奥さんも、しょうがない、と言う態度をにじませつつ、そんな時間を、楽しんでおられたようでした。
ある日の午後、伊那の文化会館にオペラを見に来た帰り、と言って、立ち寄って下さったのですが、奥さんは、オペラ上演の間、外にいたのだそうです。奥さんは、オペラより、風の音や、鳥の声の方かいいのだそうです。
そういう奥さんを、「この人は、特別な感受性があるんだよ。」と、ご主人は言うのでした。
すてきなご夫婦だと思いました。
お好きだったのは、田舎そばと鴨南蛮。
お酒のあてに、塩をお出しして、その塩がおいしいとほめていただいたのが、塩の話をしたきっかけでした。
その次に見えた時には諏訪の塩羊羹をお土産に持って来て下さいました。
だから、入り口近くの定席には、塩の本をいつも置いてあります。
しばらくお見えにならない時があって、後から、入院しておられたと伺いました。
それでも、うちに見えると、お酒を一本楽しんで行かれました。
「一合は多いんじゃないですか、一合の半分にしましょうか。」
「それは、5勺って言うんだよ。」
などと教えていただいて。

最後に来られたときは、
「お酒を飲めなくなっちゃった。」
と、ちょっと悲しそうにおっしゃいました。
そして、いつになく、ふいっと帰られて それっきりです。
 
あれから二〜三年になります。
もう、お会いすることもないのかもしれません。
しかし、あの方達の人生の中で、うちに来ていただいていた時間は、たぶん、きっと、特別に楽しい時間だったのではないかという感覚があり、
それは、うちにとっても、とても嬉しいことだったのです。
二度と帰ってこない時間だとしても、幸せな記憶は宝物です。
無形の財っていうのは、こういうことも含むのでしょう。
蓄財とも、経営術とも、無縁ですけど。
 
人の心はお金で買えると言った人は、何と孤独なのだろうと思います。
人を幸せにするのが、真っ当な労働です。
ちらりと新聞広告で見た、チョコレート会社の社長さんも、そんなことを言いたかったのでしょう。
バレンタインデーが近いです。
ひょっとしたら、心を込めたチョコレートで、ハートがゲットできるかもしれません。


ブクさんのこと 11月24日

今朝、ブクが、死んだ。
お堂の上の道の脇の、ガードレールの横で、死んでいた。
車にはねられたらしい。
人が知らせに来てくれて、まだあたたかかった。

めったに吠えない、おっとりしたブクさんは、
なぜか、猟師の車と、軽トラックが、嫌いだった。
過去に何があったのか、誰も知らないが、子犬の時を除いて12年間、
猟師の車と軽トラックを見ると、吠えかかった。
それも、追いかけて行って、車に巻き込まれんばかりに、吠えかかるのだ。
それが、命取りになったと思う。
鎖で、つないでおけば、よかったのだろうか。
いや、そんなこと、ブクが我慢できなかっただろう。

猟期になったのか、このところ、山に猟師の車が来ていた。
ブクも、最近は 寄る年並で、
追いかけていっては、息を切らして足が震えていたのだが。
しかたがない。嫌いなものは嫌いだったのだ。
意地を通してあっさりと死んでしまった。

見た目は灰色の狼みたいなのに、穏やかな性格で、
よその犬にも、子どもにも、やさしかった。
お隣の犬が子犬を生むと、
父親というわけでもないのに、ブクが遊んでやっていた。
それで、すっかりブクに懐いてしまって、
うちに居着いたのがコロちゃんだ。
お客さんにも、ずいぶんかわいがってもらった。

ブクが好きだった日溜まりに寝かされたブクをみていたら、
柔らかい空気が、流れた気がした。
ああブクは、ここでこうやって眠っていて、
今までも、これからも、幸せなんだな、と。

ブクは、この内の萱で生まれて育って、
その穏やかな性格の故に、ほとんど繋がれることなく
山や、里を、自由に走り回って生きたのだ。
冬の夜の、凍てつくような空も、夜明けも、日溜まりの温かさも、
おいしい湧き水の在り処も、
たぶん、カモシカや熊や猿や猪、山鳥の居所も、
知っていたんじゃあないだろうか。

そしてこれからも
ブクは、ここに そうやって居るんじゃあないだろうか。
ただ、魂は、身体を離れただけで。
ブクの生涯も、ブクの気持ちも、シンプルだったから
ほとんど、他のことは考えられない自然さで、そう思う。
人間も、この山里で暮らす人々は、それに近いものがあるかもしれない。

「わたしは この大地の一部で
 大地は わたし自身なのだ。
 香りたつ花は わたしたちの姉妹。
 熊や 鹿や 大鷲は わたしたちの兄弟。
 岩山のけわしさも
 草原のみずみずしさも
 すべておなじひとつの家族のもの。」

ネイティブアメリカンの詩の一部だけれども、
自然により近いところで生きた魂に 共通の思いではないだろうか。
願わくば、わたしの生涯も、そんなふうに、終息できたらいい。

よけいな欲望や、保身に絡めとられるような、
貧しい、不味い人生はごめんだ。
けわしさも、みずみずしさも、全身で感じるような人生でありたい。
ブクさんのように。

新蕎麦 10月6日

 北海道の新蕎麦が入り、地元のものに先駆けて、新蕎麦になりました。
 あまやかな、蕎麦です。
 細打ちのもりそばは、ひときわ奇麗な薄緑色です。
 太打ちの蕎麦も温もりにして、甘さと香りのすばらしい蕎麦になります。
 新蕎麦マジックですね。
 メニュウにも鴨南蛮が登場。
 鴨汁の具も、キノコが入ってます。

 しかし、この時期のお勧めは、蕎麦好きには、温もりではないかと思います。
 ふと打ちでも細打ちでも、よろしいです。
 冷たいざるなら、もり蕎麦がいいですね、今。

 いよいよ新蕎麦の時期到来です。

お宝 10月6日

 お客さんに、「これは、お宝ですか。」と訊ねられて、
そのとき、屏風の前にうちの猫がいまして、
屏風のことを言われているのか、猫のことを言われているのか、
一瞬、良く分かりませんでした。
 「はあ」とかいって、すませたんですけども、あとで、厨房では、
「そりゃあ、猫だろう。」全員一致。
 十歳になるメス猫で、キキ と言う名前です。
キキ、と呼びかけると、機嫌がいいときは、お客さんにも 
 にゃーん と返事をします。
明るい茶と、黒の縞で、屏風で爪を研ぐのが(!)趣味です!
 屏風も、けっこう気に入ってるんですけど、かなりぼろぼろになってきました。
これ以上屏風で爪を研がせないように、努力はしているんですが、
間隙を縫って、爪を研ぎます。畳や、柱で研ぐのも好きです。
 なかなかハードなお宝です。
それでも、その怒られたあとの渋い顔や、なぜか キラーン とした顔や、
澄ました顔を見ると、おかしくなってしまう。
 というわけで、うちのお宝は、猫らしい。
 犬もいますが。3匹。
特に片目をキキにやられた おっとりブクさんは、骨董品です。

[夏の蕎麦] 7月26日

 うちのお品書きに、鴨汁ってのがありまして、
最近ちょっと人気なんですね。
 鉄鍋に入って熱つい汁が出てくるんですけど、
岩手の合鴨と、夏野菜が、いっぱい入っている。
これで、ざるそばをいただくんです。
 鴨せいろ、なんていう、上品ないい方もあるようです。
冬は、葱と、鴨っきりで、これもまたいいもんなんですが、
夏野菜が入った、鴨汁って言うのも、またいいもんです。
っていうか、春は、筍とかみつばが入ってましたから、
要するに、季節の野菜が入るってことですね。
 それから、夏とろろなんて言う名前を付けて、
オクラとか、モロヘイヤをつかった、ざるそばもはじめました。
鴨汁も、夏とろろも、夏の身体によさそうです。
 行者そばや、田舎そば、もりそばに、
プラス 夏とろろ っていうのもありです。

梅庵の蕎麦 6月24日

 どうも、砂肝蕎麦ってえのは、ないんでございます。
お客さまにお出ししているのは、真っ当な蕎麦でございますから、ご安心下さい。
 太打ちの十割蕎麦を、辛みの効いた大根のおろし汁と味噌で食べる
ってのが、ご当地独特の食べ方で、これを行者蕎麦と呼んでいます。
 同じ十割の太打ち蕎麦を、
そばつゆ、葱、わさび、おろしでいただくのが、ご存じ 田舎蕎麦で、
細打ちの十割蕎麦に、そばつゆ、葱、わさびを添えてあるのが、
うちの もり蕎麦でございます。
 みなさん、御贔屓があるようで、
地元の方には、やはり行者蕎麦が人気がありますな。
 しかし、若い方には、田舎蕎麦が人気かもしれません。
ワサビと、おろしの辛みがつうんと効いて、すっきりしてて
ついでに 食べ応えがあるところがいいんでしょう。
 なんてったってもりそばがよくって、譲れないって方もいらっしゃいます。 東京、神奈川方面からのお客さんに多いですな。
つゆなんざ、ほとんどつけないで食べるタイプのお客さんでございます。
つゆがもったいないから、そば湯でも飲んでいただくとよろしいんですが、
減塩が気になりますから、それもしないんでございます。
それなのに、梅庵の卓上には、塩が置いてあって、
塩でそばを食べるとおいしい、なんて罪なことが書いてあるんですな。
塩とワサビ、やってみてごらんなさい、病み付きになりますから。 
 鎌倉から、かけそばを食べに来て下さるお客さんもいらっしゃいます。
 かならず、かけそばなんでございます。しかも、それだけ。
かけそばなんざ、駅前で済ましちまえないもんか と思いますけど。
来ていただいてるのに そんなことをいっちゃあいけませんな。
ひょっとしたら、うちの押し入れの横の、へこんだところに、
林家正三師匠の色紙が飾ってありますんで、
「元来無一物」と、まあ、書いてあるんでございますけど、
説明されなくたって、この家のことだって分かるんですけども、
それを見に来ていただいているのかもしれません。
前に、聞かれたことがありますから。
 ただ、知り合いが置いてったってだけのことなんですけども。

 そんなわけでございまして、
あとは、冷たくしてみたり、熱くしてみたり、
ああしてみたり、こうしてみたり、アレンジですな。
 ともかく、メーカーがこさえた電動の石臼で、
まっとうなそば粉が出ますんで、だいじょうぶでございます。
 メニュウの中から、お好みの蕎麦をお選び下さい。

え、 梅庵店主が、一番力を入れている蕎麦は何か教えてくれって?
それは、メニュウには、まだないんでございますけども、
 「砂肝蕎麦」でございます。

新作[砂肝蕎麦] 6月21日

梅庵の店主、
 店が閑な時には、石臼を作っております。
ノミで カン カン カン カン 
  閑 閑 閑 閑 やっているもんですから、閑古鳥なんていわれております。
「梅庵じゃあ、また閑古鳥が鳴いてるかい。」
「どうも、客が来ないみたいだよ。」
「どれひとつ、ひやかしにいってやろう」ってんで、お隣さんがやってくる。
「梅庵さん、閑だそうで、ずいぶん石臼もできたじゃないかえ。」
「・・・・・・・」
「これでそば粉がとれるのかい」

「まだ試作品だが、
 この石臼で挽いたそば粉で打ったそばを、ごちそうしようか。」

「うれしいねえ、ひやかしに来てみるもんだねえ。」

「その代わりといっちゃあなんだが、率直な感想を聞かしてくれ。
 参考にしてえから。」

「お安い御用だ。
 じゃあさっそく、どれどれ、
  こりゃまた、ずいぶんと黒いそばだねえ。 
  いかすみそば って風情だよ。
  ちがうって? 
  黒いのは、蕎麦殻って、枕に入ってるやつだって?
  たまげたね。
  ん、こりゃまたずいぶんと歯触りが、じゃりじゃり してるねえ。
  石臼も挽き込んじまったって? 
  おいおい。石の粉かよ。
  なんだか、腹にずうんと応えるよ。
  石だから比重が重い。なるほど。
  しかしなんだね、梅庵じゃあこれを客に出そうってのかい。
  もう、名前を考えてある。「砂肝蕎麦」って。ほう。
  なんだい、鳥の砂肝をどうしようってんだい。」

「そうじゃあねえ。お客の胃袋が砂肝になるんだ。」

梅庵は、草に埋もれています。 6月20日

 クローバーの花が咲きはじめたので草を刈らないでと娘に頼まれて、
刈らないでおいたら、庭がクローバー畑です。
はや茶色く枯れはじめたのもあるけど、まだこれから咲くのもあり、
草丈は、まだらに気ままに伸び、
ボムボムと、クローバーが爆発しています。
どうするって、もうどうしょうもない。

 でも、こういうクローバー畑は、子どもの頃は、すてきな花園でした。
クローバー摘み放題。
クローバー大好き。かたちも色も匂いも。葉っぱのかたちも。
オオバコの葉っぱもクローバーと混じって生えていて、
きれいなみどりです。
うちの庭は、裸足で歩くと気持ちいい。犬も気持ちよさそう。
 だけど、庭の石彫まで埋もれてきて、そろそろなんとかしなければ。
そうだ、石の周りだけ刈ればいいんだ。
 じっさい、雑草という草はなくて、生やしたい植物がある時に、
それ以外の植物のことを、相対的に雑草というんでしょう。
だったら、うちの庭は、草ぼうぼうと悲観すまい。
クローバーと、オオバコの庭。でいいわけだ。

[犬たちのこと] 5月4日

 連休中で、さすがに、忙しいです。 犬も、御勤めに励んでいます。
でも、昨日は、コゲが、さぼりました。今日は、コロちゃんが、逃げました。 逃げたコロちゃんが、2時頃、玄関を覗いてニコニコしているので「あ、コロちゃんつないで」ということになり
「は〜い、コロチャンでしゅか〜。こっちで、ちゅながれましょうね〜。愛の紐でしゅよ〜。」とまあ、いつもどうりに、娘がやったんですね。うっかり。お客さんの前で。わははのはだなも。

これは、コロちゃん言葉と言いましてコロちゃんに話しかけるときのみに、梅庵で使われる言葉なのですね。コロちゃんの、性格と言うか、たたずまいと言うか、に由来していると思われマス。              「お客さんに、変な目でみられたワ。」と、気にしておりました。

 で、もうちょっとタフなコゲには、こういうことばはつかわれません。 コゲは、若くて元気、好奇心いっぱいの犬です。

もう一匹、紀州犬の、ブクさんと言う犬がいます。
おっとりした、老犬で左目を、猫に、ひっかかれてしまいました。
おとなしいので、つながれてません。
小さい子どもや、よその犬にも、優しい性格の犬です。

連休にあわせたように、山桜が咲き新緑の季節が始まりました。
内の萱は、連休過ぎが 気持ちのいい季節です。

[閑、なり ] 四月十日


 万博不景気? ってのが、あったんですね。

 梅庵は、閑、閑、閑、です。 昨日なんか、つくしをとってきて、袴をとって、ナズナと、卵とじなんかしました。これはおいしいです。

 今日は、つくしと、芹と、ナズナと小エビを炊きあわせて、これはなかなかよろしいです。

 しかし、つくしの袴をとってるんですからね、極め付きの閑です。       でも、つくしのおいしさに、開眼。

 この時期、そばと、山野草料理なんてどうでしょうか。御予約くだされば、献立考えちゃいます。一品、五百円くらいだと思うな。ご相談下さい。

 うち、犬と猫がいるんですけどね、11時から、4時までは、オツトメと言いまして、お客さんの相手をするべく、スタンバイしてるんですね。で、閑だそうです。

[土手焼き] 四月三日


 春の土手焼きの火が電話線を焼き、
日曜日は電話が不通になってしまいました。
焼けた枯れ葉の間から、つくしやふきのとうが覗いています。内の萱もやっと春になりました。

[冬に向かって] 十二月


 庭の楓はすっきりと葉を落としました。
枝えだが、いっぱいに冬空を抱いています。
客席の畳には薄い陽が当たっています。
今日一番のお客さんに、「焼酎ありますか」と聞かれました。
「蕎麦焼酎がありますよ。出したことないんですけど。」
「そば湯割りもらえますか。」
「どうやって出しましょうか。」
こんな調子で、蕎麦焼酎の出し方を研究させていただきました。

 大振りの蕎麦猪口と、そば湯と、
 蕎麦焼酎(伊那谷の蕎麦焼酎25度 蕎麦のかおり)100cc
が、塩とともにだされます。400円。
 
 そのお客さんには、「ごきげんです。」と言っていただきました。
 そんなわけで、この冬から、蕎麦焼酎そば湯割りが、
お酒のメニューに新登場です。

[尊いもの ] 十一月七日


 今年は、台風で、北海道のそばは、8割減収だそうです。
信州そばも心配でしたが どうやら採れて、今日、ご近所に新そばを届けたら、
「それは尊いものを」 と、言われました。
山里に暮らす人たちは、山菜やきのこ、保存の利く木の実などを、
「尊いもの」といって大切に扱います。
 もう、二十年も前のこと、都会から移り住んだ長谷村で、
初めて、人々の日々の暮らしの中で使われる「尊いもの」と言う言葉と態度にふれて、
目を見張る思いだったことを思い出しました。
 今年の新そばは、あの台風をやり過ごして、神様からの恩恵のようです。
「尊いもの」であり、襟を正す思いです。
 味も香りも、やはり新そばは、格別です。
そして、紅葉は、燃えるようです。
紅葉した楓のせいで、窓辺の席では、なにもかもが赤く染まって見えます。
 なんだか、季節の終わりに向かって、破滅のような燃えるような赤です。