[新そばになったよ]  11/5

紅葉が真っ盛りです。
そして、新そばになりました。
滝沢君の辛み大根もできました。
収穫の秋です。



[もっと大人に ]  11/1

イラクで日本人の人質が武装集団に殺された。
日本の首相がが出した「テロには屈しない。」という声明が、
アラブ諸国でも、日本でも、不評である。
首相は深く考えもせずに、大急ぎでアメリカへの忠誠だけを表明してしまった。
青年の命を見殺しにすることに他ならないのに。
アメリカでは、大統領選挙で、ブッシュとケリー両候補が、
私こそテロとの戦いにふさわしい、と宣伝合戦している。
「テロとの戦い」って、額に汗して働く普通の民にとっては、
こんなバカバカしいものがあるだろうか。
大金を使って、他国の民を殺し、恨みをばらまき、テロの首謀者は今も生きている。
テロリストの言い分にじっくり耳を傾けたらいいではないか。
テロの温床は、貧困や、不平等なのだから、
相手が感じている不平等や不自由を理解するよう努めて、
(解りたくないかもしれないが。)
時間をかけて、話し合えばいいではないか。
(合意にいたるには、譲歩も必要だが。)
そういう大人の交渉が、なんでできないの。
自分に都合のいい自由を武力で他国に押し付けるアメリカの無神経はどうなんだ?
そのやりかた、もはや破たんしてると思うのだが。     
「テロとの戦い」や、「テロには屈しない」なんかで納得するの、もうやめようよ。
庶民にとっては、命とお金の無駄づかい。
平和への道は、人間と人間として、話し合うことからはじまると思う。



[みんな孤独] 10/30

我ながら、
蕎麦屋のホームページに、まったく、いろんなことを書いているなと思う。
生活の中では、流してしまって、あえて口にしないようなこと。
だけど、心の中では、流してはいけないと思っていること。
蕎麦屋のホームページに書くか?
でも、これが、蕎麦屋だったり、八百屋だったり、魚屋だったり、
するからいいんじゃないかな。
私たち、働いて、税金払って、とても払いきれないとぼやいて、
生活して、子育てして、多少の筋を通して生きている。
しかし
当たり障りのない事しか、話さないようにして、
閉塞感の中を 軽めに生きようとしている。
ほんとうは、もっと、話すべきことがあるのに。

いつのころからか、日本人は孤独だ。
後ろ指さされないように、
出しゃばりだとか、生意気だとかいわれないように
目立たないように、敵を作らないように。
今回イラクでテロリスト集団の人質になった日本人青年についても、
国民の中には、前回の人質事件の経験が、政府高官から言われた、
「自己責任」「迷惑」というかたちで、インプットされているではないか。
だから、たとえば、個人の甘さや失敗を攻撃し
他人からは攻撃されないよう隙を見せまいと、小さく生きる。
でも、失敗したこともなく、甘さもない人間なんているだろうか。
だから
大根を買った八百屋さんに、自衛隊のイラク派兵反対の署名を求められたり、
隣の奥さんに、「合成洗剤は使わないの」と、言われたりすると
新鮮。
顔のある人と出会った気がする。
本当は、みんな孤独だからこそ、大事なことを、少しづつ
話すといいと思うのだ。
きっと誰かを、密かに、
勇気づけているかもしれないから。



[2004年 そば祭りが、終わりました。]

 内の萱、天狗地区の女衆も、毎年ひとつづつ年をとって、
漬け物の仕込み、豚汁、おにぎり、
カラツユの仕込み、そばの販売と、
仕事が三日続くと、疲れが、去年とは違う。
「へえ、わしも、もう年だね。」
ブンブンと、仕事をこなしていた、タマコさんが、
言っていました。
 荒井区が、主催でやっているんだけれど、
 若い人が、もっと参加してくるようなおまつりって、
できないのかな。
 そのためには、もっと祝祭的な、
 人の心を束ねるようなスピリッツが必要な気がします。
 ビートたけしの、「座頭市」の、祭りのタップがよかった。
 人の心を歓喜で満たすできごとがあったからだよねえ。
 そば祭りが、営業と、どこが違うのか、
 「上の人たち」も、掘り下げた方がいいと思うな。

*「座頭市」で、ビートたけしのフアンになってしまった。
  画と、音が、すごくいいんだもの。


[水俣訴訟判決]


 最高裁で、
 「国は、水質保全法がありながら、
 水俣湾周辺の住民への生命、健康への
 深刻かつ重大な被害の実態を知りながら
 チッソ水俣工場に対して何の必要な措置も執らなかった。」
 という、国の行政責任を問う判決が出た。

「苦海浄土」の作家、石牟礼通子さんのコメント
  「行政は逃げ回って
  あちこちにフタをするようなことをしてきた。
  無知、ごう慢、鈍感をさらけ出してきた。
  かつての水俣の海はとても豊かで牧歌的だった。
  人々も精神的な豊かさがあった。
  水俣病が発生し、人間の絆がずたずたになった。
  そういう豊かな世界が失われたことまでは、
  司法の目は届かない。」

 無知、傲慢、鈍感 というのは、ズキンとする。
 全くだね。と言う共感と、
 この三つはセットだろう という納得と、
 自分への戒めとで。

 豊かな世界と、それを圧殺してゆく暴力と、
 それを描ききるのは、文学であり、芸術なのだろう。
 芸術が、私達が呼吸する空気のようにある必要を思う。




  [10月17日(日曜日)は、梅庵は、お休みです。]

 恒例の、「行者そば祭り」が、内の萱スポーツ公園で行われるからです。そば祭りでは、地元のそば打ち上手のかたがたが、そばをうちます。打ち手の数だけ、様々なそばがあり、つゆは、地元の主婦が、工夫を凝らした辛つゆです。

 梅庵も、地元住民として、お手伝いしていますが、お店は休みとなります。



[うどん]10/14

 メニューに「うどんあります」 と書きました。
 手打ちそば専門店 ということで、
うどんはメニューにはありませんでした。 
 そばアレルギー等の理由で、前もって注文されれば用意したこともありますが。
 とつぜん、そばアレルギーと言われて、あわててだしたものには、ソーメン、ごはん、スパゲッチィまであります。
トマトソースに、紫蘇のスパゲッチィでしたねえ。   
 他の人が行く時に、いっしょにその店に行っても、
自分だけ食べるものがないって、悲しいですよね。
 それなのに、専門店に、あぐらをかいているのもどうなんだい?ということで。
 冷凍技術のおかげで、
おいしいうどんが、いくらでも常備できるわけですから。
 メニューに載せようと思ったのは、
作家の辺見庸さんが、「健常の暴力」
ということを言っているのを新聞で ちらっと読んだからです。
 アレルギーが、健常でないなんて言っていたら、
健常な人なんてほとんどいなくなると思いますが。
 いや実際、健常だなんて異常なことかもしれませんが。
 みんなどっか、病気だよねえ。
 そんなわけで、そばアレルギーの人もどうぞおいでください。



[そば好きなこども]10/14
 
 4〜5歳のお子さんです。 注文を取りにいったら、
「ぼくは、大盛りを食べたい」と言っていました。
 帰りがけには、厨房の前で、
「ごちそうさまでした」と言っていただきました。
 満足していただいたようです。
 3歳ぐらいのお子さんの場合、
 おそばが出るのは、いらっしゃった順番ですから、
ほかの席にばかりおそばが運ばれて
 「ぼくのおそばは?」と言いながら悲しくなって
泣き出してしまったお子もいました。
 おそばが出ると、ころりとご機嫌が直りました。 
 こうやって、そば好きのこどもが育っております。
 次世代の、そば文化を担うこどもたちです。
 禁煙にご協力頂いているお客さま、ありがとうございます。



人とつながること]

  十月になりました。
  そしてやっと ネットと繋がりました。
  ちょっと、元気になる感じです。
  一人でいるときの、精神の高揚感とか、深まりが、好きですが、
 人間って、ちゃんと、人と繋がっている生き方をした方が元気みたいです。



[十割]9/30
 
 太打ちのそばは、ずっと十割ですが、
 細打ちの「もりそば」も、今年の夏から十割で、打ち始めました。

 この、もりそばの十割がいいんです。
 壊れそうな細打ちのそばを、はらはらっとゆでて、
 そうっと洗って、冷やして
 ざるに盛られて運ばれてきて、つめたく締まってピーンとしているのをいただきますが、
 ゆっくりいただいていると、ちょっと おそばが緩んできます。
 このとき塩のみで食べると、はかない食感なのに、そばの甘みと香りが、ふくよか。
 九割そばと、十割そばって、
 九と十の違いではないんですね。
 あえて言うなら、0と1の違いです。
 そっぽを向いているか、こっちを向いて笑っているか。
 
 このもりそばは、はかなすぎて送れませんので、
 もう食べにきてもらうしかないです。



[夢みたものは]9/29

 今日の中日新聞コラムは、立原道造の詩で始まった。

  夢みたものは ひとつの愛
  ねがったものは ひとつの幸福
  それらはすべてここに ある と

 コラムは,パラリンピックの選手たちの話になるのだが、
私は,世界に重ねてしまう。
 アフガニスタンに,イラクに,パレスチナに,チェチェンに
どれだけの,こわれた愛、壊された幸福に、力を落とす人々がいるのだろう。
どうやって生きていけばいいかわからないほどの悲しみに、
夢見ることもできない人々。
すべてここにあった もの の、瓦礫の前に立ちつくし、
怒りと憎しみの銃を取るしかない人々。

 日本のわたしたちは、なにもできないのだろうか。
他国の顔色を見ながら復興支援のお金を出すことぐらいしか。
明確に戦争や,爆撃に、反対することはできないのだろうか。
せめて、私たちの国の政府を、憲法にあるとうり
「国権の発動たる戦争と,武力による威嚇または武力の行使は,
国際紛争を解決する手段としては」認められないと
どの国に対しても言える政府にできないのか。

 明確に憲法に違反し、明確に国民主権をないがしろにする人たちに、策謀の飛び交う選挙で,いつも,むざむざと政権を取らせてしまう。
 国会議員にし,税金で高い給料を払い,政党助成金で遊ばせ、
先生、先生と持ち上げる。
 日本国民は,なぜこんなに従順で情けないのだろう。
ほとんどの人が,戦争には反対なのに、
真っ先に戦争を支持する政府を、どうにもできない。

 米国の,ラムズフェルド国防長官は,9月24日、
「イラクが完全に平和だった時はないし、今後もないだろう。」
と言ったのだそうだ。(アメリカの記者団に。)
彼は,政治家ではない。軍需産業と一体の戦争屋である。
平和は,彼の商売には、じゃまなのである。
戦争と言う武器消費ゲームには、兵力の損失はつきものだから、
彼は、アメリカ兵の死さえ何とも思ってはいないだろう。

   夢みたものは ひとつの愛
   ねがったものは ひとつの幸福
   それらはすべてここに ある と

 世界中のすべての屋根の下に,
ひとつの愛、ひとつの幸福が壊されずにあるように。
私たちの子供たちが生きている,現在の世界。
これから生きてゆく世界が,
全体、平和でなければ、本当の平和は訪れない。
宮沢賢治も言ったようにね。





[つながらない]9/24

 パソコンの機嫌が悪くて、ネットにつながらない。
 思いがどこにも届かない。

この夏、何年ぶりかで会ったひとが、同じ映画を見ていた。
「めぐりあう時間たち」
夫を幸せにする義務があると思っている主婦は、
夫の誕生日に、うまく焼けない苦手なケーキ作り。
ビターな色したチョコレートケーキは、
濃いブルーのデコレーション。 
クリームに何で着色したら あんな青になるんだ? 
クレヨンみたいな青。
しかも、彼女は、いちど失敗したケーキをゴミ箱に捨てて、
もういちど作りなおす。
やっぱり、ブルーのデコレーションの
ビターなチョコレートケーキを。
なんという努力だろう。必死に整えられた、彼女の家庭。
ケーキは苦く、クリームは、きっと しょっぱい。辛いケーキだ。
私たちは、私たちの人生を生きている?
家族の幸せを、
「指差し点検、OK. OK. OK.」って生きてるみたい。
夫の仕事を手伝って、内助の功? 過剰適応だよ。
同じ空しさと、危うさだ、こりゃ。

 今、私が、一番やりたいことってね、
 知りたい 知りたい 世界を丸ごと。
 人の心の奥深くまで。
 表現したい、今の私には、まだ手の届かないところまで。
 女どうし覗き込めば、同じ焦燥、生き難さ。
 もっともっと、話をしたほうがいいんだろうね、私たち。
 もっと、みんな。
 
それからだ。
 ともかく、私が私の日常で、感じたことを書くことを、
 また,始めようと思ったのは。
 彼女が読むかもしれない。
 遠くの友達が読むかもしれない。
 誰かが読むかもしれない。
 そば屋の女将さんは,変わりもんだと思いながら
 
それなのに、なぜか、ネットにつながらない。
 思いが、どこにも届かない。



[子どもは人間として、尊ばれているか]9/27

 世論調査で,教育基本法改正について、
賛成が,59%だというのである。
理由は,「現代の教育を取り巻く問題に対応できてない」
が、多い。
 「現代の教育を取り巻く問題」って、なに?
 目立つところで、子供の犯罪が多いっていうこと?
それで、道徳心とか,愛国心を入れようって、自民党のおじいさんたちは言っているのだ。
 しかし,改正賛成の人の中でも,愛国心、道徳心を入れる必要があるという人は、17%。回答を得た人の59%の中の17%だから、全体の、10% にすぎない。
 ところで、「現代の教育を取り巻く問題に対応できていない」のは、教育基本法に問題があるからなのだろうか。
 全体の、16%の人が現行の基本法を評価し
 全体の17%の人が「改正しても教育問題に対応できるとは限らない」と答えた。

 そこで、わが国の教育基本法をみてみると、
 「個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期する」とあり、
 第1条  教育は、人格の完成を目指し、平和的な国家及び社会の形成者として,真理と正義を愛し,個人の価値を尊び,勤労と責任を重んじ,自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。
とあって、第2条以下略だけど、立派な教育方針だと思う。

 問題は、老害国会議員が、真理の意味も、個人の尊厳の意味も、深く考察したことなんかないだろうことにあるんじゃないか。
  私たちの社会が,個人の尊厳を重んじているだろうか。
  子どもたちは、個人として尊ばれているだろうか。
  一人の人間として、その意思、その感情を大切にされているだろうか。
  尊厳を大切にされたことなんか、一度もなかったとしたら、
 そこに育まれる感情,人格は,どんなものだと思う?
  他人の意思や感情を大切にできると思う?
 犯罪の温床は、そんなところにあるのではないか。

 しつけを厳しくし、道徳心や愛国心を押し付けるても、
 問題解決になどならない。
 別の問題を作るばかりである。 



[たかが選手]9/27

「たかが 選手」って言ったのね。
ナベツネこと、渡辺恒夫 元読売ジャイアンツのオーナーが。
「たかが労働者」「たかが市民」「たかが住民」「たかが国民」「たかが女」「たかが子供」
「たかが○○」これは、人権感覚を表すキーワードだ。
小泉内閣の動きはまさに「たかが国民」「たかが国会」
憲法改正も、国連常任理事国入りも勝手に進んでいくではないか。
国家は、まるで 企業や経営者のごとく、凶暴である。
強引で勝手で、野蛮である。


 プロ野球初のストを決断した 古田選手会会長が 
試合を楽しみにしていたフアンに 謝り続けた。
その古田に フアンは エールを送り続けた。
 フアンと選手の連帯が、経営者側の態度を改めさせた。
 2004. 9月23日 プロ野球経営者側は、
「フアンの皆様へ」と言うメッセージを寄せた。

  • 「ーー球団、選手双方がこれほど長い時間に渡って真剣に話し合ったことはかつてなく、
    最後には、互いに歩み寄りながら解決策を見いだせたことは大きな収穫でもありました。
    今回の事態は、プロ野球界が様々な難題を抱えていることを図らずも浮き彫りに致しました。
    プロ野球界は70年の歴史に安住することなく、改革の努力を続けなければならないと思います。
    私達は、プロ野球の未来のために、選手、フアンの声に耳を傾けながら、
    真剣に構造改革に取り組んでゆく所存です。
    今回の事態が、プロ野球の歴史の汚点ではなく、新たな出発点となるよう努力を続けたいと思います。」

 真摯である。
 古田選手会長の人間としての器量がたぐり寄せたとも言える。


イラクの大量破壊兵器は出てこない
 情報は間違っていたと、米国のパウエル国務長官は認めた。
 米国の今の政府の中で、パウエルは唯一、誤りを認める勇気のある人だ。
イラクで、日本のフリージャーナリストとボランテアの若者が捕虜になったとき、日本中が 政府と首相とマスコミの尻馬に乗って、「自己責任」だ、「迷惑」だと言った。
そのとき、パウエルが言ったこと、
 「日本人は、彼等を誇りに思うべきだ。誰かが、リスクを負わなければ、世界は前へ進まない。」
 パウエルの言葉は、彼自身の生き方と信念に裏付けられているようだ。
 千人の米兵の死と、1万数千人の、(誰もまともに数えていない)イラク人の死。
 アメリカの戦略家によれば、戦闘におけるイラク人の死傷は、副次的損壊というのだそうだが、
人間パウエルは、それをどう思っているのだろうか。
 もしも痛みを感じるならば、どう行動するのだろうか。
パウエルは、国連で、スペインのサパテロ首相の演説を、どう聞いただろう。
「テロとの戦いで、テロはなくならない。最も喜んだのは、テロリストだ。」
アナン事務総長の演説を、どう聞いただろう。
「たくさんの民衆の死を招いた戦争は、明確に、国際法に違反している。」

これらの批判に、人間パウエルはどう応えるのか。
 金持ちのばか息子のブッシュには、考える能力も精神力もがない。
 ネオコンの妖怪どもの、(ノーメイクで、ハリウッドの悪役できそうな、面々)操り人形に過ぎない。
 われらが首相も、考える能力もハートもない。
 せめて、ブッシュのプードルをやめて、パウエルの猫にでもなって、 「テロとの戦いで平和は生まれない、憲法九条は、世界の理想、人類の希望だ。」 とでも、爪を立ててくれればいいのに。
 なぜ、いつも、アメリカの要望に大慌てで合せようとするのだろう。
 たとえ対立しても、パウエルには、相手が言うことを考えようとする姿勢があるのに。
 ああそうか。小泉さんが、そういう実りある議論が苦手なんだ。



[辞書]9/23

 イギリス人と、ギリシャ人の夫婦
 結婚したばかりの頃
 二人のテーブルには、いつも、辞書があった。

これが、ここ3年くらいの間で、一番ロマンチックだと思ったことだなあ。

私たちの現実は、そうはいかない。
テーブルに辞書なんかないし、話し合おうともしない。
不満があっても、話し合うことを信じていない。
お互い、自分の言い分ばかりで、相手の言うことなんか聞こうとしないし、
話し合っても無駄だと思っている。
 家族もそう、職場もそう、自治体もそうで、首相も大統領も国家もそう。 
 国家の先制攻撃にしても、追いつめられた弱者のテロにしても、
 そうでしょ。

だから、最近、プロ野球選手たちの、労使交渉が、やけにまぶしい。
話し合いといっても、球団側は、報道や世論の動向を見て、立ち回っているに過ぎないが、
選手たちの闘いは、球団に、所有され、利用され、支配される状態からの、
あたかも権利宣言のようだ。
野球に対する愛と、粘り強い交渉で、新しいプロ野球の未来を拓いていくかのようだ。
 「報道ステーション」の見出しがよかったね。
「それでも僕らは野球を愛す」
「僕らは人生の一大事に、あなたのように闘えたらと思うのです。」
このコピー考えてる人、だれ? いいなあ。 

 世の中、かなり疲れてますけど、
 やっぱり、大事にしたいのは、
 私たちの間に,いつも辞書があること
 感性と想像力を最大限に使って、解ろうとすること。



[安全であって、平和ではない]

「防衛による安全保障こそが、国家を維持させる。防衛論者が求めるのは、安全であって,平和ではない。」   野口正彰氏
  目から鱗。
 テロの不安、他国からの攻撃の不安から自由になるとしたら、
 軍備を増強し、防衛や攻撃の構えをとるのではなく
 話し合い、理解し、譲り合って信頼を築くこと。

 それが,平和の作り方。                     

 宮沢賢治が言ってたなあ。
みんなが,幸せでなければ、一人だけで,幸せにはなれないって。   ん? 一人でも不幸な人がいたら、ほんとの幸せじゃないって言ったんだっけ?                           



[8月]8/25
 
 8月は
 日本兵が 中国で 
 60年前に 犯した罪を 
 国家の罪ではなく 自分の罪を
 戦争だったから 命令されたから
 などと言わず 
 自分の罪として
 殺した子供の開いた目が
 自分を見返してくると
 自分が命令したと
 謝って許されるもんでないと
 何十年も経ってやっと
 聞く人を得て 告白する本を
 とぎれとぎれに ずっと読んでいた
 
 その型にはまっていさえすればよかった軍隊の、             規則、規範、教育を
 一枚一枚剥ぎ取って、
 皇軍兵士は、個人の心を取り戻したのだ。

 心は、人に委ねまい。
 私たちが、自由だと言うなら
 人を殺すという判断も 自らに由るということ
 責任を自分で、負うということ

 おそらく
 殺した人の人生を
 生きていたら歩めたであろう人生を
 一刻一刻 想いながら 自分の人生に重ねて
 詫びながら生きること           



実験 〜権威と服従についての〜8月

 アメリカで行われた実験
 記憶テストで、間違えると、電気ショックを与えることにする。
 間違えた者に電気ショックを与える権限を、実験参加者に与える
 人は、権限を持つと相手の苦しみなど関係なく、行使するものなのか。
 相手が見えないという条件下では、
 実験参加者全員が、300ボルトの電流を送った。 
 権威による許可があったので。 
 命令に忠実と言うことが、道徳になっている。
 アブグレイブでも、おんなじことがおっこったのだろう。



[こども]8/27

 楽しそうな こどもの笑い声って、いいじゃない。
 夏のこどもたちは 庭で犬と遊ぶ、草を摘んで遊ぶ。
 泣いているこどもの悲しみは、あなたも 昔知っていた悲しみ。
 子供の頃の息もつけないほどの悲しみと くやしさ
 思い出すと、胸の痛みも思い出す。

 お母さんが、一生懸命なだめながら、困っている。
 隣の席のおばちゃんが、一緒になだめてくれている。
 客席には、うんざりしている人もいるけれど、
 いろんな年齢の人たちのなかで、笑いの輪ができたりする。
 昔は、みんな、こどもだった。
 あなたも。



[雪]1/19

今日は、午後から雪になりました。
なぜか、ほとんどのお客さんがお酒をのみ、窓の外は雪。
花如雪 (はなゆきのごとしと読みます。)は、伊那の造り酒屋の宮島さんが梅庵の酒としてくれた酒。純米と、純米吟譲があります。すっきりとしていて、豊かな含みがあります。他にも、宮島さんのお酒がいくつか。
本醸造から生原酒、濁り酒まで。



[木金定休日]1/18

 梅庵は、今年から、木、金曜日、お休みです。

店主とおかみさんでほとんどやっている店だから、休みの日に雑用がたまっている。

だから、もう一日の休みに外仕事、畑仕事 地域のこと、を、どうしたってやりたい。

今まであまりやれないできたけれど、ここで生きていく基本だと思うし、農業生産に関れるなら、人としてこんな幸せなことはない。とおもう。

内の萱の風を深呼吸して 畑仕事だっ。

 

[2003年です]1/17

今年は、もっと雑記帳を書こうと思う。

今年の目標は、コミュニケーション かもしれない。

お店でも、その必要を感じるのだけれど、仕事中は、ばたばたしているだけだから

雑記帳で行こう。 と思っている。

 いま、いちばん気になっているのは、「塩」で意気投合した、お客さんのことで、

最近、おみえにならないんですけど、お元気でしょうか。

「熊に合ったらどうするか」という本をお見せしたら、ささっと帰られた。

なんか、まずかったかな。 お元気だったらいいんですけれど。

今年の鴨南蛮も美味しいですよ。半もりってのも出来ます。鴨南蛮とか、かけそばの。

ちょっと食べたいと言う向きにうけてます。

お客さんは、インターネットとか、きっとやっちゃう方の気がするので、こんなん書いてます。ただし、この時期、寒いし、遠かったりだから、なんなら、セットで送りますよ。奥さんが、ひと手間だけれど。

 えー、冬の一月、二月の 寒中のそばは、ほんとにおいしいです。

宅急便で 辛味大根つけて送ってますので、みなさんご利用下さい。

お店に来ていただいても、ゆっくりしていっていただけます。

冬の梅庵は、よろしいですよ。

 木曜日と金曜日がお休みなので気を付けて下さい。

[となりのたまこさん]12/12

となりのタマコさんは60代、ヨシハルさんは70代のご夫婦である。農家で、ウチが使っている辛味大根も作ってくれている。
タマコさんは働き者である。ヨシハルさんが腰を悪くしたこともあって、草刈りでもマキ割りでもブンブンと仕事をする。
仕事をしながら孫の子守りもする。ときどきタマコさんとお孫さんがかくれんぼうなどをして遊ぶ声が聞こえてくる。大きな声である。

このタマコさんが、村の寄り合いの時などにポロリと話す春話が実に良いのである。

まず、日本昔話のおじいさんとおばあさんを思い描いて下さい。

「ことしの秋はきのこが出んねえ」
「雨が降らんもんでちっとも出ねえだよ」
「おとうさんのきのこは雨が降ってもちっとも出ん」
「もう、だめだなあ」「さすってみたって、ひっぱってみたってなんともならねえだよ」
 そんなことしてりゃあ へぇ、そのうち足の方から寒くなってきて、
「おとうさん、もう今夜は寝るまいか」

こんなふうに、ドングリの実が落ちるように、身体的な自然を受け入れて話される春話を他に知らない。

こんな話が集会所で出れば、みなは大喜びだが、シャイなヨシハルさんはすこし憮然として黙り込む。
それをタマコさんは少しも気にしない。
ヨシハルさんが作詞した青年団の歌というのを一度聞いたことがある、熱い歌であった。佳い声であった。
ヨシハルさんは、シャイなロマンチストなのである。

今、梅庵には、ヨシハルさんと、タマコさんの作った、辛味大根と、梅本さんに送ってもらった、京都の辛味大根と、農業青年、滝沢君の作った辛味大根と、おなじみ、布袋さんの辛味大根がある。どれも、辛くて、あまみがあって、こくのある、大根です。

この大根で食べる、ざるそばが、たまりません。                   地方発送もしてるでね。辛味大根つけて送ってるで、家でそばを茹でて、たべてみな、 ほらあ、たまらんに。年越しそばも、受付中。



[カレ−ズって知ってますか?]12/6

アフガニスタンで、3000年以上前から利用されてきた生活農業用地下水道のことです。今のアフガニスタンの干ばつは、天災ではなく、旧ソ連軍が侵攻して、カレーズを徹底して破壊したことによります。

少し前の、そのカレーズがアフガニスタンの大地をうるおしていたころの事を描いた「世界一美しいぼくの村」と言う絵本があります。小林豊さんという、日本の画家が描いた絵本です。春になると村中に花がいっぱいに咲き、夏には果物が実ります。市場はにぎわい、羊などが売り買いされています。村の人達は、みな親切に旅人をもてなします。

でも、3000年もの間、手入れされながらアフガニスタンをうるおしてきたカレーズが1979年のソ連侵攻以来、徹底して破壊され、相次ぐ内戦などで修復もできないまま、 干ばつにも見舞われたアフガニスタンの大地は乾き切ってしまいました。そこへ、アメリカの空爆です。

この冬、このままでは、10万人の餓死者が出る事が推測されましたが、緊急支援を呼び掛けた、現地アフガニスタンで活動するNGOぺシャワール会に、11月12日段階で2億5千万円がふりこまれたそうです。

多くの人のぺシャワール会への信頼と、止むに止まれぬ気持ちがそれだけの支援を集めたのでしょう。これで、餓死者を出すことは、回避されました。

冬が来る前にと、ぺシャワール会は、パキスタンのぺシャワールから、現地調達によりトラックで小麦粉と食用油を輸送し、アフガニスタンに配付を続けています。 国連の機関など、大きな組織になるほど、機敏で、効果的な行動がとれないものです。組織の維持にお金がかかり、安全の確認に時間がかかるので。

それにしても、ぺシャワール会の人達には、あたまがさがります。そして、ぺシャワール会は今後の展開として、世界食料計画など国際機関による食料配付の見とうしを確認の上飢餓の危機が去れば、医療活動とアフガニスタン東部水源確保(井戸掘り、カレーズ修復)に立ち戻るのだそうです。

私は、大国の思惑に翻弄されてきた、アフガニスタンの人々に対して、カレーズを修復するのは、ほんとうは、ロシアやイギリス、アメリカの責任だと思う。でも、自衛隊が、アフガニスタンに爆弾を落しているアメリカ軍に協力することをなんともできない日本人の一人として、私達にも責任があると思う。

カレーズが、もとどうりに機能を果たし、井戸や灌漑用水路が大地を潤して、アフガニスタンに緑が蘇り、花が咲き、果物が実り、子供達に笑顔が戻って来る日のために、わたしも、信頼するぺシャワール会に対する支援を続けていくつもりです。



[再々開宣言]11/30

今日は11月30日だよ。再開宣言をしてから、またえらい日がたってしまった
なにしろ、9月11日に、ニューヨークでツインタワーが崩れ落ちてしまってから、ブッシュが報復戦争をはじめてしまって、テレビからも新聞からも目が離せない。

だけど、どうして、アフガニスタンの人達が、あんな悲惨なめにあわなければならないのかわかんないね。 テロの容疑者を捕まえて裁判にかければいいと言う話じゃないのかね。相手は、国家じゃなくて、テロリストなんだから、これは、犯罪なわけでしょう。犯罪者をかくまったからって、もしも警察が、捜査の段階でその家の主人も子供も奥さんも殺しちゃったりしたら、それも犯罪だよ。

ブッシュは新しい戦争とか言ってるけど、武力復仇は、国連憲章2条4項で禁止されてるんだって言うじゃないの。国際法違反じゃないの。

しかも、アフガニスタンに対する空爆って、報復ですらない。ものすごく筋違いだと思う。あんなにたくさんの関係ない人々を殺してアメリカは、みずからの罪をどう考えるんだろう。そのアメリカについていく日本って、本当に恥ずかしい。

アメリカ軍に物資を補給だとか、インド洋に日の丸をたてるだとか、日本の政府のやってることは恥ずかしいけれど、日本のNGOで、真剣にアフガニスタンの人達のために活動している人達がいる。ペシャワール会のひとたち。中村哲医師とか。あなたも、アフガニスタンの人々のためになにかできないかと思ったら、ペシャワール会のページに行ってみて

ところでずっと前から新そばになってるよ。

[再開宣言]
09/07

ワハハハハ、一昨日から夏休みをやってしまった。今、9月7日だよ。2001年だよ。
冬からなにしてたのかって言うとなにしてたんだろ。
夏に知り合いが来て、雑記帳、楽しみにしてたのにあの後続かないねと、一人ならず、二人だけど、言われてしまったので、再開宣言。
5月だったか、6月だったか、千葉県の中学3年生が5人で、ネットで調べたと言って修学旅行の時にきてくれた。席を取ると、しおり?を、全員が取り出してなんだか確認してるの。うーん修学旅行だって感じ。うちにも中学3年生の息子がいるわけよ。
で、ちょっと楽しかったんだけど、いよいよ高校受験なんだよね。
でも、15歳としては、川に行って魚を突いたり、バク転の練習をしたり、ゲームのキャラクターのレベルを上げたり、映画を見たり、することは色々あって忙しいらしい。
 映画と言えば、ロードショウで、タイタニックを見たぞ。(映画館には行かないところが、おもいっきりおばさんである)で、良かった。びっくり。ハリウッドが、アメリカ映画が、こんな骨のあるの作るんだ。
 ところがテレビで見る限り映画評論の人達が言ってることって、涙 涙とか、なあんなんだあ?もうちょっとましなこと言えよ。
 わたくし、『洗練された差別』ってことば、最近一番、ズキンとした言葉なんだけど、それ思い出したね。日本もさ、差別的な序列にみちあふれてて、例えば偏差値なんてね。で、勉強のできる子は、ダーテイないじめなんて、ダサイと思ってる。だから、他者と距離を置いて、和やかに、丁重につきあいながら、巧妙に差別しあっている。そういう差別が 生理になるとね、『真っ当にはたらきもしない南の国に援助などする必要はない。その援助にけちをつけるなんてむかつく』といった、大国主義におちいったりするらしい。
ヤバい。相当ヤバいと思うよ日本は。でもアメリカも、あらゆるさべつにあふれてるからね。で、タイタニックに話を戻せば、軽やかに差別を超えていくわけさ。というより、壊してしまう。くもりない自由な魂によって、保守的で臆病な欺瞞に満ちたものを。若い人達がね。おばさんは、そこが、本当に良かったなあ。そして、ローラばあさんが、欲の皮の突っ張った連中が追い求める碧いダイヤを海にポチャンして、くけけとひとり楽しそうに笑うところが良かったなあ。
梅庵は、もうすぐ新そばだよ。



[今日も暇なのである]12/12

 十二月に入って、やっぱり、めっきり暇なのである。やっぱりクリスマスだしなあ。
そばじゃないもんなあ。年の瀬だし。師走だし。正月も来るし。いろいろ気になるし。
夜は忘年会だし。うちは夜はやってないし。
 だけど、赤ちゃんを連れた若い夫婦が、朝早くやってきて、店が開くのを待つ間、畑の前の道で深く息を吸って、冬晴れの空を仰いでいる
 店が開くと、そば二人前の注文。そばの後、そば湯を出すと、「美味しいそばですね」
他にまだお客さんはいなくて、静かである。
 そばだけっていうこういう頼まれ方、好きだなあ。
 一杯の茶でもてなすみたいなそういう雰囲気があるじゃない。
 今日は、俳句の会とかの人たちも来るという電話があったので、たまには風流して野の花でもテ−ブルの上に置こうかと探しに行って一句。 高校以来である。

・・冬の野に 残れる花を さがしおり

出来上がったのはこれだけで、未完成なのがやたらとできた。

・・冬の野に 残れる花は 春を待つ花 なずなはこべらほとけのざ
・・花もとめ来し 冬の野に 春待つ枝を 見つけたり

五七五七七にはまらない。七五調では行くんだけど。テ−マは悪くないと思うんだけど。
でも、はめようという気がない。定型って不便だ。

こんな風流な気分で遊んでたのに、テーブルには冬芽の美しい枝と春の七草を置いたのに、俳句の会の人たちどうしちゃったのかしら。こなかったんだよね。女将さんが遊んだだけ。猿の群れがいたので一句。

野の獣 冬毛をまといて あそびおり

一応定型出来。梅庵は冬にこそ来るべし。



[今日あたり暇なのである]12/2

土曜日だけど、師走の声を聞くと、すっかり暇なのである。
今、一時半だけど、女将さんはこんな事していて、亭主とバイトは本を読んでいるのである。先週あたりは、お客さんを待たせて謝ってたんだけど、今日はのどかである。
日の当たる窓をてんとう虫が這っていくではないか。
こんな日に来ると、お客さんの顔ものどかである。
窓の外を眺めながら、ゆっくりとくつろいで、中には昼寝をしていく人もいた。昼間酒を三合ばかり、そりゃ寝たくなるわ。
そして亭主とバイトは本を読んでいるのであった。



[お客さんごめんなさい]11/29

やたらと待ってもらわなくてはならない時がある。お客さんは並んで待っていても、テーブルについて注文を言えばそばはすぐ出てくると思っている。
ところが、やっとテーブルについてもらっても、なかなかそばが出せないのである。今聞いてきたその注文の伝票の前に、六つも伝票が並んでいるのである。
厨房では、はじからなるべく早く出すべく戦っているのだけれど、なにしろ酒、やきみそ、くわやき、卵焼き、そばがきなどという注文が入るものだから、そばだけが整然と出ていくという訳には行かないのである。
そばを頼んで、となりの席に運ばれてくる酒、やきみそ、くわやき、卵焼き、そばがきを眺めながら、じっと待っているお客さんの視線が痛い。
店主は酒飲みである。もちろんそばが好きでそば屋になったのである。理想のそば屋酒を出そうという気ももちろんある。で、ウチは酒が旨くて安い。そば好きの酒飲みには堪えられないだろう。だけど、なー。
子どもとおばあちゃんを連れてきたお客さん、なかなかそばが出なくってごめんなさい。お客さんみたいなグループが来た時は順番飛び越えて、酒飲みはほっといて、そばだけ注文のお客さんのところに、ましてやおばあちゃんと子どもがいるんだから、とっととそばを持っていこう。
なんか今日はそう思っちゃったんだよね。素人そば屋としては、こんなことも経験からひとつひとつ勉強するしかないのである。こうやって、サービスのスタイルも選択され、作られていくということなのだなあ。



[何しろ始めなくってはしかたがないのである]11/28

ページだけ作って、いったいどのくらい真っ白だったのだろう。
たしか前、頭にきた客のことを書こうと思ったのだったけど、そうだ、あの時は塩を蒔いたんだった。あとにも先にもあれ一回きりだ。
その客は、「もっと上の味があるんだよねえ、もっと上の味が」と言ってそばを食い、「安いねえ」と言って金を払っていったのだった。
安くてなにが悪い。もっと上の味がなにだかは知らんが、できうる限りの最上の粉で、最上の水で、大真面目に打って、たっぷりと盛り、この値段である。
高くてちょっぴりの、上品なそばを食いたかったら他所へ行け。
というわけで、塩を蒔いた。あーすっきりした。

ウチはこんな店である。気の張らない店である。予約はいらない。子どもも歓迎。禁煙。
よかったら来てね。

 

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