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令和6年5月のつぶやき

 

基本と感性

稽古において物事や行動、存在の判断の基準になるものが基本としたら 、それらを時間をかけて積み上げていきます。

次にその基本から感覚的に感じたものを頭で整理し、心と体に違和感の 無い動きに沿っていきます。

それらを更に磨き上げて情緒的に仕上げていった時に合気道はとても美しい和合の体現を生み出していく武道です。

競技的に考えれば互いに競い合い優劣を決める。

この競技の世界にも素晴しい学びや調和も存在しますが、合気道は競ったり、争わない為、生き方、有り方の調和に特化した道であるように思えます。

技をかける人と受けをとる人が互いに五分であります。

言い換えれば 生かし合いの世界であります。

この五分の世界で技をかける人に不安感があれば心身が反応し、力んでその体現は強さを表わすようになります。

 どのような展開になっても相手を生かす体現、そして生き方を目指したいと思います。

この道を示して下さった阿部豊雲師範に感謝申し上げます。

2024.5.1

合気道倉敷天領塾 川西登

 

 

 

令和6年3月のつぶやき

 

「性格」を正さなくても「態度」は正すこと。

大切にしたい事であります。

何歳になっても「態度」は変えられると信じたい。

「態度」が変われば「言葉」が変わり「行動」が変わるはず。

年齢を言い訳にしたくないという理想もありますが、歳を重ねると色んな言い訳を用意する事ができます。

言い訳する本人は理屈が通っているように思えても、受け取る側からすれば納得いくものではない事が多々あります。

言い訳にはその人の生き方が映し出されます。

そう考えると「態度はその人の生き方」である ように思えます。

だからこそ、合気道倉敷天領塾では「入門」「退会」時のやり取りを大切にしております。

心苦しさのある「退会」を申告する時程、言い訳から伝えるのではなく、「結果」から 自分がどうしたいのか?から伝えるように徹底しております。

言い訳をしなければならない人生より、自分の考えを堂々と言えるような過ごし方を、道場を離れてもしてもらいたいと願いを込めて稽古しております。

2024 3:1

合気道倉敷天領墊 川西登

 

 

 

令和6年元旦のつぶやき

 

2023年は皆様のお力添えにより、たくさんの幸せを感じる1年となりました。

「この幸せを感じる」状態とは目に見えないものが動いた時と思われます。

その多くは私達が気付かない間に受けている親切という優しさであります。

優しさ、厳しさを感じ、喜びや怒りや不安を感じながら生きております。

その中でも悪口を言われた時、我が子が泣いている時、それらに囚われる感情に支配されている状態は、育みは勿論人生も明るく開けない。

支配から抜けて人生の大きな目標をしっかり持っていると悪口や不安な我が子の表情に人生を左右される事はない。

有り難いと感じた時には、言葉にして相手に、そして自分に届ければよい。

感謝の心に比例して幸福感が高まるはず!

迷いから覚め仏の中に眠る赤子(安心しきった)に戻る心境でこの1年を 過ごしたいと思います。

2024 元旦 合氣道倉敷天領墊 川西登

 

 

 

令和5年11月のつぶやき

 

最近、子供の「自信」がついたらやりますという言葉に違和感を感じています。この「自信」とは何か?自分を信じる事ができないのは何故か?私なりに考えたところ「答え」が分かればやる。分からなければやらないという事ではないかというところに行き着きました。子供達は生まれてから今日まで「答え探し」をしながら生きてきたのではないか?それでは生きていく事が迷いの連続で苦しい日々になるのではないか?人生は算数ではないのだ。学校では「答え」を探せば良い、しかし私達は生身の人間なのだ、「答え探し」ではなく「答え」を作っていく事が人の道であり、人生を楽しむ秘訣なのかもしれない。「答え探し」を大人になってもしていくと子を持った時に「子供がやると言ったらやらせます」と言う親になってしまう。親の主体性が無いのだ。1つの道に本人の意志を尊重してやらせるという事は大切な事の1つでありますが、相手は子供なのだ。大人と子供で「答えを作る」事が子育て、親育てに重要ではないかと考えております。子供達が大人になって子育てを楽しめますようにと願いを込めて...

2023.11.I合気道倉敷天領塾川西登

 

 

令和5年9月のつぶやき

2023716()、コロナの影響で出場が叶わなかった日本武道館で開催される全日本少年少女合気道錬成大会(全国大会)に、4年ぶりに出場する事ができました。

完全終息ではないが、5類感染症移行となり、昨年末から準備を進め多大なお力添えを頂けました事、心より御礼申し上げます。

全国大会に出場した子供達の指導の中で、私はたっぷりのプレッシャーをかけていきました。

それは、やる事に集中!という事です。

やる人間は「考える」「悩む」その時間を無駄な時と考え、即行動に移す事を意識していると伝えました。

心が居着いては輝けないのです。

不安はゼロにはならないが、やるに集中する事で小さくはできる。

だから歴代の先輩達がビックリするものを体現しよう!と声をかけ、目を閉じて腹式呼吸をし、なりたい自分を心に描き、小さくなった不安となりたい自分を抱きしめるようにして演武に入ってもらいました。

流した汗と涙が心にしみ込んでいった経験は子供達だけでなく親御様、サポートしてくれた少年部OBOG、そして私達指導員まで大きく成長させてくれた全国大会だったと思います。

この雰囲気や流れは今後、道場の仲間や関係の皆様へも遍満していくと確信いたしております。

2023.9.1合気道倉敷天領塾川西登

 

 

令和5年7月のつぶやき

 

道場で伝える心は、申せば公平です。

「平等」が与えてくれるものとすれば、「公平」は配慮する事で同じ結果を得る事。

故に、子供達には公平は配慮とし生きる道として伝えています。

その場に応じて判断をする。「先輩は親、後輩は子」をモットーにして人間を学ぶのです。

同じ子供同士でも先輩は親ですから、後輩が行き詰った時には、普段から作り上げた関係を生かし、愚痴を吐かせガス抜きをさせてあげるのです。

そこから更に信頼関係が生まれ、「やれるよ!」「何とかなるよ!」の言葉で背中を押してあげる事で、後輩()は前に進めます。

ここで先輩()が「それは○○が悪い」と言ってしまった途端、後輩()の心は逃げ道を探すようになります。この「○○が悪い」は適正に使う必要のある言葉だと考えます。

こうやって、実際に親になった時に生かせる感覚を、合気道を志す中で学んでもらえたら、道場での時間も子供にとって豊かなひとときになると思います。

子供達の未来が明るいものでありますようにと祈りながら、私は「悪」であり続けたいと思います。

子供達の心を生みの親御様へお返しする為に。

2023.7.1合気道倉敷天領塾川西登

 

 

令和5年5月のつぶやき

 

私達にとって最大の敵は「ためらい」です。

幾つになっても自分はこうだからと決め込んでしまえば楽かもしれないが、それだけの人間にしかなれないのです。

いつも前向きに生きたいものですが、私達には不安や安心の感情もあるのです。

文武両道という言葉があります。

脳の働きから考えると左脳は「理屈」、右脳は「感覚」です。

「文」が左脳、「武」が右脳と考えた場合、バランスが大切といえよう。

理屈と感覚が重要な私達のコミュニケーションでは、それらを特に子供時代にある程度、体得しておく必要があります。

大人になってからでは大変苦しいものになるからです。

その為、当道場ではお休み等々の連絡は子供達自身にしてもらっています。

当事者意識を子供なりに体感してもらいたいのです。

親心で細かく過剰にサポートしている親御様のお子様は残念ながら当事者意識が育くまれていない為に、自分で行動、判断する事が苦手になっている事が多々あります。

ある程度、助言やサポートをしたら、静かに見守る事も大切です。

その為に、右脳と左脳をバランス良く使いたいものです。

全ては私達大人の「願い」から始まります。

2023.5.1合気道倉敷天領塾川西登

 

 

令和5年3月のつぶやき

 

大谷翔平選手は大リーグでの活躍、実績について記者に質問され、自分の「努力」の事は言わず「環境のおかげ」と感謝した。

今から56年前の発言である。

その年齢での自分はどうだったか?と考えさせられた。

他者を尊敬し、感謝できている状態は自身を高めてくれます。

そして、自信につながるはず。

自分自身でまわりに感謝してる人間になろうとしたり、そう思い、そう受けとろうとする事で、承認欲求が満たされる方向にいきはじめます。

そうあろうとする努力が大切なのです。

幼き子のように無邪気に「スゴイ!」「ウレシイ!」と胸躍らせていくと、生きる力が減り、生き生きと過ごせる事が前向きな承認欲求と考えます。

逆のマイナス承認欲求は不安から見栄えを張り、背伸びをして本人は良かれと思って相手にした事が、大変な迷惑になる事がある。

稽古でいうと「教え魔」であり、親子関係でいうと「過保護」である。

悪気はなく相手を思っての事だが、このマイナス方向の方々は、いつも満たされていない為、自分の事を受け入れてもらえないと分かると口をきかなくなったり、時にヒステリーを起こしてしまう事がある。

そんな時こそ、日本人の若者である大谷翔平選手の言葉を幾つになっても憶えておきたいものであります。

2023.3.1合気道倉敷天領塾川西登

 

 

令和5年1月のつぶやき

 

新年明けましておめでとうございます

わが国、日本において2020115日に最初の新型コロナウイルス感染者が確認されてから丸3年が経過しようとしています。

コロナへの対応も変化の兆しも見えそうである。

道場では多くの大切な命を預っている事を考えれば昨年までとは違う対応をしていく時期がきたのかもしれない。

演武大会、日本武道館(東京)での全国大会、合宿等々の開催や出場が頭を悩せる。

しかし、私達は霊長の資格を持った人間である。

消極的な考えが生まれたなら、ただちにそれを打ち消し、明るく、おおらかに生きる選択をしたい。

目に見えないものこそ、絶え間なく変化する。

変化を恐れない者にこそ、その場の風が行くべき先を囁きかけてくれるのだ。

年少の人達であっても、仲間と築いた使命感と連帯感を持った精神から大きな、大きな奇跡が生まれてくるはずだ!

顧みても悔のない生き方が私達の最良の喜びになる。

そして、その道のりに自分の全てが映る。

この1年、悔いの残らぬよう過ごしていきたい。

2023元旦 合気道倉敷天領塾 川西登

 

 

令和4年11月のつぶやき

 

勇気ということ

涅槃(ねはん)(やすらぎ)は、煩悩の燃えさかる中にこそ、求めるべきである。

私達は、これが正義、真実であると信じたものの、虜になってしまう。

人はそこから自由を失う。

先輩()でも後輩()でも恐ろしくて、分からなくて、自分を見失いそうな時でも必要な判断・行動ができる人こそ「勇気」のある人です。

後輩()を見ていると、つい手を差し伸べたくなるのが心情である。

ここで、このタイミングで後輩()が自身で考える時を少しでも持たせる事が「育み」になるはず。

木の上に立って見る!と書いて「親」であります。

煩悩の中で、やすらぎを得る為に世見体や自我で見ていると「木」から降りたくなります。

「木」から降りない待つ勇気を大切にしたい。

2022.11.1合気道倉敷天領塾川西登

 

 

令和4年9月のつぶやき

 

経験値にしていく

生きていると何度か失敗を経験する。時には同じ失敗を繰り返す事もある。失敗したときに保身の為に慌てて言い訳をしてしまう心理は人間として自然の事と思われる。

しかし、それは失敗をただの失敗として終わりにしてしまい、なんの役にも立たない失敗にしてしまう。

目の前の壁を乗り越えて、今を生き、学ぶきっかけにすれば経験値となるはずだ。

立ち止まってしまった時には色んな意見や言葉が耳に入ってくるはずだ。

それらに耳を傾け前向きに学ぶ姿勢がいつまでも若々しさを保つ事になる。若さは年齢ではないのだ。

生きているかぎり、失敗はゼロにする事はできないが、ただの使えない失敗にするより、次に生きる失敗を心がけたいものです。

 

 

令和4年7月のつぶやき

 

「難」に感謝

数日後に控えた創立記念の演式大会。

コロナ感染対策に加え、熱中症対策も考える必要がでてきた。

人生をやっていると必ず何回か「難」に出会う。

生きているからこそ「難」に出会う。

無難に「難」のない人生を選択したくもなるが、「難」が有るから有り難い人生になり、感謝の人生になると信じたい。

人生色々あるから笑って泣いて感動できるのではなかろうか?

困難を突破した後の平和ほど幸福なものはない!

私達は生きているだけで素晴らしいのです!

 

 

令和4年5月のつぶやき

 

「親」から「子」へ、「先輩」から「後輩」への本当の思いやりは、

うまくいかない時に「大丈夫」と言うより、

気持ちが落ち込んでいる時に「元気を出して」と言うより、

友人に仲間に嫌われた時に、失恋した時に「またいい出会いがある」と言うより、

ただ傍にいて話を聞いたほうが相手は救われる。

焦って何かを言うより、相手にとって余計な言葉ではないか?

そこを大切に判断をしていく。

何より言葉にできない気持ちこそが思いやりとなる。

伝える側は落ち着いてニコやかに接していく事が鍵となるはず。

 

 

令和4年3月のつぶやき

 

アニメや映画等で、子供が自分の親を名前で呼び捨てにしている場面を目にしたことがあります。可愛らしくて、フレンドリー、フラットな関係を連想させます。実際に親を呼び捨てにしている御家庭も少しづつ増えているとか…。

それぞれの家のことですから基本的に自由ですので否定はいたしません。ただ、子供達の心の中で育まれるはずの他人との距離感に影響が出てくるのではないか?と心配になります。

親御様の言い分としてみれば「距離感を縮めたい!」という狙いがあるようです。私は本当にそれで良いのか?疑問に思っております。例えば、ファストフード店やコンビニの店員が「お客様と距離を縮めたい!」という考えでいきなり友人のような言葉づかいで接客してきた時に、心地良く感じる方もいるでしょうが、多くの方は急速に間を詰められて嫌悪感を抱く事があるようです。やりたい事を求められる事の距離に問題があり、このやり方は危険が潜んでいるように思えます。

話は変わりますが、「親を尊敬するか」と、人生経験の浅い子供に聞けば何の疑いもなく「尊敬」という言葉を選択する。血縁関係のない他人様を尊敬する時の尊敬と同じで良いのか?家業の2代目、3代目でやり方を尊敬するは良いとしても、またとんでもなく苦労されていた時に「自分の親は凄い」と感じる事はあっても「尊敬」で片づけてよいのか?

親子愛の関係性を考えた時に私は敬う愛と書く「敬愛する」という言葉を選択したい。まだ人生経験の浅い人達は何となく耳障りの良い「尊敬」を選択するかもしれませんが、周りの大人が言葉と距離感を大切にすることが育みの一つになると考えます。

私は8歳の頃から合気道をしておりますが、合気道では他者と競わず、自身が疑問を持ち続けるか?自分の心の中でパワーを蓄えて、人生の流れに乗る事を目指しています。そのためにこの2つは大切にしていきたい。

 

 

令和4年元旦のつぶやき

 

自分で新しい引き出しやドアを開けてみる。

そこには未知の「怖さ」が伴うから私達人間は頑張れる。

その姿は年齢を超えて人々を惹きつけ魅力的なものになる。

取り組む姿勢と流れる汗は、その人の個性を出しきり、正に「魂を貫く」姿となり人々は共鳴し、やがてその人の虜になってゆく。

その人の「行動と言葉」熱いものと人々が感じるであろう。

その熱き思いの人は、共鳴してくれる人達と生きてゆきたいと強く感じるであろう。

この新しい引き出しやドアは、会社で言えば社長がグループ・団体であれば、リーダーが全て開けていく為、No2、No3はその「怖さ」とは無縁である。

それだけ立ち位置が全く違うのである。

その立ち位置と熱量を埋めていくものは「意識」が大きく関わってくる。

若くても、問い詰められた時に、「申し訳の立たない」行動をしているものは、トップとの距離が開け続けネガティブになり心と体が老け込んでいく。

年齢を重ねても、「申し訳の立つ」生き方をしていると心身共に若々しく生きていける。

諦めずに面白がって過ごし、「やる事がない」「何をしたら良いか分からない」が私達にとって一番の毒である事を知り、先達の方々、子供達に申し訳が立つように過ごしたい。

 

 

令和3年10月のつぶやき

 

私の目指すところ

 

「波」と「水」に例えると、「波」は現象で本質は「水」である。本質は変わらない。凡夫と仏である。凡夫とは普通の煩悩にとらわれ迷いから抜け出せない衆生である。仏のように素晴らしくても、一見「凡夫」のように感じるような人柄だったり、技術を修めていきたいと考えています。

哲学者の老子は、最も最低なリーダーは部下からバカにされるリーダーである。その上は部下から恐れられるリーダー、またその上は部下から尊敬されるリーダー。最も優れたリーダーは部下からあまり存在を意識されないリーダーである。悠然としてめったに口を挟まず、ことが成し遂げられれば人々は「自分達でやった」と言うでしょう。これでリーダーの仕事は達成なのです。と言っています。

程遠いところではありますが、そんな人柄を演じて過ごしたいと思います。道場の稽古の中で、一目で先生がそこにいる!と分かってしまうのは未熟と考えます。なぜ目指す人柄を演じるのか?答えは単純に「私」が邪魔になるからです。「私」があると個人的な好みに偏り、好き嫌いで判断していき、「私」という個人的な許容範囲を抜け出せないからです。

親子関係でも「親」を演じるがなければ、私的な感覚で育児をして、どうしても過保護になり、子供達の主体性が育まれなくなります。

気がつけば「親」が、「師匠」がいた!という関係こそ「寄り添う」という事になると思います。役を演じる事で、関係のバランスや許容範囲を超えた素晴らしい日常が保たれる。その道こそ、大切にしたい。

 

 

令和3年8月のつぶやき

 

目的という最終的なゴールに向けて、その道筋で立てていく小さな指標を目標といいます。

それらは全て未来に向けて作られるものであります。

これらが明確になっていれば、今の過ごし方や心の状態が準備をする方向へ向けられ、

少々の苦労や困難にも我々は立ち向かえるようになる。

スポーツやダイエットも同様である。

今の自分が喜ぶ選択をやめ、未来の自分が喜ぶ選択をするのである。

それは子育て、孫育ての親、祖父母も同じで、目の前の子供、孫の表情で一喜一憂するのではなく、

子や孫の将来を期待し、信じて、今泣き喚こうが励まし続ける事が我々大人の役割ではなかろうか。

可哀想な子だ!という思いで子供達と接すると、それを感じとり、自分で自分は可哀そうな子だと信じ込み、

周りの大人に同情を引こうという心理が働き、友好的に関わってくる同年代の仲間を悪人に仕立て上げるようになる。

しかも本人は悪気も自覚が無い状態で、友人ができない!と苦しむ。

私達大人は「できる」「やれる」「頑張れる」と子供達を信じ、期待し、健やかな成長を願い、

励まし続ける事を大切にする必要があるかもしれない。

 

令和3年6月のつぶやき

 

「男らしさ」「女らしさ」

 

トランスジェンダー、性同一性障害の方々をより良く理解する為にも、

多くの人達が「男らしさ」「女らしさ」を自身の意識の上に置いておく必要があるのではないか?

学校等では様々な配慮の中で、「男らしさ」「女らしさ」を語ってはいけないようになっている。

ザックリ言うと、男性は筋肉が多く、闘争的本能が本来の特性のようにイメージできる。

女性は包容力があり、優しさで育む能力は、男性より抜群に持ち合わせている。

個人差はあるが、そんなイメージを大切にして「男らしさ」「女らしさ」から

「自分らしさ」を知るべきである。

そして、「役割の違い」を知った上で、共に仕事をすれば、素晴らしいパートナーになれる。

夫婦であれば絆が深まるはずである。

「役割の違い」の理解を進めなければ、単なる競争相手になってしまう可能性が出てくる。

子供達に聞けば、女の子は「頼りになる男の子」、男の子は「優しい女の子」が理想と言う。

「男らしさ」「女らしさ」を語らないのに、「自分らしさ」を語るのは本末転倒である。

 

 

令和3年4月のつぶやき

 

合気の道(合気道)は自他との調和の道

 

人生において何事も思い通りにならない。

親子関係、友人関係や生き方、老いに至るまで自分の力ではどうにもならない。

そんな事に憑りつかれている状態、それは正に「苦」である。

諦めるのとは違う「そういうものだ」と「悟り」の状態に入れば、自然にその人に笑顔が溢れ、

その人自身が「パワースポット」になる。

そうなれば、その人の手に「正しさ」が握られているようになる。

ものの見方、考え方、言語、注意判断の仕方、全てが「正しさ」に導かれます。

この「正しさ」とは、直感的(感情的)なものと、理性的(熟慮的)なものがあります。

直感と理性を行き来し、ゆらいでいるのが人間と言えます。

そんな中で大きくブレない生き方を得る為に人は「大義」を大切にするのです。

「家族を守る」「仲間を守る」「自分を守る」「国を守る」「皆の幸せを守る」といった、

人が踏み行うべき最高の道義である「大義」に基づく「信念」に辿り着く。

その「信念」が我々に「勇気」を与えてくれる。

これらを理解した時に私達は自分の本源に帰るのだ。

共に生きているという歓喜に輝き、光に照らされる。

光の中心に、魂の本源に帰る為の道、それが合気の道と私は考えております。

 

 

令和元年6月のつぶやき

 

私が趣味?でやっている

とても下手なゴルフ(ゴルフ)

 

良い球を打ちたい(ナイスショット)のか?

良いスコアを出したいのか?

曲がる球でも良いスコアでまわれる

 

とあるプロが言っていました

 

岡山県内の合気道の普及の道も……

 

良い技(または伝承)をしたいのか?

良い普及をしたいのか?

本筋から外れた技でも、やり方で普及する(うけとる側が魅力を感じれば)

 

と個人的に考えています。

 

ちょっとドライな言い方になりますが、

門下生がいなければ、普及も伝承もないのです

 

微調整は伝える先生の腕次第()

 

まず伝え方に創意工夫をし、

興味を持ってくれば少しずつ微調整すれば良いと考えています。

 

それでも技の形を守りたい人も

いる事も事実です

 

そこは否定しません

ただ、勿体無い

 

ゴルフのレッスンプロはたくさんいる中で、たくさんの伝え方(進化)をしています。

(レッスンプロの数だけ…)

私は大いに

学ぶ必要があると思います

 

 

 

偉そうに……スミマセンm(__)m💦

 

 

平成30年2月のつぶやき

 

長く同じ事を経験していると無意識に出来てしまう動きがあります。

それはスポーツや仕事、勉学の中にでも現れることでもあります。

それに自ら気付く為には、あらゆるものから「感受」しようとする姿勢が大切であります。

大敵なのは当たり前になってしまい気付かないことです。

何事にも感謝の念を持ち続けることが「感受」の種になるのではないでしょうか。

私のやっている合気道では、技をやる人と、受けをとる人(攻撃態勢で臨み、やられる)になり、

技と受けの型を行い稽古してまいります。

ある合気道の先生が、人生の極意は「受け」であると仰せられました。

「受け」は単なる「やられ役」ではなく、技をやる人と同様に自分の中心を保ち、自分を守る・・・

受けは技に通じているのだと私は考えています。

この考え方から、一部の合気道の有段者が大人や有段者のみを求めて稽古してしまうのは

危険であると思います。

他のスポーツ、武道ならば子供達がいれば、子供と練習、稽古し、技術を言葉に頼らず伝え導き、

大人も学んでいるはずです。

小さな子供の柔らかく、弱い力を感じ「受け」をとっていないと、

名人達人といわれる先生、師範の手を握れるチャンスがあっても、

何も「感受」できないで、成長も見込めない。

成長の可能性がある人ほど、好んで子供達と稽古できるし、大人同士、有段者同士で組んでも

無駄にアドバイス、説明に走らず「感受」する事で相手と向き合おうとするはずです。

初心者や子供達をつかまえて「教えてあげないと!」という善意の思い込みが

その人の「感受」する能力を低下させていく。

「感受」出来る人こそが言葉に頼らない説明上手なのかもしれません。

技、受け身の体得は、言葉1割「感受」9割くらいで調度良いのかもしれません。

そういった意味では「待つ心」が大切なのです。

 

 

 


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