USA−P in 大阪 2
・ 7月21日 − 前編


○ 天満天神繁昌亭 『客席参加型落語体験ツアー』。

 朝はどんよりとした曇り空で湿度はあれど日差しは無く、今日も一日無事楽しめれればいいのだが…
と思いつつホテルをチェックアウトし向かうは南森町の天満天神繁昌亭。今日はまず朝席の『落語体験
ツアー』なるものに参加するのだがはてさて… っと、初めての場所故に若干迷いながらも到着した
繁昌亭の前には既に行列が。

開場の9時45分の40分以上前で既に行列が…

 どうやら団体さん組のようで、こうなると一般自由席の我々はあまり席には期待出来そうに無いな…
っといささか落胆しつつも昼前まであるこの朝席に備えて一旦商店街を出て立ち喰いのうどん屋にて
の朝食。うどん一杯¥180って安さと比べてコシのある食べ応えのあるうどんと出汁のきいたつゆが
実にいい塩梅。讃岐方式の天婦羅等をトッピングしても¥500でお腹一杯になるお得さ美味さに自分
らが大阪にいる事を改めて体感しつつブラブラと散歩して時間を潰す。天神祭りが近いからか、境内で
はその準備にノンビリとかかっている人達もいていい雰囲気で、機会があれば天神祭りも見てみたい
ものではあるが… ってトコロで開場。残念ながら団体さん優先で一般客は二階席って事で残念な
気持ちではあるが、なにせ¥1500で手拭と扇子がオマケについたこの朝席、桂三風氏は見た事が
無いが、多分初心者向けの落語講座にプラス、ってトコだろうなぁ… っと、ややぎこちない、えらく素人
くさい案内係らにイラつきながら席につく。

繁昌亭建設費出資者の名前が書かれた提灯が天井にもズラリとあります。

 既に写真やら何やらで見ていたこの繁昌亭建設費の出資者の名前が書かれた提灯だが、二階席
で見るそれはなかなか壮観。入り口で渡され手拭と扇子を開けてみるとそこには寿限無の名前と可
愛いらしいイラスト入りのもの。アンケート用紙に若手の落語会のチラシを見ていると僅かに客電が
落ちて落語家さん達がご登場するが、その人達が入り口でチラシやら配っていた人達の中にいた事
に吃驚もする。そりゃまぁ手際が多少悪いのもしゃぁないわね。
 で、
この落語体験ツアーというのは落語により親しんでもらおうという若手のイベントで、その為通常の席
とは違って上演中の写真撮影もオッケー、普段は未就学児童の入場不可なれどこれに限っては可、
という事で客席は昨夜のなんばグランド花月並みに様々な年齢層のお客さんで、まぁ寄席好きの人
からすれば邪道なのかもしれんが私にはこれはこれでアリじゃぁないかな? と思う。敷居が高いと
それだけで敬遠されてしまう落語を、ブームだからとアグラをかかないでこうやって地味なれど、大変で
あろうとも入り口の1つとしてやろうというのはいい事ではないかと思うのだが… あ、でも今回配った
手拭が手拭が売店では¥700、扇子が¥1000ってわざわざお得なのを言及していたのは大阪らしさ
なんでしょうかね?(笑)

今回のツアーを担当された落語家さん達の前説。 三風さんによる落語という芸能についてのお話中。

 しっかし、桂三風氏以外にも月亭遊方氏、笑福亭たま氏と若手落語家さんの中でも私でも知ってる
人がいるというのは何となく嬉しくもあり。特に笑福亭たま氏は『らくごくら』で「くっしゃみ講釈」を実に
伸び伸びと演じられていたのが楽しかったのですが、たまたま二階席担当となってそれも私達夫婦の
すぐ傍で見た御尊顔はなかなかに鼻っ柱の強そうないい感じの若者でますます好感を持ちましたな。

 さて、

 まずは三風氏による簡単な落語の歴史と道具等のお約束事をサラリと。小さい子らには退屈かな?
と思ったが、三風氏の存在感と親しみのある解り易い語り口で場内は穏やかなもの。関連する芸能と
して別の芸人さんによる南京玉簾の実演があり、締めた後で遊方氏による「ちりとてちん」。
 先に三風氏と落語における扇子や手拭で現す所作例を見せているのもあってか1つ1つの所作を
見やすく解りやすく大きく見せるというのもそうだし、「ちりとてちん」を食わされた竹の苦しむ様を高座
どころか舞台の上をもんどりうって転がり回るというもので、高座後に三風氏が
「こんな激しい「ちりとてちん」は見た事がない」
 と言っていたくらいで落語好きの人にとっては大袈裟過ぎる、臭い、わざとらしい、って思うのかもしれ
んけれども個人的には
「これはこれでアリなんじゃぁないんだろうか? と言うか、よくここまで徹したもんだよなぁ…」
 と好印象なんですけども。
あくまでも落語に馴染みの無い人達や寄席に馴染みの無い人達に向けてのものであって、その解り
やすさの為の大袈裟さ、クドさがいかに好みでなかったとしても文句をつけるのは筋違い。同じ朝席で
も若手の落語会や勉強会ならば兎も角、これはそういう企画物なんだし。

 今から40年近く前の事、演芸ブームに押されて上方落語の危機と言われた時代があったそうな。
そこで当時の若手の落語家の一人(入門5年目)が落語を二人でコント風に演じる「ステレオ落語」や、
三人以上で落語を演じるコント「噺家団地」をやり、大人気を博したそうですが… その若手の落語家
こそ笑福亭仁鶴、噺家団地の初期のメンバーに桂小米朝(月亭可朝)、笑福亭光鶴(枝鶴)、林家小染
(先代)だったそうで… 詳しくは『らくごくらWEB編』のバックナンバーの「噺家団地」んトコを読んで
下さいませ。

 んで。

 噺家が芝居をする鹿芝居にしろ大喜利にしろ、初期の頃は邪道、外道と言われた事だと思う。
が、「落語を見る」という時に必要なポイントや慣れという点では色々な工夫や試行錯誤があった筈で
突き詰めて言えば新作や現代版へのアレンジ、構成の変更とて同じ地平にあるものではないのか?
 大体、落語に馴染みの無い人にとっては前でちょっと高い舞台で壇があって話を聞く機会なんての
は校長先生やら何処ぞの先生の講演などであってつまらない、堅苦しいってものか、そうでなければ
結婚式やら何やらの退屈、冗長ってイメージがあろうし、一人で演じる落語での空間表現も見慣れて
いなければただ座っているだけにしか見えないであろうて。まして生の舞台を見る機会が無かった人
ならどうか? TVのようにズームもパンも別アングルへの切り替えもしてくれない生の舞台を「見る」
から「観る」事に慣れていなかったのなら?
 無論、それに対してどう解りやすく伝えるのか? というのは人それぞれだと思うし所謂名人、大看板
ならここまでドッタンバッタンとしなくても別の方法なり普段のままでも伝えられたのやもしれんが、それ
はそれ。游方氏は今回の客層を見て自分の力量も踏まえた上での判断をし、それに徹して大爆笑と
なったんだけども客層が違えば違う「ちりとてちん」になっていたであろうし、もしかしたら別の噺をして
いたかもしれんワケだし。そりゃまぁ私とてクドいと思わなかったワケでもないし、
「意図は解るけど、でも落語がああいうのだと思って別の人のを観てガッカリするんじゃないのかな?」
 という妻の感想も解らなくもないのだが…

 次に誰かの「ちりとてちん」を見た時に今回のと違いが楽しみになるかもしれない。また游方氏の違う
落語を聴きたくなるやもしれぬ。ラジオやTVとは違う舞台での落語の見方、フレームの1つとしてこれ
はこれで立派なものではないかと。何より寄席という場所で笑った事はいい思い出になるんじゃぁねぇ
んですか? まずはそれが大事なんじゃぁないのかな? っと私は思うんですけどねぇ…

 最後は三風氏による客席参加型落語「三年一組同窓会」。
参加と言いうのはお噺ん中の同窓会での乾杯と拍手ってトコを一緒にやり、飲み物を飲む仕草をすると
いうものなんですが、会場の皆で「乾杯!」と言う事での一体感もさる事ながら三風氏がいつ合図を
出すのか?という事で自然と舞台の演者に集中するようになっているのにも素直に感心しましたな…
 こういうのもまたブームに胡座をかかない、これからのファンの為の間口、入り口の1つとして、そして
これからの落語での表現の試みとしてアリなんじゃぁないのかなぁ… と、途中お客さんがアンケート用
紙に記入した手拭や扇子での所作の実演等もあっての1時間半、アッという間に終わって楽しい気分
で小屋を出ようとするとこの朝席で出演された落語家さん達が出口に揃ってお見送りをしてくれて、
その景色に神社からの祭りの練習の音が重なりいい気分になりつつ繁昌亭から離れ、とりあえず一息
つく為に喫茶店でお茶をしながらさてホテルにチェックイン出来る午後3時以降までの間、どうしましょう
かと妻と相談する事にするも、何となく体に寄席の感じが残っていて。
「いやぁこれは何か勢いついちゃったなぁ… 」
「って事は昼の部、観てく?」
「いいかも〜 っか、今日の昼の部は三代目桂春団治なんだよね… 生で観れるのなら観たいなぁ…」
「しっかし、今日は朝、昼、晩と繁昌亭で落語漬け?(笑)」
「それもいいんじゃね?(笑)」
 という事で急いで出て繁昌亭に戻るも切符売り場で
「今日の昼の部の席はさっき売り切れました。後は立ち見となりますが…」
 って事で、通しで5時間、下手したらその間ずっと立ち見ってのも流石にシンドイのでスッパリと諦め
目指すは新世界、そして四天王寺! と駅に向かった。



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