USA−P in 大阪
 ・ プロローグ。



 それは今からふた昔にはちょっと足りない頃、19歳の私は東海道線に3時間以上揺られて
大阪駅に着いた。騒然とした、ピリピリとした空気に気を引き締めつつ階段を昇りつながら私は
今回の大阪旅行に浮き立っていた。
 
 東海地方は関東と関西の汽水の地域と言え、関東のTV局も見れれば関西のTV局も見れる。
ラジオにしてもどちらのタレントも来ているように、転校生にしても関東からの人間もいれば関西
からの人間もいた。地元のCBCラジオでは上岡龍太郎が「ドランゴンズの本拠地・名古屋在住
の阪神ファンにおくる番組」ってのをしていて、土曜日学校から帰った御昼時には吉本新喜劇が、
午後には桂三枝のヤングオーオー!が放送されていて、関西弁やその番組にも馴染みがあった
のも大阪行きの理由の1つではあったが、それよりも私の周囲にはリアルの関西人が少なからず
いたのも彼の地への思いを抱かせるには充分だった。

 はじめは小学校5年生の頃に神戸から転校してきた某君だった。
まさにメディアでしか知らなかった関西の言葉を話す彼氏は凄くインパクトがあった。そして大学生
になった時には京都、奈良、神戸、兵庫、三重、そして大阪の同級生の知人や友人らがいた事も、
この地へと誘うものになっていた。

 どこに行こうと決めていたわけではなく、誰か知り合いを頼ろうというものではなく。ただただ何と
なく甲子園球場と大阪城でも見て、後は適当にブラつこう… そう、オノボリサンで浮かれ気分で
歩いた私は、前方をよく見ていなかったので人にぶつかってしまった。間髪入れず次の瞬間
「いったいなぁ… どこ見て歩いとんねんッ!」
 っと怒鳴られた相手に私は愕然とした。
週刊少年チャンピオンかマガジンのヤンキーもののマンガに出てくるレディースのような濃い化粧
に変な髪型にキッツイ香水の匂い。ほとんど無さげな眉を逆立てているオネーサンにしどろもどろ
になりつつ謝ろうとするもフンと鼻を鳴らせてあっという間に人込みの中に消え、残された私には
冷ややかな視線が突き刺さった… ように思う。

 その瞬間、びっしりと冷や汗をかいた。

 着ているものが違うのもあるし、初めての場所だからいちいち動くのに慣れてないから目立つって
のもあるんだろうが、しげしげと私の顔を覗き込むような地元の人の動きに胃が痛くなってくる。別に
その顔に軽蔑やら侮蔑の表情が浮かんでいるわけではないのだが、どこの誰とも知らぬ同士の筈
の周囲の人が皆、一様に同じように警戒するでもなくまして挑発するのでもないが、観察をしている
ような雰囲気が私の心の底に恐怖を滲ませる。

 気持ちを落ち着かせようと駅構内の喫茶店に入るも
「なんかな、関西の人間やないのが関西弁使うとなんや物凄く馬鹿にされてると思うねん」
 友人の一人の言葉が思い出される。
「じゃぁ標準語でいいのかよ?」
 と言う私に
「まぁそれはそれでなんか好かん」
 と笑った友人の言葉に、どうオーダーをすればいいのか解らず黙ってメニューの中からアイスティー
の文字を指差したくらいに私は既に恐慌状態に陥っていた。

 来るんじゃぁなかった。
 じゃぁ帰るか?
 それは悔しい。
 けどビビっとるやんけ。
 だけどこのまま、ビビったまま帰るのはもっと嫌だ。

 
 そう思って歩き出したものの、名古屋とは比較にならない人の多さやエスカレーターなど右側待機
ルールの違いで自分がどんどん疲弊していくのがよく解る。大気の湿度、排気ガスは名古屋ほど
ではないものの、田舎住まいの身にはやはり負担にもなるけれど、どこに行っても雑多な人込みが
続く感覚にはウンザリしてきて。
 
 夕食にと入ったお好み焼きの店で、丁寧に標準語を意識しつつ注文してホッとするも、店の人間が
常連らしい客と唐突に
「なんやかんやと言うても、やっぱ関西が一番やで!」
 と、これみよがしに話しながら焼いて出されたお好み焼きとコテは悪意にしか見えず、箸を頼む気力
すら萎えながらコテだけで食べ終え逃げ出すようにして金を払って店を出た時、ドアの向こうでドッと
おこった笑い声に被害妄想が炸裂しかけるのをグッっと堪え、泣き言を繰り返しかける自分の心に
蹴りを入れつつ電車に乗ってやっと辿り着いた甲子園球場に入るには既に時間が中途半端になって
いたので周辺をブラつきつつ梅田のあたりに戻ろうと駅に向かうと六甲おろしの大合唱をしてる集団
にクラクラきた。しかも電車の中でも大合唱は続いているのにはもぅメゲて、逃げるように梅田で降りて
どこか安宿をと探す途中で見かけた居酒屋にて一息つこう、っと入ってカウンターに座るなり
「なぁ、吉田はホンマ、ボケやろ!」
 っと隣りの客に肩を掴まれて言われた時、私の心の中でポキリと折れる音がした。
 
 なんとか予算に合った黴臭い安宿の、薄い黴臭い布団にくるまりながら
「もぅ、二度と大阪には来ない。」
 と私は思った。
何もかもが私には駄目だった。好き嫌いを通り越して苦手も超えて、駄目だと思った。
こちらが関西人じゃないと解ると殊更に、くどい、わざとらしい関西弁で話かけてくるのも駄目ならば、
あの猥雑な空気も、ゴチャゴチャとした町並みも何もかも、憎しみや恨みという感情ではなく駄目だ、と
いう拒絶でしかなく、翌日の早朝、ほぼ始発の電車で大阪を離れる事にした私は電車に乗り込む前
にガイドブックも地図も全部ゴミ箱に捨てていた。世の中には、合うものもあれば合わぬものもある。
無理をしてまで付き合う土地だとは思わなかったし、あえて来るような必要も無いのだし…
 
 以来、私にとって大阪とは、新幹線で通り過ぎる街でしかなかった。
自分が間違ってた所や考えが足りなかった所など、あの大阪旅行での反省点などは時間の経過に
よっていくつも解ってはいたものの、それでもまず苦手意識の方が先に立つ場であったし、あの後で
色々と旅行した中では、人が人としての意味が薄く、さながら石コロや吸殻の程度とさして変わらな
いくらいの「他者」への意識しか無い東京の方がずっと性分に合っていると思ってもいたから余計に
大阪へと行くだけのモチベーションなり動機も持てずにいた。



 しかし…
 
 オギャァと生まれた赤ん坊が大学生になるだけの年月が経過する間に、私の中で大阪への感慨が
若干変化をしてきはじめていた。
 
 元々、関西の人間との付き合いもあった私だけに格別に大阪を嫌う理由は無かった筈だが、よくよく
考えてみるに近江、三重、神戸、京都、奈良などの人の関西人評ってのの影響も大きかった事への
気付き。
 
 生まれや育ちがどこであれ、いい人間はいい人間だし、悪い人間は悪い人間でしかない、という当た
り前の事実。
 
 長年大阪で仕事をなさっていた義兄の愛情溢れる大阪という街への語り。
 
 全部賛成も否定もする気も無いが、「また大阪か」「大阪民国」などとネットで揶揄されている風潮へ
対しての違和感。

 そして何よりも廉価版DVD一枚程度で行ける大都会…
 
 
 
 会社から有休消化の為にと強制的に拾得させられた3連休を大阪旅行に決めた時も、19の夜を思い
出して迷いもした。しかし私が負け犬として逃げ出した事への復讐として… 大阪という街へ、人へ、
ではない… 勝手に打ちひしがれ、被害妄想に陥って、悪酔いした挙句に反吐を撒き散らし、涙で枕を
濡らした自分への復讐と克服にと再び私はガイドブックを手にしていた。

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