USA−P in 沖縄
・ 11月26日 (日) 前編
湿度と温度の高さに結局クーラーのタイマーが切れる度に目が覚めてあまり熟睡したとは言い難い
ものの、さして疲れを感じないのは旅先ならではの事なのか? のそのそとホテルの用意してくれた
バイキング形式の朝食を食べ終えてゴロゴロしてから出発時間の8時10分前に玄関を出ると、既に
待機しているバスにはそれなりに人がいて、結局5分前には全員揃っての出発、となる。
「いやしかし、今回のツアーのお客さんって皆律儀っかちゃんとしているねぇ… 普段のバス旅行な
んざぁ大抵3,4人の自分勝手な馬鹿野郎が出発を遅らせるもんなんだが… 」
っと言うと
「いやぁヤッパリちゃんと点数を集めて懸賞に応募するような人達だからキッチリしている人達ばかり
じゃぁないのかなぁ?」
という妻の意見に何となく納得。
「ひょっとして全員A型かも」
いやそれはどうかは知らんが。
▼ 茅打ちバンタ
朝観たTVの天気予報では午前中は雨、の筈がさんさんと照らす陽光に輝く海と空。
「沖縄の天気予報はあんまり当たらないんですよね〜」
とはバスガイドさんだが、いくら当たらないにしたって普通降水確率40%って出て晴れるかぁ?
まぁ天気が良いのに越した事は無いが… っと思っていたもののバスを降り立つと
暑ッ。
予想最高気温25度とか言ってたけどそれも外れっぽいなぁ(汗)… なんか体感的にはもぅ26度か
そこらあるような… ジリジリと焦げるような感覚に本当に今は11月末なのかよぉ解らんくなる。
そんな陽気のせいか緑の勢い、色の濃さが青い空と海とのコントラストになっていて、普段は植物
にもあんまり興味の無い私でもカメラを構えてしまう。
っと撮っていたりしていて
「これ、朝顔に似ているような… 」
「沖縄ではこういう気候のお陰か朝とか夕方とかじゃなく一日中、年中咲いているんで万年顔って
呼んでます」
とはバスガイドさん。
観賞用や競技用のに比べれば随分と小さい花ではあるが他の花々に混じっていてもこうやって咲い
ている姿はなんとなく可愛らしい。
てれてれと歩いていくと辿り着くのが茅打ちバンダ。
束にした茅を投げ込むと下からの風で束がバラバラになってしまう、という事から命名されたそうだ
けど、高さもあまり感じないし何より海の色の青さがそういう厳しさとか激しさをあまり感じさせな
いんだよね… 東尋坊とか親不知とかだとなんかもぅ覗き込む前から怨念を感じさせるような場所だ
ったもんだが…
まぁひょっとするとヤマトンチュには教えれない色々なお話があったりするんだろうかなぁ… っと
思ったりもしながらその場を後にして。
▼ 金剛石林山
ツアー用バスを降りたら今度は送迎用のマイクロバスに乗って登山道まで… って道程がUSJの
ライド系の如き揺れ&ローリング。一瞬『ジュラシックパーク』を思い出したけれど、確かにソテツとか
が生い茂っていてこんだけ暖かいとラプトルくらいいてもおかしかない風景に思えたが、到着して降り
立つ登山コースの前に広がる
海洋石灰岩の隆起と侵食によって出来た風景はさながら中国の山水画で描かれた桂林のようでも
あるが、あちらが薄曇の空の下ならこちらはあくまでも原色。
自然だからこそなんだけれどもなんとも不思議な気分。古代の聖域であった場所で現在でも神事
が行われる場である、というのも頷けるが
だからこそ様々な形に侵食された石達に「スーパーサイヤ人岩」とか「ピカソ岩」って名づけて立て札
まで設置してあるのは個人的には何となく興を殺ぐ感じ。
神様が沖縄に初めて降り立たれた場所、なんっしょ!?
絶景コースの頂上から観る景色も綺麗なんだけどねぇ…
▼ 辺戸岬
沖縄本土最北端の地。風がすごく気持ちいい。
「かつて米軍による占領統治時代、一日も早い本土復帰を願いこの辺戸岬と与論島でかがり火を
焚いていたそうです」
とはバスガイドさんの説明なのだが、ここでちょっと個人的に引っ掛かるものがあり…
「その『本土』ってのは一体何処を指したものだったんだろう」
っと考えなくもなし。
琉球独立運動でも様々な考え方があり。システムとして道州制での話はあっても沖縄という州として
統一メンタリティをと言っても本土内だけでなく石垣島やらの周辺の島等の事も考えると色々な事情
やらもあってそう簡単にひと括りに出来るものでもないだろうし…
…ってのだけでなく、バスガイドさんの説明によく使われる『内地(ナイチー?)』といい、『本土』と
いう言葉にも何か壁と言うか、持つ意味や抱えるイメージは多分説明されても理解出来ないんだろう
なぁ… っとボンヤリと思う。
▼ 琉宮城蝶々園
御土産屋兼団体客も対応可能な食堂でのお昼御飯は沖縄茶漬け。
おひつの御飯の上に錦糸玉子や海ぶどう、その他色々盛ってあるんだけど、それをよく混ぜてから
お茶碗に盛り付け出し汁をかけて食べる… というもので見た目も食べ方も名古屋のひつまぶしに
非常によく似ている。後で店員さんやバスガイドさんが言うには地方によって御飯の上に盛ってある
食材の違いもあり、もっと一般的なお茶漬けに近いものもあるそうだが澄んでいるけれどコクのある
出し汁が旨くてついつい完食してしまってから蝶々園を散策。
二重のネットで囲われたスペースではあるが温室ではなくあくまでも蝶を逃がさない為だけのもの
らしく開放的。店内には「蝶は赤い色を好んで寄ってきます」という表記があり赤い色の日傘や帽子
が用意されているのを見るや
「脱げぇッ!」
っと妻にアロハを脱がされて赤エディTシャツだけにされてしまう私。
陽射しがとても強いんでTシャツだけだとチト辛いんだけどなぁ… っと涙目になりつつも暫くすると、
確かにふらふら〜っと蝶々が寄ってはきた。
てふてふと舞う蝶を見ていてアレルギーとか特に無い私らはなんだかのんびり、にこやかな気分に
はなる。
▼ 今帰仁城跡
沖縄に中国文化の影響の強さを最も感じた場所。
先の金剛石林山でも桂林かと思ったが、なんか『三国志』『水滸伝』の世界みたいだなぁ… と、ふと
歩道外の花を撮影しようとするとバスガイドさん。
「あ、歩道からは出ないでくださいね〜 石垣とか草むらにハブがいますから〜 」
…ハブ?(汗)
いつ頃から築城されたのか… その年代は明らかになっておらず、現在発掘調査によって13世紀
末頃から築城が始まったらしい、という説明。沖縄を統一した王様がいてその城が首里城だった筈…
その首里城はちゃんと復元されているのを思うと歴史ってのをまた思い返してしまう。
12から13世紀と言えば鎌倉から室町くらいか。
歴史が勝者、統治者によって編まれ、書き換えられる物語である事からすれば統一王の後も島津に
よる侵略、明治政府による同化政策、そして戦争と米軍統治、と沖縄の歴史には改変と消失が何度
もあった。叛史(by 豊浦志朗)として伝え残されるには激しいものだったのか…
勿論、いくばくかの「歴史」として伝えられているものもあるようだが…
何となく『荒城の月』を思い出したり、
國破山河在
城春草木深
っと杜甫の詩が浮かぶものの…
かつて城郭があったとされる場所から見下ろす景色は空も海も咲く花も緑もあまりにも濃くて。
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