(1) 菅生均「後藤牧太の手工教育観に関する一考察」『熊本大学教育学部紀要』 第40号 人文科学 p.94 1991年 熊本大学教育学部
(2) 鹿野公子「明治期における手工科の形成過程―上原,岡山,後藤,一戸の手工教育観をもとに―」『教育学雑誌』第32号 p.60 1998年 日本大学教育学会
(3) 松崎巌「教育的スロイドの成立と発展について」 『青山学院女子短期大学紀要』第18輯 p.1 1964年11月
(4) 松崎巌「スロイド教育の思想と実践―シュグネウスとサーロモン―」 『技術教育』 1973年5月 p.49-50
(5) Gustaf F. Lönnbeck ”Suomen Kansakoulu ja Uno Cygnaeus ” 1890 Tammisaaren kirjapaino (グスタフ・レンベック「フィンランドの小学校とウノ・シュグネウス」1890 タンミサーリ出版) p.11
(6) 前掲 Lönnbeck p.11-12
(7) 前掲 Lönnbeck p.12
(8) 前掲 Lönnbeck p.13
(9) Viipuri,現ロシア領,Vyvorg市(サンクト・ペテルブルグの西の都市)のこと。
(10) 前掲 Lönnbeck p.13-14
(11) 前掲 Lnnbeck p. 14
(12) Veli Nurmi UNO CYGNAEUS:Suomalainen koulumies ja kasvattajä Valtion Painatuskeskus, Helsinki 1988 (ヴェリ・ヌルミ著「ウノ・シュグネウス ―フィンランド学校の父そして育成者―」 国立印刷センター,ヘルシンキ 1988年) p.208
(13) 前掲 Lönnbeck p.14
(14) 現ロシア領,サンクト・ペテルブルグのこと。
(15) 前掲 Lönnbeck p.15
(16) 前掲 Nurmi p.43
(17) 前掲 Lönnbeck p.15
(18) この背景にあったものは,フィンランド戦争(1808-09年)後の平和の中で,大学生や若い学者・僧侶・社会人らを中心に1830〜50年代ヘルシンキ・ロマン主義といわれる広範な文化活動が生まれ,この中で育った中心的活動家らが社会の中枢で活躍するようになり,スネルマン(Johan Vilhelm Snellman 1806-1881,ヘルシンキ帝立大学教授で後に自治政府に入閣し,経済相)やその他多くの政治家の後ろ盾によるところ大であった。
(19) 前掲 Nurmi p.53
(20) 前掲 Nurmi p.195
(21) 前掲 Nurmi p.106
(22) 前掲 Nurmi p.124
(23) 前掲 Nurmi p.127
(24) 前掲 Lönnbeck p.27
(25) 前掲 Lönnbeck p.31
(26) シュグネウスの初等教育思想を端的に表すと次のとおりである。
(1) 簡単な文字の読みの教育やキリスト教の初歩の教育は,各家庭で行うべきものである。巡回学校は得るものより失うものの方が多い。巡回学校は親の教育義務を放棄させ,公教育学校の誕生を阻害する。過去の巡回学校は,我々の時代で終りにすべきである。
(2) 小学校の最大の目的は,各種の知識をただ詰め込むことではなく,子供らが時間の感覚を持つことに,そして先生の言うことに,また清潔でいることに注意を払 うよう順応させることであり,五感を使うことに順応させ,子供らを生きた知識,習練を積んだ技巧や手先の器用さを備えることに順応させ,また自分の成長を 理解できるように,自分で物事を判断でき,そして理性を持ち,神に敬虔の念をもつ人間になるように順応させることである。
(3) 小学校は,家庭教育後の初等教育機関として,いかなる門地,家柄の子らも一緒に教育し,その地域の基礎学校としてあるべきで,すべての学校はこの基礎学校の上に置かれるべきものである。
(4) 次の世代にいい教育をするのは女性らであるから,女子の教育と彼女らが通学できるような保護を考えるべきである。
(5) 小学校を成功させるためには避けられない2つのものがある。それはいい教員と制度をよく理解した視学官である。いい管理・運営の教員養成所と制度をよく理解した視学官を必要数確保することが小学校制度定着の成否にかかっている。
(6) いい小学校を望むならお金を惜しんではならない。いい小学校教育からいい人材を輩出し社会が豊かになる。物質的繁栄は費やした金の何倍もの金が償ってくれる。
前掲 Lönnbeck p.30
(27) 前掲 Nurmi p.209
(28) 前掲 Nurmi p.210
(29) 前掲 Nurmi p.211
(30) 前掲 Nurmi p.211
(31) 前掲 松崎巌「教育的スロイドの成立と発展について」 青山学院女子短期大学紀要第18輯 1964年11月 p.3
(32) 前掲 Nurmi p.209
(33) 前掲 Nurmi p.209
(34) 前掲 Nurmi p.209
(35) 前掲 Nurmi p.210
(36) 松崎巌「世界教育史体系 14 北欧教育史」 1976年 p.187 講談社
(37) 前掲 Nurmi p.211
(38) 前掲 Nurmi p.211
(39) 前掲 Nurmi p.211
(40) 遠藤敏明「スウェーデン『学校スロイド』発達史序説」 『筑波大学芸術教育学』第2号1988年3月 p.34−35
(41) 前掲 Nurmi p.128
(42) 前掲 Nurmi p.129
(43) 横山悦生「手工科成立過程期における日本とスウェーデンとの教育交流―手工科に与えたスロイドの影響の再評価―」 『名古屋大学大学院教育発達科学研究科紀要(教育科学)』第50巻第2号(2003年度)p.37