「(前略)言語はいさゝかも通ぜされとも、こなたへ来るべしといふさまなれば、島人もろとも打連て峠を越れば、はや北の海濱一面に見えわたれど人家とては一軒も見えず。(中略)麹むろの如きものの前に連行(つれゆき)、戸を開きて内に伴う。入て見れば横2間計(ばかり)長さ6、7間計(ばかり)に地を堀(掘の誤り)りくぼめ、土際より梁を人字の形のごとくに組み合わせ、横木をわたし、草にて葺、その上に土を覆ひ、正中(まんなか)は土間にて両辺に板を以って床をかきたる家なり。(中略)此島の人は皆穴居(あなすまい)也。」
(前略)言葉はまったく通じないがこちらへ来い,という身振りに従って島民と共に連れ立って峠を越えると,北の海岸が一面に見渡たせるが家らしい家が一軒も見あたらない。(中略)麹室のようなものの前に連れてきて,戸を開いて中に招き入れた。入ってみると横3.6メートルほど,奥行き11・2メートルほどに地面を掘り下げた地面の際から人字形に梁を組み,横木を渡して草を葺き,その上を土で覆ってある。部屋の中は,真ん中が土間になっていて両側に板を渡して床を敷いた家である。この島の住民は皆このような穴に住んでいる。 |
古代のフィンランド人たちがどのような住居に住んでいたか,ラップランド地方イナリ(Inari)にある「シーダ,サーミ文化博物館」(SIIDA, Saamelaismuseo)に光太夫が目にした住居に酷似した住居が展示されている。以下はその写真。
古代ラップ人の住居内部(天井に排煙用の穴が見える)(SIIDA, Saamelaismuseo)
古代ラップ人の住居外観 (SIIDA, Saamelaismuseo)