(2017.12.10掲載,2019.6.7更新,2019.7.2更新)


 

石野裕子氏の著書の間違い

 

 中央公論新社 2017年10月25日刊 石野裕子氏著「物語 フィンランドの歴史 −北欧先進国『バルト海の乙女』の800年−」(中公新書2456)には,多くの間違いの記述が見られます。大学の教員が書くものはそれなりに権威を持ち,一般の人から見れば「間違いではない」となり,正しいものとして独り歩きし始めます。もう少し慎重に願いたいものです。
 詳しく見ていきましょう。

 

Kuva:Jussih

1939年冬戦争前のフィンランド

i はじめに

 国土の形が,若い女性が跪いているように見えることから「バルト海の乙女」とも評される。

 

 「バルト海の乙女」はフィンランド語でItämeren tytärといい, Itämeren tytär(Itämeri=バルト海,tytär=娘,乙女)とはヘルシンキ市のことを言います。

 本のタイトル(物語 フィンランドの歴史 −北欧先進国『バルト海の乙女』の800年−)からして間違っています。これは,「物語 フィンランドの歴史 −北欧先進国『ヘルシンキ』の800年−」と言っているのと同じことです。

 このことを私が手紙で指摘したら,言い訳めいた反論メールをいただきました。

「バルト海の乙女」という表記について
 ご指摘ありがとうございます。ガイドブックなどでヘルシンキがそのように呼ばれているのは存じております。歴史学者Matti Klingeも著書でヘルシンキを「バルト海の乙女」と表現しているそうです。私は「バルト海の真珠」というイメージが強かったのですが(ヘルシンキ大学の研究者に問い合わせたところ、「バルト海の真珠」との表記の方がフィンランドでは一般的に知られているとのことです)、混同してしまうのでご指摘は最もでございます。
 拙著の「バルト海の乙女」は、フィンランド人が誰でもフィンランドと聞いて想起するSuomi-neito、正確に申しますとSuomi-neito以前からフィンランドを乙女に擬人化することがスウェーデン統治時代から行われており、それを指して表現したのですが、重版する時には説明を加えたいと存じます。
 なお、「跪いた形」というのは、1995年に初めてフィンランドに1年間滞在した時に現地の人から聞かされていた言葉です。ロシア統治時代の詩に「湖に跪いた乙女」という表現があるのでそれが由来だと推測されますが、一般的に共有したものではないので重版の際に訂正したいと思います。
                              (石野裕子氏からのメール)

 Matti Klinge,Itämeren tytär でネット検索すると,Otava社の本, HELSINKI. ITÄMEREN TYTÄR (2007年4月発行)がヒットします。
 この本は,Matti Klinge教授の著書で,書名にあるピリオドは,日本語では「:」の意味になり,「ヘルシンキ:バルト海の乙女」ということです。

 石野氏の言うこと,私の言うこと,どちらが正しいのか気にかけていたところ,偶然このことを書いている本に出合いました。

 フィンランド在住こばやしあやな氏の著書,「公衆サウナの国フィンランド」(2019.1.10 学芸出版社)のp.43 8行目に次のような記述があります。ヘルシンキ南西の海岸に2016年に開業した公衆サウナ「ロウリュ Löyly」の施設の説明の中で,

 建物の屋根と同化したスロープには階段が設置されており,頂部の展望スペースに上がると,ヘルシンキ南部の旧市街と新興住宅エリア,大型旅客船の行き交う広大なバルト海とが,同時に見渡せます。まさに,「バルト海の乙女」と称される,港町ヘルシンキの玄関口を象徴するパノラマです。

 以上2つの証拠から,バルト海の乙女はヘルシンキのことだと結論付けることが出来ます。

 

p.99 1915年から16年にかけて,2000人の若者が密かにドイツへ軍事訓練を受けに行き,そこから「イェーガー(ヤーカリ隊)」という軍事組織が組織された。隊員の平均年齢は23.5歳。多くが地方出身者で,農民か労働者階級であった。つまり,貧しい被支配者階級が武力での独立を目論んだのである。

フィンランド語Wikipedia によれば,第1次世界大戦が勃発し,フィンランド国内ではロシアからの独立を目論んだ大学生(当時の大学生はエリート)は軍事訓練志願者2,000名程を募り,そのうち1915〜16年にドイツ・プロイセンに1,895人の男子大学生を送り,狙撃隊訓練を受けさせた。フィンランド独立後,この狙撃隊の内の1,261名は1918年の内戦で白衛軍として勝利軍側についたとなっています。

 ドイツ・プロイセンに渡った1,895人の内,訓練終了後,そのままドイツに残された者/残った者,帰国して白軍に帰属した者,赤軍に帰属した者,訓練中に亡くなった者などがいました。石野氏の文章では,「ドイツに渡った2,000名の多くが地方出身者で,農民か労働者階級で,被支配者階級が武力での独立を目論んだ」と読めるところに問題があります。白軍の最終目標は,ロシアからの完全独立で,赤軍側のボルシェビキの力を借りてというスタンスと異なります。
 客観的,公正・公平な記述が望まれる部分で,一方的に赤軍派に肩入れした記述に問題があります。
 なお,農民を被支配者階級として理解されているようですが,当時の農民(talonpoika)はブルジョワであり,代表を国会に送る権利を持っていました。正確に言いたいのなら小作農や寄生(小作農よりも低い身分の農民/ホームレス)と言うべきでしょう。

 

 フィンランドの内戦について,より詳しい説明は,以下をご覧ください。

   フィンランド内戦と狙撃兵運動

 

p.202 コラム3  本来は薪ストーブで温められるが,現在は電気かガスで温めるのが一般的である。ただし,煙を外に逃がさない「スモーク・サウナ」も数件(筆者注:「軒」の誤り)残っている。

 煙を外に逃がさず,中に充満させていたら息がむせて,入っていられません。人間の燻製が出来上がってしまいます。

 サウナ室とサウナ窯の容量によって違いますが薪を満杯に詰めて燃やし,これを数回繰り返し,石を熱します。この時ドアや換気口を開けておいて,煙を排出します。最後の薪束が燃え尽きたら1〜3時間ドアや換気口を閉めて,熱を室内に閉じ込め,そして入浴前に一酸化炭素中毒死を防ぐため,またベンチに積もった煤を吹き払うため,再びドア・換気口を開けて,石窯に柄杓数杯の水を一気にかけ,蒸気爆発させて一酸化炭素ガス・煤を室外に放出させます(これをhäkälöylyと言います)。それから入浴します。
 詳しくは,ここにあります,ご覧ください。 (フィンランド語)