小説

図書館なり友達なりから「借りた本」リストですね。
手元に残っていない本は意外と読んだという事実を忘れてしまうため
軽いメモ帳代わりとして。

『珍妃の井戸』
浅田次郎
★★★★
『蒼穹の昴』の世界観を継承した後日譚とも言える外伝作品。
義和団事変の折に起こった光緒帝側室の死に纏わる証言を追った
ミステリー形式の物語。

著者の技術の高さに惚れ惚れする作品になっている。
虚実入り乱れた70年代〜80年代大河ドラマかのような歴史小説から
一転して証言仕立ての簡易語り小説へと舞台が移り
まずは、スタイルの変貌に面を喰らうのだが、
読み進めていけば、その根底には滅び行く大中華帝国への一貫した想いが
変わらぬ熱意で詰め込まれている事に気付くだろう。

複数の証言者が相反する事を順番に語り合う展開には、
『蒼穹の昴』において主演の座までは与えられなかった名脇役達が名を連ねており、
彼らの皆が皆、かつての鬱憤を晴らすかの様に、
これでもかと言わんばかりの独り語りの大演説を繰り返す姿は、
言ってしまえば、前作の感動屋オンパレードをさらに推し進めた物だろう。
しかし、今作でのそれは完璧なまでに作品として成立している。
まず先に小説としての面白さが優先する作風が綺麗に嵌り、
直接、歴史の表舞台が描かれているわけではない物語の中では、
一つの事件と人物、あるいは時代そのものに対し、
確かに彼らには、一つの共有されるべき想いがあるのだと
自然に納得もできてしまうのが実に巧い。
必ずしも、彼らが真実を語る存在でない事はすぐに知れるのだが、
だからと言って、虚偽とも言える証言内容と、彼らの人間としての真摯さとが
全く相反せずに同時に両立できる世界観は見事の一言。

ミステリー小説である以上は理由がある。
何故100%真実の証言が聞きだせないのか……
そもそも誰が珍妃を殺したのか……
このオチはミステリーとしての結末だけに留まらず
『蒼穹の昴』から続く人類の業とも言える歴史の重さへのオチである。
平易な仕立てにもかかわらず読後感は贅沢に深いと言う
絶妙な構成の一品。


『蒼穹の昴』
浅田次郎
★★★☆☆
滅びゆく清朝末期の動乱を舞台に
立身の運命に挑む二人の若者の生き様を描いた
虚実入り乱れた歴史ファンタジー小説。

官僚と宦官、文人と武人、漢人と満人、東洋と西洋、富と貧、旧と新……、
あらゆる立場の違いに拠る如何ともし難い壁と
それらを乗り越えるべき希望を求めた作品だろうか。

所謂、義和団事変の直前で物語が終わるため、
悪いが悪すぎないギリギリの清朝という時代背景が面白く、
誰もが憧れた中華大帝国へのロマンと幻想が
まだそこはかとなく残っている空気感が素晴らしい。
終焉への足踏みが迫っている事を事前知識には持ちつつも、
まだ何とかなるのではないか…と、
ついつい歴史が動く瞬間に肩入れをしてしまう熱気に全編が満ちている。

特に日本人が書き、日本人が読んで面白い要素への拘りが随所に感じられ、
それが躍動的かつ感動的な文体に乗っているのだから、
何とも読み心地の良いサービス満点の作品だろう。
どのみち、漢民族が思う清朝への複雑なアイデンティティを
成り済ましで書く事はできないのだから、
この割り切りは見事で、物語の構成力の高さには舌を巻くばかり。

ただ少々、作品全体を包む興奮自体に乗り切れない感も受けるが、
これは登場人物達の本質的な部分での一辺倒さと、
神懸りにすぎる展開の繰り返しが原因だろうか。
無論、主人公の春児のみが天の定めを越えていく姿の対比として、
皆が運命に飲み込まれていく様が描かれてはいるのだが、
あまりにテーマ先行から逆算したような都合が続けば、
せっかく設定された現実の歴史背景が軽くなる。
各々、十人十色の性格、思想、立場、役割を担ってはいるのだが、
結局は、等しく独り語りの感動屋のオンパレードというのでは人物像が寂しい。
歴史を彩った英傑が多々登場する豪華絢爛さがあるならば、
彼らの個性もまた、より深い部分において多彩でなければ、
所詮、テーマと物語を成立させるために配置された駒に収まってしまう。
キャラクターから著者自身の影が少々透けて見え過ぎるのが素直に残念。

いっそ、時代小説と思わずに虚実入り乱れた一大絵巻きとして
熱気のまま読みきってしまうのも良いだろう。
考えるのではなく感じる一品。


『サッカーボーイズ 14歳 蝉時雨のグラウンド』
はらだ みずき
★★★☆☆
シリーズ第三作。
14歳、中学生二年生となったサッカー少年達の
更なる成長の物語。
あまりにも重苦しかった前作から一転して、
中学生らしい青春群像劇として仕上がっている三作目。
元々、主人公二人を除いたチームメイト達にも、
十分な個性と活躍の場はあった小説なのだが、
今作は、皆がほぼ対等な主役としての立場を楽しめる。

一人は、中学校に入り、サッカーや部活に距離を感じ、
ライトな不良道へまっしぐらな少年。
しかし、友情は忘れない気の良い男であり、
前作の最後に、重要な役割を演じる事となる。
やるべき事、やりたい事が多様化するこの年代において、
彼のような存在が生まれ得るのは当たり前なのだ。
サッカー一筋ではない彼だからこそ得られた境地。
別世界の相談役は少年達にとって重要な存在だろう。

また一人は、一度中学校で野球部に入りながら、
二年目にサッカー部への移籍を行った少年。
これは、その経緯や雰囲気にも左右されるが、
一般的な中学生の部活感覚において「掟破り」である。
それに端を発するイジメに近い揉め事に巻き込まれる事となる。

あるいは、サッカー部の中心人物として、
二年間、チーム作りに関わってきたメンバーでありながら、
三年生を目前として「転校」の憂き目にあう少年。
集大成としての最後の数ヶ月を目前に、
強制的に退部せざるを得ない学校部活の切なさ。
しかも、理由は両親の「念願のマイホーム購入」
何故、あと一年待てなかったか。
本人が、部活にどれだけ入れ込んでいるか、
それが親に伝わりきらないこのリアリティ。
親と大喧嘩もするだろうが、落ち着くところには落ち着く。

そんな、あらゆる面子が抱えるエピソードは、
その全てが家庭環境と、本人とサッカーの距離感に拠る代物。
14歳という世代ならではの絶妙な問題点に対して、
迫り来る現実に心の機微を交えて描ききる手法は、
さすがに手馴れた完成度。
大真面目のサッカー人生からは、やや外れた物語が多くなるが、
この一冊を経る事で、彼らがより好きになる事は間違いない。
サッカー少年とて、普通の中学生らしく騒ぐ一面があって何が悪い。

部活サッカーの良い所、悪い所。
全てひっくるめて、割とライト感覚で楽しめる
箸休めの一作だろうか。

『サッカーボーイズ 13歳 雨上がりのグラウンド』
はらだ みずき
★★★★
シリーズ第二作。
13歳、中学生となったサッカー少年達の
更なる成長の物語。
ここで、登場するのが「部活サッカー」である。
一般的に、15歳まで受け持てるクラブチームとは別に、
中学校には中学校のサッカー界が存在するのだ。
加えて、クラブチームの一種でありながらも、
一つ別格として存在するのが、
前作で、もう一人の主人公が属する事となった
JリーグチームのJrユース部門だ。
同じくサッカーに熱中する子供達においてすら、
その環境は複雑怪奇。
この二層、三層構造の中、
少年達はどうサッカーと関わっていくのか。

前作は「6:4」程度のバランスで、
大人達の視点が占めるウェイトも多かったが、
今作では「8:2」と言ったところか。
大人も読める児童作品の持ち味は残しつつも、
思春期まっさかりの少年の葛藤が主軸。

中学生にとって部活は遊びではない。
誰が、遊び相手に週7日中7日間も練習できようか。
しかし、現実がその熱意に応えられるとは限らない。
まず、この作品では部活サッカーの最大の問題点。
指導者の不在というテーマが提示される。
部活の担当を引き受ける顧問の教師は、
自身の休日すらも返上して、
監督者という立場で練習に立ち会ってくれる
非常に良い大人である。
一般的な社会人の立場からして、
身内でもない子供のために、土日を潰す彼の姿は驚嘆に値するだろう。
彼もまた、この作品を支える裏主役達の一人に間違いは無い。
しかし、サッカー少年達から見れば、
具体的な指導が出来ない存在は物足りなく映る。
これもまた、最もな話であろう。
顧問にしたところで、その本心からすれば、
可能ならば、十分な指導体制を用意してあげたいところである。
部活体制の難しさが一つの主題として、
真っ向から語られる一作だ。

そして、そんな紆余曲折の部活生活の裏側で、
全く別の存在してあり続けるのが、
Jrユース所属のもう一人の主人公。
彼は、同じ中学校に通い、同じクラスで学び、
同じサッカー好きの友達同士である。
しかし、そこには何とも言えない壁があり、
異なるチームに所属する者同士で、
敢えて、サッカーの話などはしない。
一見してドライにも見える、互いを尊重した彼らのやり取りは、
何とも不思議な現代っ子。
この絶妙な少年サッカーを取り巻く空気感が冴えに冴える。

だが彼は、プロを目指す事を命題とした集団において、
十分なコミュニケーションとアピールができない。
次第に追い詰められ、自身のサッカーをやる意味を見失い
最後には「お前……来年は無いからな」と、
クビ宣告を受けてしまう。
僅か13歳でクビ宣言を体験せざるを得ない彼の選んだ道は、
あまりにも重いだろう。
何だかんだと問題点を抱えつつも、
青春まっさかりに部活動を楽しんでいる
小学生時代のチームメイト達を尻目に、
彼の心はどこに救いを求めるか。
実力、環境において、一番の出世頭であるはずの
その姿は痛々しい。

その後、部活に誘ってくれる主人公に対し
「俺のサッカーは本気だったから…」という断りの台詞は、
決して、部活を見下した発言でも、自身のうぬぼれでもない。
無論「自分とて本気だ!」と憤りはするが、
本気サッカーの厳しさを知っている少年達にとって、
その発言への流れはあくまで自然なのだ。
愛するが故に、現実をしっかりと認めている。
このクライマックスを納得できるだけの
丁寧な展開運びが素晴らしく、
一筋縄ではいかない、彼らとサッカーとの距離感を
見事に現してくれる。

部活動ならではの小ネタをあらゆる箇所に散りばめる
青春スポーツ小説でありつつも、
個々によって異なる少年達の立場と覚悟を
正面からきっちり描き続けた傑作第二段。


『サッカーボーイズ 再会のグラウンド』
はらだ みずき
★★★☆☆
サッカーに熱中する少年達の葛藤を主軸にしつつ、
その環境を提供する保護者達の視点も交え、
彼らの小学生最後の一年間を追う物語。
小学校の卒業、12歳という節目において、
今まで、自身が熱中してきた事と、
今後、どう向き合っていくべきか。
これは、誰にでも経験のある成長の一節ではないだろうか。
この作品の少年達にとって、サッカーの意味する所は重い。

「自分は何のためにサッカーをやってきたのか」
夢中で走ってきた小学生時代の最後、
キャプテンの座を失うというある種の挫折を契機に、
主人公が抱かされるあまりにもシンプルな疑問。
卒業後も最前線でプレイを続けるのであれば、
どんどん、その舞台は本格的になり、
否応なしに、求められる姿勢もシビアになる。
実力差、本気の度合いにおいて、
上にせよ下にせよ、他者との埋め難い距離感にも出会うだろう。
だがこれこそ、少年が大人への階段を上る過程で、
見つめ直さなければならない一つの儀式なのではないか。
青春時代への幕開けである。

それを物語で彩るのが、
本気でサッカーに熱中する主人公とは別に、
さらに、一歩上の本気を見せる新キャプテン。
もう一人の主人公の存在だ。
彼は、最後にJリーグのJrユースに合格する。
言うまでもなく、環境としてクラブチームをも超える
地元最強のエリートコースである。
ここに一つの現実との壁がある。
無論、主人公は彼を尊重する。
誰よりも真摯にサッカーに取り組み、
実力もあり、頼りになるチームメイトでもある。
しかし、そんな彼と対等な関係であり続けるには、
一体、自身はどうすれば良いのか。
このテーマは重い。
現実との妥協を求められ始める年齢でもあるだろう。
そんな少年ならではの心の機微を見事に捉える様々な展開は、
今時のリアルでドライな雰囲気に包まれながらも、
その実、異常なまでの熱気を持っている。

また、児童書の類でありながら、保護者やコーチ陣など、
少年にサッカーをプレイする場を提供する大人側の視点も
多分に含まれている点も面白い。
小学校のグラウンドをホームに活動される少年団は、
保護者の協力無しには成立せず、
その運営やコーチも、ボランティアによるものだ。
自身の仕事の合間や貴重な休暇を使い、
趣味としてサッカーに関わり続ける。
そんな大人達が確実に存在するのだ。
言うまでもなく、大人は少年の未来の姿である。
少年達は、今後、その環境や個々の実力によって、
サッカーとの関わり度合いの大小を振り分けられていく事だろう。
しかし、その出発点を見守ってきた大人達の根気と、
サッカー愛を思い起こせば、、
結局、どこまで人生でサッカーに付き合えるかなどは、
本人の気概次第だと思い知らされてしまう。
それを代表するのが、
学生時代に全てを捧げつつも、
職業としてのサッカーには、全くかすりもしなかった
40歳過ぎのボランティアコーチが放つ一言。
(プレイヤーとして)
「今が、自分のサッカー人生の最盛期だ」
この姿勢である。
実に見事。
人生賛歌に心を揺さぶられると同時に、
この作品のテーマ、少年達への答えは既に出ている事に気付かされる。

今後も続く続編物でありながら、
この一冊で十分な完成度を誇る傑作青春スポーツ小説。

『幻日』
市川森一
★★★☆☆
江戸時代初期、天草、島原の一揆の様を
キリシタン側、幕府側の視点を交互に入れ替えながら、
圧倒的な密度で描き切る物語。

こんなにも詳しい小説には、そうお目にかかれないだろう。
巻末に掲載された100冊近くにも及ぶ参考文献の羅列が、
その本物っぷりを見事に示している。
長崎を地元に持ち、自身もカトリック信者であるという
著者ならではの拘りの一品なのだろう。

九州の各藩における情勢や、
この一揆に寄せ手として参加した大名たちの事情、
それぞれの思惑や、事態に振り回される姿が、
実に密度たっぷりに味わえる。
そもそも、一般的には「島原の乱」で済むお話だが、
まず、天草と、島原と言うのは、全く別の藩であり、
各々で、状況が全く異なっていた事などとは、
一体、世間でどれ程に知られているのだろうか。

この小説によると、キリシタン大名として処刑され、
世継ぎが、棄教の上に国替えを希望した
有馬晴信の遺臣が残るのが島原で、
関が原まで遡り、戦国の世への復帰や、
お家の再興を画策する小西行長の残党達が暗躍したのが、
天草という事になっている。
そこに、長年のキリシタンの信仰による
独特の「組制度」が根付く地元民衆の
宗教弾圧と、根本的な悪政への爆発が加わったのがこの戦争だと言う。

大名方の捉え方や、松平伊豆守の心中などはともかく、
そのキリシタン側のシステムや考え方、そこに至る経緯が、
実に明快で、かつ奥深くもあり、
新鮮なお話の数々は、とっても楽しく読む事ができる。

ただし、とっても真摯な態度で望まれた
骨太な作品であると言う点は伺えつつも、
この作品が、「市川森一」の手による物と考えれば、
いささかの肩透かし感は残る一作だろうか。
自身も、あくまで市川森一先生の小説を理由に手に取った口だ。
言うまでもなく、このお方の本業は脚本家。
あの『黄金の日日』や『花の乱』のメイン製作陣が送る
時代劇巨編となれば、
もう少し、劇的な仕掛けや、虚構とエンターテイメントを織り交ぜた
独特の盛り上げ方が楽しめるかと、期待してしまのは仕方があるまい。
それ程に、このお方が手がけた作品は緻密なのだ。

文章も、決して読みにくいという事はないのだが、
あくまで、本業の大先生の作品と比べれば、
どうしても、やや冗長で、小説として絶賛するテンポではなく、
描き出したい事柄を淡々と進めていく姿には、
創作物としての極地を求めれば、違和感を覚える事だろう。
もちろん、ドキュメント仕立てと言う程ではなく、
シンプルに小説ではあるのだが、シンプルにすぎると言おうか。

一応、天草四郎と、かつてのレオン桜丸、そして松平信綱の願い、
彼らの姿が、一本の綺麗な筋になって繋がる様は見事だし、
天草四郎を取り巻く青春群像的であったり、
既に老年を迎えた、かつてのセミナリオ学生達の
この世における最後の晴れ舞台であったりと、
楽しげな要素も登場こそするのだが、
そのどれもが、主題として楽しめる程に徹底はされておらず、
視点がコロコロと贅沢に移り変わる事が、
功罪半々といった印象だろうか。

骨太な設定時代小説に餓えているのなら無条件にお奨めの良作。
市川森一先生の脚本に魅了された方々には、
少し、冷静な気持ちで読んでもらいたい一品。

『月と蟹』
道尾秀介
★★★☆☆
家庭の事情や、その心に問題を抱えた二人の小学生男子が、
放課後、海や山で遊び続ける内、
二人だけの秘密の儀式や、閉じた世界へと没頭していく物語。
心当たりのある人間と、無い人間では、相当に感想が違う小説ではないだろうか。
直接の利害関係も無い人間同士が、ここまで繊細に互いの事を意識し合い、
僅かな仕種や表情、言葉の端々から、その心を探り合う姿。
この徹底した依存関係のリアリティが見事な一品。
だがそれこそが、人付き合いの本質だろう。
毎日、放課後になれば、近所の海や山に嬉々として出かけ、
二人だけで遊び続ける彼らは、間違いなく親友同士でありながら、
その上で、互いに隙を見せまい見せまいと油断無くポーズを取り続ける。
本心では理解しつつも、表面ではカッコを付け合う。
その奥深さこそが、人間と遊ぶ楽しさではないだろうか。
そこには、愛情などとは全く違う独自の関係が確かに存在する。

ここに子供の淡さ、切なさを求められないと、
途端に、安いサスペンス小説へと早変わり。
完全に、男の子の、男の子による、男の子のための小説だね。

延々と小学生同士の日常を描き続ける内容からは、
誰しもが、自身の子供の頃を思い出す事だろう。
小学生と言えば、毎日が楽しく、何をやっても充実していた。
良い思い出、無邪気な思い出に終始したくなるが、
この小説は、素直にそれを許してはくれない。
確かに、相当な時間を二人きりで過ごした友達は居た。
これは自身の人生において間違いはない。
だが、彼とは本当に仲が良かったのかと問われれば、
現在の基準で、あらためて考えれば微妙だろう。
考えれば、相当に意識はしていたはずだ。
好かれよう、遊べる関係でいようと、努力はしていたはずだ。
それは、相手も同じであっただろう。
何故、そこまで計算して付き合わねばならなかったのか。
だが、欲していた。
ある意味、病的な依存関係でもあるわけで、
素直な友情とソレとは、紙一重の代物だったのかと気付かされる。
ここが、この作品のリアリティなのではないだろうか。
自身が、一歩間違って踏み込んだとしたらのifの世界には、
思わず背筋が寒くなるわけだ。
この物語の登場人物達は、誰にとっても、子供の頃の自身の鏡なんだよね。
また、それ程に強く憧れ、自ら望んだ親しい関係すらも、
何かをきっかけに、途端に冷めてしまうと言うのも、
容赦の無い現実の描写である。

劇中、小さな生物を無残に殺すシーンが非常に多いのも、
(主にヤドカリだが)
間違いなく、男の子にしか書けない小説の証明であろう。
何故、子供はあんなに楽しく生物を殺せるのか。
物語のキーとなる二人の病的な儀式、
「ヤドカミ様」に繋がるまでの流れは実に自然。
自身の願いを何でも叶えるという儀式なのだが、
もちろんこれは嘘でありながらも、彼らにとっては真でもある。
その危うい寄りかかりは必見。
互いが互いに、行く所まで行けばどうなるか。

そして、これだけ完成しきっている二人の世界でありながら、
そこに敢えて女の子を放り込むという挑戦も見事に冴える。
まさに、混ぜるな危険の世界。
本当に少ない登場人物、狭い世界、くだらない日常に終始する内容ながら、
思わず、止めてくれと叫びたくなる緊張感が、
決して飽きさせない良作小説だろう。

結局は、心を強く持たねばならないのだね。
子供は、一歩一歩、大人へと独立した精神を育まねば嘘なのさ。



『悼む人』
天童荒太
★★★☆☆
日本全国の死亡事件現場を巡り歩き、
「悼ませていただきます」の言葉と共に、
独自の祈りを捧げ続ける謎の男。
彼の存在と、それに関わる3人の視点から描かれる
真摯な人生観の物語。

本人は劇中で何度も否定するが、
やはり、「求道者」の言葉がぴたりとはまる。
冥福は祈らない、それは死者側に干渉する行為だし、遺族や身内の特権である。
自分はただ、自らで完結する行為として、勝手に「悼ませていただいく」。
この強烈な我侭、自分本位なエゴが生み出すキャラクターが何より強烈。
世間から、宗教とも変人とも、病気とも偽善者とも扱われようと、
時には、遺族からなじられようと、
ただただ、自身の心に従う主人公に悟りを見ずにして何を見る。

この物語の原点は、マスコミ報道における憤りではないだろうか。
登場人物の一人は、確かに週刊誌のゴシップ記者。
死に方によって、人間が存在した証の大小が違うかのように、
誰が何の権限で報道を選ぶのか。
交通事故一つ挙げても、年に1万人近くが亡くなっている。
日替わり報道しても、一日に30人の人生を取り上げねばなるまい。
毎日、交通事故専門の2時間特番が必要だ。

劇中の言葉であるが、
英雄の死と、ホームレスの死が同等であってよいはずがなく、
これを認識できないのは、社会ルールの暗黙の破壊者である。
下を上げれば、上は下げられたと感じるだろう。
8月6日は、全国民が広島に祈りは捧げても、
同日、違う町の空襲で死んだ主人公の祖先の魂は気に留められない。
決して、一方を貶めているわけではなくとも、
一つを熱心に取り上げれば、そこには厳然たる差が存在してしまう。
こんな事に本気で向き合えば、
無間地獄で頭がおかしくなって当たり前なのだが、
それを堂々と行ってしまうのが主人公なのだ。

悲惨な事件に巻き込まれ、
理不尽な死因に同情と共感を求める遺族に対してすら、
この主人公は、あくまで冷淡にも生前の美徳のみを聞く。
死に方では無く、生き方の面で存在を心に刻む様は圧巻。
自己の都合で行われる行為である限り、それは冷酷なまでに平等。
この人は「誰を愛して、誰から愛され、何で感謝されましたか」
延々と繰り返されるこのフレーズが染みる。
自分の生が、誰にも残らずに終わる悲しさと怖さが
自然と浮き彫りになる作品。

また、3人の登場人物が上手く回っており、
ダーティな現実社会をえぐりだすような
エログロ専門のゴシップ記者の視点、
そして、闘病生活という立場で、
最も純粋かつ、正面から死と向き合う母親の視点、
所謂、ショッキングな事件の当事者として、
少し浮世離れした感性から主人公と付き合う女性の視点。
この三者三様の世界は、どれもが全く異なる描写で、
交互に繰り広げられる展開が飽きさせない。

3人の人生の結末や、主人公の到達する境地が気になり、
ついつい、最後まで読み進めてしまう。
決して、読者に納得を求めているわけでも、
共感を求めているわけでもない姿勢が、
逆に好感の持てる良作。



『のぼうの城』
和田竜
★★☆☆☆
1590年、豊臣秀吉による史上空前の小田原城攻め。
その中、わずかな手勢で数万の軍勢に耐え切ったとされる
忍城の総大将、成田長親とその家臣達の活躍、
加えて、それを囲む石田三成との意地と意地の物語、

むしろ、石田三成側の大失態として有名な水攻め合戦のお話。
この篭城戦が成功するだけの理由として、
成田長親の人柄、重臣達の武勇、そして領民の信頼という三本を前面に押し出し、
人物像の魅力からのロマンを描く合戦絵巻。
合戦そのものの描写や、戦略の妙、篭城側の圧迫感などを楽しむというよりは、
あくまで、彼らの織り成す痛快さを楽しむ一品だろう。

ただ、「でくのぼう」こと「のぼう様」と領民に親しまれる
主人公、成田長親なのだが、彼の魅力が今ひとつ理解できない。
一見無能でありながら、その秘められた意思は強烈。
無謀とも言える純粋さ故に、家臣たちの信頼を勝ち取る。
確かに難しい人物像だが、そんな彼に信服する重臣の心境変化も、
そこまで慕うだろうかと思わずにいられない領民の行動も、
イマイチ、薄味な描写しか見られず、どれも心の底にまでは響かない。
重臣の面々も、
主人公を信頼し続ける幼馴染の友人家老であり、
武勇一辺倒の豪の物であり、
ナルシスト気味の頼りなげな若物であり、、
どうも、作品のバランスを考えた上で組みあげたような
少年漫画かのようなキャラクターの立たせ方で、
この篭城戦の舞台と比べれば軽すぎる。
誰一人、人となりの奥の奥までは触れさせてもらえない。
一言で表せば、都合が良すぎて冷めてしまう。

人物像で魅了する作風だけに、
そこに乗り切れないと楽しみ方そのものを失ってしまう。
言うなれば、「ハッタリを効かせきれなかった隆慶一郎」かな。
題材は素晴らしいが、そんな物足りなさが残る一作。



『火天の城』
山本兼一
★★★☆☆
「世界に類をみない唯一の建築物」
そんな織田信長の命令を受けた宮大工宗匠の
安土城建設における奮闘記

情報量の密度に度肝を抜かれる。
度々繰り返される尺や間取り表現の難しさに、
冒頭に記載された用語解説と睨めっこしている内、
気付けば、その世界に引き込まれてしまう。
まず読者に、これは本物だなと認識させるだけの世界観を
序盤からノンストップで提供する潔さが見事。
安土城クラスのお城を建てるという事は、
一体、どういう規模の話をしているのか。
その想像以上の壮大さに、ただただ呆れるばかり。

あとは、織田信長という人物の攻めの強烈さと、
それに応える一流職人としてのプライドの強烈さ。
この二つが絡み合う相乗効果が作り出す
異常なまでの現場の熱気に圧倒されるのみ。
絶対に、こんな現場には居たくないと思いつつも、
彼らの本気は、それだけで極上のエンターテイメント。
大工にとって「合戦と同じ」と宗匠が言い切るだけあって、
実際、合戦物の小説と比べても、全く見劣りしない緊迫感が楽しめる。

物語も多彩で、
宗匠である父と、父を超えたいと願う子のコンプレックスであり、
各分野のエキスパートが集った故の一門同士の確執であり、
または、敵対勢力が放った忍による妨害工作の数々であり、
「安土城建設」というたった一つの舞台に対し、
これ程の要素が入れられるものかと驚かされる。

最後は歴史が示す通り。
ここまでの情熱と葛藤の末に完成をみた安土城の末路。
祭りの後の哀愁。
そこまでサポートしてくれるサービス満点の一作。



『利休にたずねよ』
山本兼一
★★☆☆☆

千利休の切腹当日から日を遡り、
様々な人物の口を借りて語られる
彼の人物像に迫るオムニバス形式の物語。

利休自身や秀吉はもちろん、
石田三成であり、古田織部であり、細川忠興であり、古渓宗陳であり、
その語り部が実に多彩。
彼らが語る独自の利休像と共に、自身が如何に利休に影響されたかをも
自然と曝け出していく様は圧巻。
魅力的な人物の連続で最後まで飽きさせない。

しかし、物語のキーとして、
利休ほどの人物の根幹を形成していたとされるエピソードは、
イマイチ、納得のいくものとは言えない。
その程度で良いのだろうかと、
思わず、突っ込みたくなるのは著者の狙い通りなのか。
若かりし頃に抱いた些細なコンプレックス。
結局、誰一人として、利休の本質に到達した人物は居ないわけだが、
実はその答えなど大した物ではないという事が、
逆に人間の面白さなのかもしれない。
それでも、ここまで多彩な語り部を用意しながら、
最終的に、自身の独白で語られるのはやはり拍子抜けだろう。

また、戦国末期の芸術人オールスターの視点が、
全て利休一人に向くという贅沢な構成が光る
完璧なまでの一芸作品だが、
皆、あまりに有名にすぎるが故に、
個々人に対する読者の期待が膨らみすぎ、
薄味に流されているように感じてしまうのが残念。




『早雲の軍配者』
富樫倫太郎
★★☆☆☆

北条早雲により、後の軍配者(軍師+祈祷)として期待をかけられた
若き少年主人公が、様々な出会いや事件の中で成長していく青春劇。

まさに青春小説だろう。
分不相応な期待をかけてくれた早雲への恩、
それに応えようと必死に頑張る姿勢。
自身を疎む叔父や従兄弟との関係、妹への純粋な家族愛、
そして、当時知識の最高峰であった「足利学校」で出会う
山本勘助や、扇谷上杉で軍配者となる曽我冬之助と育む
奇妙な友情関係。
戦国の世を舞台にしながら、これ程に淡い物語を展開できるのは新鮮。
淡いが、決して甘くは無いのが良い。

北条家と、扇谷上杉の争い、
そして山内上杉、武田までも絡まる舞台は珍しく、
独立気運のまだまだ強い家臣団であったり、
家臣でも何でもない、雇われ戦術屋としての軍配者の存在であったりと、
明らかに、後の時代とは違う空気が堪能できるのも、
実に楽しい一作。
クライマックスが高輪原の合戦というのだから、
そのスタイルは本物。

ただし、あくまで青春小説以上には進まず、
主人公が北条の軍配者となり、
三代目氏康との信頼関係を築く事を確定事項としながらも、
物語は、彼が若者の状態で終わってしまう。
せっかく築いたライバル軍配者たちのドラマも
軽く触れる程度でしか楽しめない。
全般、爽やかでスマートに彩られているだけに、
この終わり方は消化不良が強い。
続編を構想するにしても、もう少し一冊の本として、
完成度に拘っても良いのではないだろうか。




『阪急電車』
有川浩
★★☆☆☆

上下の往復でも、僅か1時間にも満たないという
阪急電車今津線における、車内や各駅で繰り広げられる
心温まるオムニバス人情物語。

一時間に何本もの過密車両が行き交い、
毎日、変わらないが様が繰り返されている都会の風景。
そんな中、ピンポイントの車内においての出会いとは、
まさに奇跡の一瞬だろう。
それだけで、一つのロマンを楽しめる爽快作。
まず、アイディア勝ち。

全ての登場人物が放り出される事もなく、
往路、復路を交えて少しだけ絡み合う。
その緻密な構成に舌を巻く。
彼らの出会いは本当に偶然でしかないのだが、
仮に、目を閉じて寝た振りでもしていれば、
その日も、何も起こる事のない日常の連続だっただろう。
劇的ではないにしろ、ほんの一歩、僅かに踏み出す事で
生活は変わるという、ちょっとした勇気の物語。
これが、美しくないわけがない。

ただし、その物語自体は甘すぎるよね。
特に、恋愛に関する描写が、あまりに通り一辺倒で、
こういう妄想バカップルに、
ニヤニヤと顔を緩ませられない限りは辛いかな。
そして、それを引き締めるはずの厳しさ担当が、
どうにも、押し付けがましい。
登場人物一人が、どんな価値観を持って、どんな善悪基準を持っていても、
もちろんそれは、一人の人間として何も不思議な事ではない。
ただし、生まれも育ちも全く違う別の登場人物が、
何の前提もなく、突然に共通の価値観を語り出したり、
一つの視点を当たり前とするような言動を取り出すと、
一気に、小説としては冷めてしまう。
途端に、その世界観が嘘臭くなってしまい、
彼らが意思のある独立した人間には映らない。
テーマ性の強さは大好物だが、少し見せ方は工夫して欲しい。

文体はとっても平易で、短い小説なので、
そのあたり、ご愛嬌として読み飛ばすくらいの軽い気持ちで、
サクっと楽しめる一冊である事は間違いない良作。