<座頭市>  2011年11月21日 日記より


今月、WOWOWにて「劇場版 座頭市 全27作一挙放送」などという 
実にお馬鹿な企画があったのですが、 
オイラ、先日にて、無事に完走致しました。 
まぁ、元々視聴済みの作品も多いんですけどね。 
同時に、未見も多々ありましたので、 
この機会に全部通しでおさらいしてみようかと。 

どれも、85分前後の短めの作りですので、 
ちょっと豪華な2クールTVシリーズみたいなノリで 
十分に押し切れる長さではないだろか。 
この尺ですから、「寝る前に、一本!」ってのができたのは、 
とっても幸せですよ。 



なお、シリーズ25作というのが正式で、 
26本目は、勝新太郎最後の復活作、 
27本目は北野武版ですね。 

また、21世紀には『ICHI』という綾瀬はるか主演の外伝作品と、 
香取慎吾主演の『THE LAST』ってのもありますが、 
今回はカウント外だった模様。 
後者は、オリジナリティ溢れる市のキャラクターが、 
そこそこイケルんですけどね。 


確かに、見事な企画ではあるのですが、 
WOWOWは、元々が相当なヘタレ局なので、 
実は、この手の作品には向かないんですよね。 
古い邦画では音声カットが多いのが玉に瑕。 
プレミアムchのくせに、ここの基準はNHK-BS以下ですよw 
(そのあたり、日本映画専門ch、時代劇chが頂点です) 

つーても、地上派並の基準を用いると、 
正直、全く意味のわからない映画になってしまうので、 
ソコソコで抑えて、身体障害系は総スルー。 
そもそも、"目開き"に馬鹿にされる事への反骨が、 
市のキャラクターにおける一番の肝だっての。 
作品の根幹を成すテーマが伝わらんわ。 

映画一作見ると「めくら」という言葉は、 
平均、3〜40回は聞けるでしょうw 
別に他意のない一般用語だっての。 
その内、5回は「どめくら」ですね。 
こっちが劇中における見下し用語だな。 
なお、市っあんを丁寧に扱う時は「おめくらさん」です。 
なんも、丁寧な映画じゃないの。 

あと、座頭市の決め台詞がありまして、 
市の脅しを受けて言葉を失っているチンピラを相手に 
畳み掛けるように、 

「さっきから黙って、あんたさんがた、唖かい? 
 めくらと唖ってんじゃぁ、具合が悪いね〜」 

「聞こえてんのか? つんぼってんじゃあるまいに、 
 めくらとつんぼってんじゃぁ、どうにもならねぇな」 

みたいな。 
2〜3本に一回は聞く事ができます。 
そもそも、 
「かたわもん」(1本あたり2〜3回かな)の悲哀と、 
そのウィットに富んだ扱われ方が、 
何よりも味のシリーズでございます。 


作品のコンセプトを理解して、ここまでスルーしてくれるなら、 
全スルーにすりゃいいものを、 
何故か、大して重要でもないシーンにおける 
精神障害系への単語をいくつか切ってましたな。 
本当に、この局の方針はよくわからん。 
まぁ、全26作の中で数本でしたがね。 
そこまでの影響はないでしょう。 





さて、この偉大なるマンネリ作品。 
そもそも、1962年に一作目が登場して、 
最終25作目が上映されたのが、 
なんと、1973年でございます。 
えぇと……つまり、11年間で25本上映だな。 
ホント、この時代の映画のペースはお馬鹿だよね。 
(その間、勝新太郎は『悪名』シリーズと 
『兵隊やくざ』シリーズも同時に展開しておりますw) 
それを三隅研次、森一生の大映看板監督を筆頭に、 
広池一夫、安田公義、田中徳三のたった五人で回しているのだから、 
マンネリにもなるわ。 

ルール1:市はヤクザの一家に草鞋を脱ぐ。 (二勢力が存在するケース有り) 
ルール2:彼らに苦しめられる無力な民が居る 
ルール3:必ず、市以外にも雇われ「浪人枠」が存在する 
ルール4:悪さに過ぎた親分と、浪人を叩き斬る 
ルール5:後腐れなく去っていく 

基本はコレです。 
酷い作品は本当に酷いが、 
それでも、一定以上の水準を下回らないのは、 
このブランドが、あくまで「座頭市」本人のキャラクター性を楽しむ映画だからだね。 
彼の言動と、勝新太郎の神々しいまでの存在感があれば、 
いくら退屈な脚本でも、相応には満足してしまうのさ。 

大きくわけて、二段階に分かれます。 

一つは、めくらとしての市が、 
目明き共への怨念めいた反骨を心に秘めて、 
一歩も引かない姿勢を貫く初期作品。 

第一作に代表される 
「めくらと呼ぶのはいいが、めくらの"くせに"とか、"たかが"めくらとか………云々」 
という台詞に全てが込められてます。 
めくらでも、誰に恥じる事なく立派に生きていけるんだという足掻きが、 
彼の一見した謙虚さと、内に秘めた凶暴性に繋がるわけです。 

4〜5作目までかな。 
ここまでは、非情にリアルな座頭市です。 
見世物になる事も最大限に拒みますし、 
ヤクザとしての自嘲を多分に含みながらの 
どうすれば、自身が幸せになれるかという事を 
徹底的に追求している足掻き旅なのよ。 

それ以降は、諦めた開き直り。 
ただの按摩として生きていくなら、 
女房をもらって子供を作る事だってできるだろうに、 
「暴力」解決の魅力に取り付かれた市さんの物語。 
力を示し続ける代わりに、一般の人間としての幸せを 
全て捨て去ったのが6作目〜25作までの市っあんです。 
拾った赤ちゃんを育てる気になっていても、 
和尚さんに「その子が幸せになれるのか?」と説教されれば、 
あっさりと諦めるわけですよ。 
真面目に女性と付き合おうとする事も止めちまうんだね。 

最初は、ただのヤクザ抗争の助っ人だったのが、 
どんどん、派手に派手にとエスカレートしていき、 
途中からは、お上の悪政に対してまで、 
代官所に斬り込みかけるようになってしまう。 
本当に、暴力解決以外に自己を表現できない男なのよ。 


オイラは圧倒的に前半戦が好きです。 
めくらヤクザへの風当たりの強さを 
溜めに溜める姿に惚れるのさ〜 

もちろん、後半戦にいけば行く程に、 
勝新太郎の殺陣は凄みを増して、 
「バッサリ」のアイディアも豊富になっていきますがね。 



全26本もあれば、何を見れば良いのか迷うわな。 
とりあえず、傑作を5本程紹介。 



『座頭市物語 (1962年-一作目)』 三隅研次 監督 

これだけが別格です。 
市のキャラクターが上記の通りに際立っている事と、 
白黒情緒が上手く効いている事かな。 

ヤクザの雇われ用心棒をやる中で、 
ふとした事から、対立ヤクザに雇われた浪人と結ばれる友情のお話。 
これが、全然クドくないんですよ。 
向こうは向こうで、死生観が極まっていて、 
友情があればこそ、最後は市と斬り合いがやりたいみたいなね。 
後に何度も登場する 
「斬っちゃなんねぇ人を斬っちまった」の展開が 
最も映える一本でしょか。 

そして、第一段だけあって、めくらアイディアの豊富さだね。 
新月における闇夜の襲撃に対して、 
提灯さえ先に落としてしまえば、めくらの一人勝ちであるとかね。 
その他、無理の無い立ち居振舞いが実に渋い。 

あとは、サマ博打。 
冒頭のこのシーンが、市のキャラクターを見事に体言しております。 
周囲の人間が、めくらを気遣ってくれるならば、 
絶対に引っかからないイカサマなのさ。 
良心のある人間ではない事を見極め、 
めくらに漬け込もうとした人間だけが手玉に取られる 
この痛快な仕掛けのカッコよさよ。 
第一作の最初にコレを持ってこれた時点で、 
このキャラクター映画は、勝ったようなもんなのさ。 




『新・座頭市物語』(1963年 三作目)』 田中徳三 監督 

一作目のような情緒溢れる作りからは遠ざかっているけど、 
めくらの悲哀としてはコレが一番でしょう。 
かつての剣の師匠の娘さんに求婚されるのですが、 
この時の市っあんの慌て様が神がかっている。 
本当に、この人は卑屈な精神を育まされてきたんだなと悲しくなる。 
散々に自らを貶めて、それでも両思いを確認しあった後、 
師匠である娘の親父さんから、 
「はぁ? つけあがんなよ、たかがめくら風情が」的な扱われ方をする 
この切なさね。。。 
ハードル高すぎだろう。 
まず、相手を気遣って、自身が納得するまでの内面ハードル。 
オイラなんぞが所帯を持っちゃいけないと、 
その卑屈さを乗り越えた先に待ち受けるのが、 
世間からの風当たりの強さという第二ハードル。 

うーん、素敵なお話だ。 
これをピークに、彼のキャラクターは、 
どんどん、人間味を失っていきます。 
たまに悩む事もありますが、あんなもんは全て「フリ」です。 
脚本の不自然さが際立つだけ。 



『座頭市地獄旅』(1965年 十二作目)』 三隅研次 監督 

やはり、三隅研次監督が別格なんだよね。 
構図やテンポから来る映像的な面白さが、 
一線を画しておりますよ。 
そして、この作品は珍しく登場人物と脚本が良い。 
ホント、お涙頂戴な退屈話が多いからなー 

一作目を彷彿とさせる 
浪人との擬似友情がたまらないのよ。 
あくまで、擬似ね。 
将棋と剣にしか興味が無いと言わんばかりの 
狂気に満ちた浪人役には成田三樹夫。 
何故か、二人で棲みだして、延々と将棋打ってるのよ。 
しかし、間違いなく狂犬ですから。 
彼とは絶対に何処かで斬り合うだろうてのが、 
画面からも、展開からも、ひしひしと伝わってきて、 
その瞬間に至るまでの緊張感が素晴らしいっす。 

そして、その対決の瞬間っぷり。 
ダラダラ描かず、もったいないとも言わず、 
全てを刹那に凝縮する潔さが心地よい。 
時代劇はこうでなきゃね。 

そして、ホントは見えてるだろ?と突っ込みたくなる 
自由気ままな行動も控え目にして、 
久々に、彼がめくらのために苦労する生活描写や、 
金に困って奔走する様なども楽しめて、 
並のヒーローとは違うキャラクターが、 
綺麗に浮き上がっているのも丁寧な一本。 




『座頭市と用心棒』 (1970年 二十作目)』 岡本喜八 監督 

悔しいが面白いわ〜 
五社協定も終わった頃、 
三船敏郎と、東宝から岡本喜八監督を招いて作られた 
スーパー娯楽大作。 

ただし、座頭市かと言われると、 
かなり言葉に詰まる作りだね。 
むしろ逆に『用心棒と座頭市』じゃねーか? 
市っあんの研ぎ澄まされた際どさを控え目にする代わり、 
三船敏郎の愛嬌が素晴らしい。 
ほぼ『用心棒』から飛び出してきたような彼と、 
座頭市という強烈な個性が共存してる不思議。 
そして、この掛け合いの楽しさ。 
完全なる二人主役体制で進むのはさすがで、 
見ているだけで時間を忘れてしまう。 
舞台も大掛かりで、 
シリーズ中、この作品だけが120分映画なんだよね 

二つの勢力の間を駆けずり回る主人公という作りまで、 
映画『用心棒』の構図まんまで、 
怒られはしないだろうかという完璧な一本。 
大映監督だけで回されたシリーズ故に、 
ここにきて、外部監督の絵作りが新鮮ってのもあるよね。 

シリーズ通して、 
天知茂、若山富三郎、平幹二朗、成田三樹夫、三國連太郎、 
西村晃、仲代達矢、ジミー・ウォング、佐藤慶、緒形拳………と、 
み〜〜んな、市つぁんと斬り合ったが最後、 
無残に斬り殺されていく中、 
彼とやりあって死なずに済んだのは、三船敏郎と、近衛十四郎だけだーな。 
扱われ方からしての別格っぷりを堪能しましょう。 

究極の五社協定崩壊映画であるところの 
(東宝:三船敏郎、日活:石原裕次郎、東映:中村錦之助、大映:勝新太郎 4人主演) 
『待ち伏せ』も、同じ1970年上映作品である事を考えると、 
(↑は、東宝+三船プロ) 
この作品は、その義理立て、お返し作品なのかな? 
(もちろん、座頭市は、大映+勝プロ) 




『座頭市』 (1989年 二十六作目)』 勝新太郎 監督 

劇場用としては16年ぶりの復活作かな。 
晩年の勝新太郎自身により、一本だけ撮られた作品。 
本人の監督作は、実は過去にも一本あったんだけど、 
これが、物凄いアナーキーな雰囲気に満ちているんですよ。 
誰が主役で、お話が何なのか、テーマは何処にあるのか。 
誰もが全く理解できないようなカオスっぷりが素敵。 
普通なら、完成度の低い作品で終わる所なんですが、 
「座頭市」というキャラクターに限れば、 
これはこれで、アリなんじゃないかと思わせる 
不思議な勢いに包まれてんのよね。 
それを極限まで突き詰めたのが、 
この復活、座頭市。 

エログロスプラッター映画です。 
腕は飛ぶわ、首は飛ぶわ、血飛沫には事かかないわ、 
とにかく、品の無い事、無い事……… 
それでも、市っあんの神業を堪能できる幸せね。 
これみよがしに、10分に1回は味わえます。 

そもそも、まだ役者と呼べるかすら怪しい頃の陣内孝則に、 
狂気のハマリ役を与えて、やらせ放題やってる時点で、 
既にマトモな映画にするつもりなどゼロ。 
あまりに、滅茶苦茶な作りに驚嘆しつつも、 
これが、勝新太郎の豪胆さの現われかと、 
初代とは間逆の位置にまで到達した事に、 
素直に驚くべきなんだろうね。 




まぁ、偉大なブランドですね。 
この主人公像ってのは、 
ちょっと、他には無いだろうね。 
勝新太郎ほどの役者が、 
人生の全てを捧げただけの事はありますよ。 

娯楽路線を貫いた大映は凄いな〜〜

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