四山神社(よつやまじんじゃ)のご案内

神域にある四山古墳(よつやまこふん)は6世紀後半に造られ、虚空蔵菩薩が降臨されたといわれています。延久2年(1070年)菊池氏初代の菊池則隆がお堂を建立しました。
その後慶長10年(1605年)加藤清正が再建し、虚空蔵信仰は益々盛んになり肥後と筑後に広まっていきました。
細川家の所領となり崇敬の念厚く度々お参りされ、九曜の定紋幕を奉納し四山神社の社紋になりました。
明治元年、神仏習合を分離され、虚空蔵尊の徳に相当する造化の三神=(天之御中主神・高御産巣日神・神産巣日神)をおまつりして、四山神社として発足することになりましたが、やはり肥後と筑後のこくんぞさんとして親しまれ春秋の祭には多くの参拝者で賑わっています。
なお虚空蔵さんは丑、寅年生れの守り本尊(御守写真)で、13歳の守護神(13参り)ともいわれ、各地から参拝者が絶えません。
            
綿津見神社(わたつみじんじゃ)(祭日10月下旬)

四山神社の西隣におまつりされているのが、古来大島に住み続けた人々が海運・漁業の守り神として信仰されてきた綿津見神社です。
天慶7年(944年)筑後国神名帳に「大島の神」として公録され、 古墳を築いた人々の時代から信仰されている神社です。
ご祭神は豊玉(とよたま)姫(ひめ)命(みこと)様で竜宮城の乙姫様といったほうが親しみやすいですね。
第一代神武(じんむ)天皇(てんのう)の御祖母様(おばあ様)あたる神様です。
まつりは江戸時代から伝わり、座祭りとして親しまれています。
玄米、白米、酒、魚、餅、野菜、果物の他に当時の御馳走、炊飯米、甘酒、芋煮しめ、座禅豆(大豆を煮たもの)梅干、トサカ(海藻)等をお供えして神様を持て成します。
掛繰りという、女竹でできた当時の水筒(写真)も供えます。
神事が終わると、直会(なおらい)ではお供え物を神様の前で頂き神人饗宴の食事会が行われます。

   
  (よつやまこふん) 

虚空蔵菩薩降臨の地と云われる、神殿玉垣内にある四山古墳は昭和25年5月に初めて調査が行われました。
数々の副葬品と祭祀遺跡が発見され、その歴史的意義と信仰の霊地であったことが明らかになりました。
四山古墳は6世紀後半の頃、海岸の巨石を運んで造営された横口式巨石墳です。出土された金環、勾玉、丸玉、馬具、武器、壺などの土器類を始め副葬品は社務所に保管されています。

   
玉垣御門は平成18年、荒尾市大島出身の学習院長・田島義博氏の奉納です。
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