ゆすらうめ



物心のついた頃から、私の家にはゆすら梅という低木の果樹が植えてあった。
それは山裾の溝の傍に植えてあって、味は甘さより酸っぱさが勝っていた。
けれど時代は食べ物も豊富ではなく、お店も隣村まで行かないと無いので、その実の輝きは宝石ように感じていたし、とても高級な食べ物だと思っていた。
その頃、どの家にも、茱、琵琶、杏子などはあったけれど、十数軒の村の中、我が家だけにしかゆすら梅の木が無かったというのも、私にそう思わせた一つの理由だったのだろう。
高いところの実は兄や姉が採って食べた。
私はいつも手が届く範囲の、低いところのしか採れなかったので、高いところの実がいっそうおいしそうに見えたものだ。
それに丁度木の真下に小さな溝があって、小さなゆすら梅は指の隙間から転がると、必ず流されていってしまう。
私自身も重心を崩してその溝に何度か落ちた。
十粒程を一度に頬張り、器用に口の中に残した種をピュンピュンと飛ばしたり、ゆすら梅のあの時期、あの場所の想い出を紐解けば限りなく懐かしい。

 嫁いで二十年ほど経った頃だった。
実家では、時代の流れにより、畦道や溝がアスファルトやセメントの側溝に変わっていった。ゆすら梅の山裾も、石垣が取り壊され、セメントの擁壁に変更されることになった。
兄は仕方なくゆすら梅の移殖を試してみた。
しかし石垣の間に根を張っていたゆすら梅は、無残な形で引き抜かれ、兄の努力の甲斐もなく、新しい場所に根を張ることはなかった。
先日、田植えを終えて、八十歳の母が骨休めに我が家にやってきて、珍しく連泊していった。
「ほんま、村も変わってなぁ・・・若い人はもう田圃もしてないし、畦も溝もコンクリートやさかい、ホタルもおらへん。ゆすら梅の木もなくなってしもて、ほんま淋しなったわ」
お決まりのコースで昔話が始まり、私はいつものように、話の合間を見計らって相槌を打つ。
〈母も八十歳なんだな・・・〉と、この先の命を数えて、淋しくなった。
連泊ということもあってか、母の話が父にまで及んで花が咲き、普段は思い出すこともないおじいちゃんの姿を瞼に浮かべた。
「あのゆすら梅はなぁ、おとうちゃんが、私がお嫁に来たときに『これを植えといたら子供が喜ぶから』というて植えてくれたったんや」
初めて聞いたゆすら梅の由縁に私は驚いた。「え?あれおじいちゃんが植えたったん?」
「そうや、そやからおとうちゃんには、いつもあのゆすら梅を持っていってあげてたんや」
「そうかぁ・・・そういえばゆすら梅とウナギがおじいちゃんは大好きで、兄ちゃんがウナギを籠で掴まえて、よく持っていってあげてたよね」
母は目尻に涙を溜めて「時代は変わっても、『親想う心に勝る親心』ゆうてな、親の気持ちほどありがたいものはないわ」といった。

まだ見ぬ孫を想って植えてくれたおじいちゃん。
その愛の深さを想うと、あのゆすら梅が枯れてしまったのがとても残念で、切なくなる。
たかがゆすら梅の木の一本ではあるけれど、その木の中に流れている深いおじいちゃんの想いが、食べ物の無かった時代に空腹を満たしてくれ、貧しかった頃の心を支えててくれていた。

今の私も、二人の孫を授かっているけれど、おじいちゃんのような深い愛を注ぐことはできるだろうか? 物がなかった時代は、物の足らないところを愛情で補った。
物が十分な時代になって、愛情の足らないところをとかく物で補ってしまうきらいはないか?
 すぐに玩具などを与えてしまっている自分の胸に問いかける。
子育ての道しるべとして、いつか娘たちにもゆすら梅の木を贈り、おじいちゃんの話を語り伝えたい。