イブキを切って思うこと

我が家にチェーンソーが届いた。
初めて手にするチェーンソーを恐々と手に取る主人。
主人が機械を扱うのがとても苦手だということを、一番良く知っている私は、主人以上に緊張している。
大きくなりすぎたイブキは塀からはみ出るし、根も張るし、考えた末思い切って伐採することにしたのだった。
翌朝、高さ三、五メートルほどの葉の多い茂ったイブキの木を見上げると、いつもよりずいぶん大きく感じ、気迫負けしそうだった。木といえども命が宿っているし、木霊という言葉さえあるほどだ。
「塩でも撒いたほうがええやろか」と、主人は独り言のようにつぶやいた。私はそんなことをしたら尚のこと、気持ちが沈むと感じ、聞こえないふりをして一番手頃な枝を指差した。
「この枝、持っとくから切って」
大きな機械音と共に、枝は見事にドサっと落ちた。主人は上機嫌になり、チェーンソーの音の響きも軽やかになって、その横顔はちょっと男らしい。
次々と切り落としていく度に、蜂の巣がひとつ見つかり、やもりが一匹這い出てきた。そのうえ毛虫はいっぱいわいているし、色んなものを育んできたイブキに驚かされた。

一番太い幹は直径二十センチ余りあり、枝のように簡単には行かなかったけれど、のこぎりで切ることを思うとずいぶん楽な作業だったと思う。
主人は幹を粗大ゴミに出すべく、五十センチ前後に切りそろえ、私は切り落とされた枝を、傍から小さく鋏で切りゴミ袋に入れた。
そんな作業を一時間半ほどしてやっと片付き、ゴミ袋を数えた十七袋もあり、大仕事をした後の充実感に満たされた。
切り株の年輪は生々しく、水のようなヤニが出ていた。
年輪を数えていくと五十以上あり、私が生まれた頃を同じくして、この木も根付いたのかと、記憶の定かでない自分の誕生に想いを馳せた。
私が嫁いできた時に、すでに先住者だったこのイブキは、新築した時にしばらく他所に移し、また帰ってきた。
夫婦喧嘩や嫁姑問題、近隣とのトラブルなどの愚痴も聞きつつ、子供達の「行ってきます」や「ただいま」の声など、黙って見下ろして、私たち家族を見守ってくれていたのに違いない。
「ありがとう、ありがとう」と、年輪を数えながら繰り返した。
寂しい気持ちを払拭するように、広くなったその場所に、さわやかな風と初夏の陽射しが訪れ、額の汗が光る。
「恥ずかしいくらい見通しええな」と主人は笑い、
「おとんが、切ったん?」と、息子は驚きの色を隠せない。
イブキの小さな歴史がピリオドを打ち、私の心に今日の日は思い出となって残り、ちょっぴり主人は偉くなった。
この跡にどんな木を植えようか、子供や孫がまた年輪を数える日がやってくるだろうか。その日のために百回の「ありがとう」を言える木を、植えたいと思う。