2011年(15) 納竿日・師匠を偲ぶ白井川水系釣行記。

ここに一枚の写真があります。

渓秋の渓流釣りの師匠・Sさんと
平成2年11月17日の納竿日に赤井川村の余市川水系白井川の支流の
「轟ガロウ沢川」の釣行写真です。

S師匠は昭和63年にニセコのリゾート開発事業で知り合った土木建設会社の社長さんです。
渓流釣の大ベテランでした。

S師匠は残念ながら本年8月に90歳を目前にしてお亡くなりになりました。
S師匠には渓流釣の極意と沢山の穴場に同行させていただきました。

夜明け前の午前3時から夜中の8時過ぎまで500km超の釣行は
度々で雨が降っても何時も強行が常でした。
70歳にして恐るべき体力でした。

そして、沢山の教えのなかで何よりの宝は「記録は大事だ」と云うことでした。

こうして、ブログ&ホームページなど山釣から沢山の楽しみを得られるのも
二十数年間の記録のおかげなのです。

2011年の納竿日は冬タイヤに履き替えて
S師匠を偲んで白井川水系への単独釣行としました。



平成2年11月17日・余市川水系白井川支流・ガロウ沢川釣行写真。

左から・ガラス工事会社社長のTさん。小生。師匠のSさん。
この日は2か所の渓を巡ったが釣果は芳しくありませんでした。



この渓の源流では、新雪にくっくりと羆の足跡があって驚いた思い出があります。
この三人で道南方面へ泊まり掛けで良く釣行したものです。



当時の釣行スタイルの「帽子・シャツ・ベスト」は今でも毎回愛用している。
メーカー物と云うか昔の品物は良いものだ。



800釣行の未だにほころび一つ無し。
シャツは家族からの誕生プレゼントだった。


森 渓秋


その1・余市川水系白井川を探るの巻。





余市川は札幌市と赤井川村に接する標高1,488mの余市岳を源とし真西に流れ下り都地区より真北に流れ石狩湾に注ぐ流程60kmの大河。
多数の支流をもつが明治地区より真南に分岐する白井川は本流と二分する大きな支流である。

本流の余市川は銀山地区に灌漑用の低い堰堤があるが魚道があり渓魚の遡上は出来る。
余市川より分かれ新国道に沿って6kmで轟林道に入り渓は直角に真東に折れて4kmでゲイトに到達する。

このゲイトは森林管理署では入林許可を出さない開かずのゲイトである。
渓はここからが源流域で1.5kmで三つ渓に分かれ更に五つの沢川に分かれ更に6km登って標高1,197mの美比内山と余市岳を結ぶ稜線に至る。

渓秋はこの白井川本流は初釣行である。

昭和57年の釣誌の情報をたよりにゲイトより下流の4kmに架かる四つの橋を足掛かりに探る。
ゲイトまでがヤマベ場で源流域はイワナとオショロコマの宝庫とある。
しかし、羆の出没が激しいので単独行は厳に慎むべしともある。

開かずのゲイトに到着。

気温-2℃・水温4℃、快晴無風。
文字通りの小春日和で「いつもの坊主」の不安が過ぎる
ゲイト直下は切り立った崖。

少し下がって錦盛橋より入る。

水量は多く清冽な流れだ。
少し増水したら渡渉は困難か?。
上流は水深のある瀞場の連続だが魚影はまったく無し。
錦盛橋の下流域は荒場の連続でしかも、うっすらと滑り苔掛かり遡行が大変だ。

しかも、魚影は全く無し。
更に下って、「雷音の滝」に架かる雷音橋より探る。

上流は滑床で大きな溜りがあるも魚影は全く無し。
上流は滑床の連続で大きな溜りがあるも魚影は全く無し。

雷音橋の直下は大きな滝壺で長竿を出すも足がすくむ。

落ちたら助からないかも。
しかし、魚影は全く無し。
更に下って王盛橋でぶっつけの好場所を発見。

流れに出ると真新しい釣足跡有り。
今度こそ期待が出来ると橋の上下を探るも全く無し。
本流を4kmほど4時間掛けて探るも全く無し。

ここで本流を切り上げる。


その2・轟鉱山(廃鉱)の遺構に寄り道の巻。





今回の釣行に当たり地形図を基に計画を立てていると、白井川林道の中間地点に「轟鉱山・廃鉱」の記号が目に止まる。

果たして何を採掘していたのかと興味を抱きネット検索をすると誠に驚いた。
轟鉱山は明治10年に「金・銀」国内屈指の鉱山として栄え、最盛期は人口が千人余小学校はもとより映画館もあったとのこと。

鉱脈の枯渇と昭和37年8月の大水害により90年の歴史を閉じた。
今回の釣行でその遺構を是非探ろうと思い立った。

遺構探る足掛かり。

大水害閉山後に構築されたのだこう。
昭和37年12月完成。

宝盛橋。
地形図にも記されている砂防・取水堤の遺構。

コンクリートが貴重であったのか玉石を積み上げた遺構だった。
旧道小さな沢に架かる玉石を積み上げたアーチ橋の遺構。
旧道の下手の雷音の滝の下流部に架かる「吊り橋」の遺構。
可なり後年のものか?

これは何か? 門衛の遺構かな?。

目に止まったのはこの程度だった。
肝心の坑道跡は深い藪の奥らしく発見出来ず残念。

その3・支流「大石沢川」を探るの巻。

釣誌情報によると大石沢川は落差の激しいイワナの沢とある。
錦盛橋下流より入る流程3kmの小沢なり。

沢は釣誌の情報通り落差のある荒い沢だ。

入渓早々に小さな魚影を発見期待が高まる。
遡行すること数百メートルで地形図に無い砂防ダムが出現。

ダム下まで魚影なし。
砂防ダムを越えて見ると。

御覧の通り。

砂防ダムの構築で渓は埋まって平瀬に。
少し上流を探るも平瀬続き。

ここに何故砂防ダムが必要だったのかと首かしげたくなる。


その4・師匠Sさんを偲んで支流「轟ガロウ沢川」の巻。

白井川が轟林道に沿って直角に東進する付け根から真南に伸びるのが轟ガロウ沢川である。流程は僅かに3km。
上流三つに枝分かれする沢川であ。

平成2年に初めて釣行した頃は本流を跨ぐ橋からこの沢川に沿って林道があり中流域で沢川を跨ぐ大きな土管の橋があり源流に至っていた。
この土管の橋から上流は笹被りで砂利床の優しい流れだがイワナが棲息。
下流域は大岩の連続で落差のある流れでイワナの魚影が濃い。

更に下ると小さなプールに続いて砂防ダムがあった。
この渓は平成5年まで数度釣行したがイワナのサイズはは何時も「泣き尺」(30cmに僅かに足りないの意味)だった。

この渓から足が遠のいたのは、この先の峠を越えて倶知安に抜ける新国道の建設工事が始まりダンプカーが林道狭しと走り回り、渓の趣が一転してしまったからだ。

当時は白井川を跨ぐ新橋と源流部から峠越えの2kmのトンネル工事が開始された頃だった。
あれから二十年で新国道は開通した。

最後の釣行はダンプカーを避けて、白井川が直角に東進する付け根から5m程の砂防ダム越えで入渓した。

川幅は広く両岸は3m位切り立っていて玉石床で流れはチャラ瀬だった。
ダムの手前で尺ヤマベと思しき大物が背びれを立て逃げ回るのを手づかみしようと追っかけたがダム下の深みに消えた思い出がある。


新国道の大橋から直角に東進する白井川を望む。

左手から轟ガロウ沢川が流れ込む。
旧林道は最新版の地形図には無く、付近を探るもその形跡もなし。

しかたなく、新大橋の袂より50mの法面を下って合流点に至る。
本流直下に架かる林道の橋は健在で「轟滝の沢川」は昔のままの渓相が守られいる。
白井川が直角に曲がるぶっつけ場所。

左手より轟ガロウの沢川が合流する。
このぶっつけに渓の番人のように覆いかぶさる大木・ニレの大木か?

轟ガロウの沢の入り口に立つ。

昔の渓相とは一変している。
川幅は狭く。
やや落差のある細流だ。

両岸は低くて覆い被さる木々も少ないか?

最低でも砂防ダムを見て帰ろうと竿を出す。
しかし、水量・水深・落ち込みが無く魚信が全くなし。

すつかり変相した渓を嘆きつつ遡行する。
やっと小さな落ち込みを見付ける。
ここでビンコ・ヤマベを二匹。

更に進むと渓は記憶にないほど左に大きく曲がる。

その先ご覧の通りの渓相だ。
魚影はヤマベ二匹以外まったく無し。
地形図ては僅か400mの位置にある砂防ダム見えない。
不思議だかかってはこの源流で羆の足跡もあったことだし、初冬の陽はすでに傾いてきて日暮れも近い。

いざ退避する林道もなし、こんなに渓相が一変していては単独ではと不安が過ぎる。

ここで切り上げを決意。
次回ベストシーズンに釣兄と再チャレンジだ。

師匠を偲んで。

北桧山・真駒内川・熊戻りの沢にて。
オロフレ峠・パンケ川にて。
蘭越・南部川にて。
ニセコ・ジャコ川にて。


2011年の山釣りも最後の季節となりました。
一年間稚拙にホームページを閲覧いただき誠に感謝に堪えません。

年末までに「渓秋の工房」編を編集予定です。
是非ご覧ください。

昨年より二十日遅れの初雪10cmを眺めつつ........工房より。



最近見たテレビで東北の棒タラを出汁にした「すいとん」の料理がありました。
「イワナの冬葉(トバ)の出汁」すいとん汁を作りました。

出汁が効いて体が温まり日本酒に最高の肴でした。
ご馳走さまでした。