シゲチャン日誌・2011年8月

2011年8月2日

 この前、オニギリを持ってココ(カミさん)と野付半島に行ってきた。目的は石拾い。石に写真をコラージュするアイデアがふと浮かんだからだ。野付の海は波も荒いが風も強い。時おりテトラポッドに打ち砕かれた波しぶきを浴びながら、まんじゅうのような丸い石を見つけてはダンボール箱に入れる。
 石を拾いながら映画の「無能の人」を思い出す。伝説の漫画家つげ義春の原作で、売れない漫画家を演じる竹中直人が、生活の為とて河原の石を拾って売る場面があるのだ。河原の小さな掘っ建て小屋に石を並べ日がな一日客を待つが、すぐそばに落ちていた石なぞ買う物好きなぞあろうはずもない。まさに無能の人で、実に切ない映画だった。ボクも、あの線か・・・と苦笑いしながら石を拾う。
 でも、いいなあー地の果て野付半島の荒涼たる風景は。道東で一番好きなところだ。



2011年8月5日

 8月生まれだけど暑い夏はイヤだ。若い時に常夏のグアム島に行った時のことだ。泊まったホテルで庭を掃除するオジさんがいて、このオジさん身体の具合いでも悪いんじゃないのかと思えるぐらい動きがスローである。10分ほどホウキで掃いては、ヤシの木陰に逃げ込んではひと休み。動き出したと思ったら、また木陰でひと休みと、そんなことを繰り返している。全く南の人って、えらい怠け者なんだなと思ったけれど、数日滞在してみて、当然と気づく。彼らは、日中ジーッとして、動き出すのは夕陽が沈みかけて涼しくなってからだ。それにひきかえ、我々日本人の観光客など、よりによって一番陽射しの強い時に砂浜に出て泳いだり、名所巡りなど汗だくとなって強行する。きっと現地の人間から見れば、日本人って頭がおかしいのでは?と陰で笑っていることだろうな。彼らの方が真っ当だ。
 まぁー暑さもお盆までで、もう少しのしんぼう。



石にコラージュを施した作品
何の気なしに、石でこんなモノを作ってみた。これが意外や面白く、この冬にもっと大量に作ってみようかと思い立ち、石を求めて野付半島へ。



2011年8月12日

 朝、髭をそっていたら眉毛に白髪が数本。待望の白髪である。頭の方は、ほとんど荒野だが・・・サイドは白髪で、髭も白い。眉毛だけが、借り物みたいに黒々としていたので、やはり、髪・眉・髭ともに白で統一された方がバランスが良いのでは?と思っていたのである。しかし?そうなれば、誰が見たとて完璧なジイ様だ。と、すると、そこから人生の最終コーナーへの助走が始まるということである。???どうやら、そういうことだ。


タヌキのトッタン画
タヌキって動きがトロい。そこがまた可愛い。



2011年8月30日

 久し振りにディジュリドゥー奏者のガリー・トーマスのCDを聴く。たまに彼の曲を聴かないと日々の雑事に流されてしまう。このディジュリドゥーは、オーストラリア先住民アボリジニの楽器で、巨大な日本の尺八みたいなものである。
 ふつう西洋音楽の楽器で演奏すると、音が宙を浮遊するかのようであるが、このディジュリドゥーの音は、まるで地を這うかのようであり、地響きのようでもある。ボクにはその音が、宇宙に地球が誕生し、現代に至るまでの長い歴史の中で、地に埋もれ堆積された岩石・土・昆虫・鳥・魚・植物はおろか人類・恐竜・動物などを含めたあらゆる生き物達の地の底からのうめき声と雄叫びのように聴こえてきて仕方ない。それは地球のお経であり、鎮魂と祈りのようでもある。
 ボクが、流木などで作品を作る時にも、素材に対して鎮魂と祈りにも似た思いを込めているつもりなので、ことさらガリー・トーマスの演奏に共鳴するのかもしれない。



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