シゲチャン日誌・2010年10月

2010年10月1日

 台所で料理をしていると、うしろでドタッという音がした。サバ(飼いネコ)が、高さ1・7メートルの食器ダンスの上から落ちたのだ。週に一度、ボクがスパゲッティを作る日で台所に立つと、決まってサバはタンスの上に上がってくる。そして、いつものごとくゴロンと横になってウネウネ身体をよじらせては遊んでくれと要求する。さきほどまで、ほんの片手間に相手をしていたが、鍋の湯が煮立ってきたので、いつまでも遊んではいられない。次にやることがある。それでもなお、サバはウネウネし続け、タンスから半分身を乗り出したまま勢いあまって落っこちてしまったのである。全く情けない。これでネコといえるのか。今までにも、何度もこのようにして落ちたことがあり、反省ということを知らないのだ。
 今回は、変な落ち方をして捻挫したらしく、右手をヒョコタン・ヒョコタンと引きずりながら、自分のベッドへ戻り、静かになった。大分ショックを受けたらしい。



ナナカマドの実
秋の空に、たわわに実るナナカマド。ナナカマドの赤い実を見ると写欲がわく。北国に陽気なラテン系の色味と風が吹いているようで好きなのだ。



2010年10月8日

 この半年ほど、作家・政治家・思想家・評論家などによる日本の縄文文化や昭和史などの本を読み漁り、頭がパンパンとなる。ガラにもなく、これから先の世相を案じ、ここいらで昔を振り返り、そこに何かヒントがあるまいか?と、気になる本を物色し、むさぼるように読んだが、年号・人名・地名が続々と出てくるので頭の中がこんがらがってくる。どうも・・・よそ行きの頭で勉強している感じとなり、軟弱な脳をフル回転させたものだから、左目あたりがピクピクと痙攣を起こす始末。そもそも、人様から何かヒントを得ようとすること事態、動機が不純なのであった。
 「これではイカン。もっと感覚的で日常的なものを・・・」と、武田百合子の「富士日記」上・中・下巻に切り替えた。しんどい長旅から我が家に帰ってきたような、ホッと一息つける本である。夫であり、戦後文学の代表的な作家武田泰淳との富士山麓にある山小屋での二人の日々の暮らしをつづった日記である。富士山麓は、今ボクが暮らす相生と気候や自然環境に類似点が多く、これらの話も楽しい。ところが、淡々とつづる中に、時としてやたら鋭い言葉が散りばめられており、ボクの胸をグサッと刺す。その衝撃は、いったん本を閉じてしまうほど胸に染み入る。笑えるし、泣けるし、凄い書き手である。なんせ、作家としての目線が尋常ではない。これまでも、彼女の「ことばの食卓」「犬が星を見た」「遊覧日記」「日日雑記」を読んできたが、これからも何度か読み返すことになりそうな本ばかりである。
 やはり、時代がどうのこうのより、個人的な感性で訴えかけてくるものの方が、ボクのレーダーに引っかがってくるようで、脳の方も生き生きと反応するようだ。左目の痙攣は消えた。


スケッチブックのマンガ
シゲチャンランドのホームページ上で、かようなマンガを掲載してます。



2010年10月23日

 今年はテントウ虫が少ない。例年ならば、ランドめがけ大量に飛来してきたのだが、一体どういうことだ?別に期待しているわけではない。テントウ虫の退治と掃除に費やす時間と体力は途方もない労苦をしいられる。そんなわけで、神でも仏でも、タクワンのシッポまで感謝したい気分だ。
 今年は夏ゼミもハチも驚くほど少なかった。やはり、昆虫の世界も十年に一度というサイクルがあるのだろうか。テントウ虫が少ないのは助かるが・・・何か狐にだまされているかのようで薄気味悪い。


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