シゲチャン日誌・2010年7月

2010年7月8日

 昔から、夏にはからきし弱い。苦手だ。今日は、ランドも休みとあって家の中でだらだら過ごしたい。いま読みかけている野坂昭如の 「妄想老人日記」を読みたいところだが、日の高いうちから読む気もしない。
 そこで、昨日あるスーパーで見つけたパンツの直しをすることにした。これから本格的な夏を迎えるので薄手のパンツが欲しかったのだ。バーゲンの500円に釣られて買ったこのパンツ。よく、夏になるとジイさんがパークゴルフや花の手入れの時にはくようなペラペラのパンツで、若者向けだとイージーパンツというような・・・実にあいまいなパンツなのである。
 ところが、この手の物には、誰が喜ぶのか知らないがポケットの横にワンポイントの刺繍がしてある。これが、ボクには気に入らない。恥ずかしい。このワンポイントの刺繍なるもの「私は、老人である」と世の中に公言して歩くようなものだ。車でいえば、紅葉マークのステッカーと同類である。何が何でも、この刺繍を取り去らねばならぬ。老眼鏡をかけ、鋭いカッターナイフでチクチクと一本・一本の糸を切り、トゲ抜きの道具で切った糸を引き抜いていく。一時間ほどを費やした末、あのワンポイントがきれいさっぱり消え去れば、何ともいえない達成感と充足感が込み上げてくる。
 よーし、次はココ(カミさん)のゴム長靴の裂けたところを修理しよう。何とも、地味な一日。


ユーロビートのジャケット作品
10数年前、ユーロビートというダンス音楽のジャケットを40枚ほどシリーズで制作していた。これは、その中の懐かしい一枚。



2010年7月15日

 全国的に一部の都市を除き過疎化が進んでいるようであるが、この山里の相生とて例外ではない。後継ぎのいない年老いた農家は離農し街に引っ越すか、又は他界し、主を失った家や倉庫などは空き家としてその地に残る。
 人が住まなくなると一・二年ほどで、その景観は激変する。長年その家族が住み、庭や道を歩き、車が出入りすることで踏み固められた地面には草と木が伸び放題となる。やがて、その雑草と木々が建物を飲み込むように生い茂り、屋根と一部の壁面だけを残し建物が消えていく。まさに、草や木の成長ぶりはすさまじく、人の手が及ばなくなると、あっという間に原野へと戻る。
 百数十年前に、北海道の開拓の歴史が始まり、先人たちが原野を切り開いてきたこの北海道ではあるが、急速に進むこの過疎化も、考えようによっては、開拓以前の姿に戻っていくということなのか。ところが、東京・大阪などの大都市では、海にゴミを埋め立て、その陸地を海へ海へと延ばし続けている。この両極端な現象の先には、何が待っているのだろうか?と、オジさんは呆然と空を仰ぐ。


クルミを板に埋め込んだ作品
古民家の居間の板をベースに、ランドで採集したクルミを埋め込んだ作。



2010年7月30日

 4月1日の、この紙上でドアーに親指をはさみ指の尖端を剥離骨折したと書いた。その後、4ヵ月が経過して日常生活には支障がないほどまで回復した。
 ところが、爪の表面が妙なことになっている。爪の上半分が、白い付け爪を付けたように盛り上がっているのだ。これは、ドアーにはさんだ衝撃で、爪全体が一種の死に体(?)となり、爪の生え際からトコロテン方式に少しずつ押し出されたものなのである。そして、付け根からはきれいなピンクの爪が、今や遅しと再生し続けているのだ。爪の表面が、紅白に染まって誠にメデタイ。いくら還暦を過ぎた老体とはいえども、まだ治癒力が残っている証拠であり、感動することしきりである。「まだ、生きよ!!」と爪が云う。



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