シゲチャン日誌・2010年4月

2010年4月1日

 玄関のドアーに右手の親指をはさみ、かなり出血する。病院に行き、レントゲンによる検査の結果、指先の剥離骨折と診断される。痛みはあまり感じないのだが、爪がペラペラして今にもはがれそうだし、指先の肉が潰れてしまったので、大きな傷口が数本パックリと開いている、まるで棒状の裂けるチーズのごとくで、少し引っ張ればボロボロに千切れてしまいそうなあんばいだ。ナイフなどでスパッと切った傷口とは違って、完治するまでは時間がかかりそうである。 
 5月1日のランドオープンに向けて、一番忙しい時なのに何たる失態であることか。



トッタン画
この冬に作ったトッタン画。車で走っていると、このような農家の建物をよく見かける。



2010年4月5日

 やはり、指のケガは長引きそうだ。4日続けて病院通いをし、化膿止めの点滴を受ける。自宅で何とか処置しようと思っていたのは甘かったようである。痛みに鈍感なのだ。
 若い頃にも、2階の階段から足を踏みはずして、階下まで落ち壁に手を突く。指はみるみる腫れあがったが、単なる突き指だと思っていた。ところが、数日して机の角にその指が触れた時、こともあろうか?指が左右にカクカクと曲がるので、念のため病院に行くと「大西さん骨折してますよ」と診断され驚いたことがある。
 かようなまでに、痛みに対して非常に鈍い。そのくせ、背中などに小さな湿疹が出ようものならば、痒くてたまらず、ひんぱんに軟膏を塗りまくる。どうも痛みの基準が、人とは多少ずれているような気がする。


アサリ温泉
アサリ温泉の図。気持ち良さそうに頭にタオルを乗っけて浪曲を唸るアサリもいる。朝食の時、アサリのミソ汁をジィーッと見ていたら、こんな情景が浮かんできた。



2010年4月22日
 今から48年前、1962年頃の北海道の暮らしぶりを紹介するビデオを知人から借りて見た。小樽の鰊御殿・別海のパイロットファームの入植。釧路・根室漁港などの風景と、そこで暮らす人々の生活。
 年寄りが、よく口にする「昔は、良かった・・・」ではないが、「昔の方がいい。絶対によかった!!」と実感する。ずばり、道産子が生きていた。いつ頃から道産子の姿が消えてしまったのであろうか?そりゃあー北海道で生まれたなら道産子と言えるが、違うのだ。自然と立ち向かい、その気力を含め顔つきと表情が違うのだ。生き生きしていて力強く逞しい。やはり、テレビの影響なのか。テレビが全国的に普及し画一化が進む。都会生活への憧れが地方色を失わせる。つまり、東京オリンピックを境に、トカゲのしっぽが切れるごとく道産子が消えたとみるが・・・どうだろう。
 話を進めよう。この ビデオで圧巻だったのは釧路港における遠洋漁業のシーンだ。漁船団に乗り込んだ男衆を家族総出で見送り、紙テープで別れを惜しむ。さながら、その紙テープが男衆と家族の絆を象徴するかのようないい光景である。漁を終えた漁船団が港へ帰ってくると、再び家族らが晴れやかな笑顔で出迎える。夫が稼ぎ頭で、一家の生活をささえているのが子供の目にも理解できる。魚を水揚げし、浜でさばく。浜は、人の熱気でむせかえり、祭のクライマックスのごとく活気に溢れる。
 今はどうだろう。合理化と経済性から機械化がすすみ、働く人の姿もまばらで、機械が主役だ。風景が寒々しい。確かに経済的には昔と比較しても格段に上がったのであろう。しかし、人が主役の風景には活気が溢れ、人々もそれにつられて血が騒ぎ、胸が踊る。港が、街が、畑が息づく。ハイテクもいいが、せめてローテクぐらいの方が、ころ合いが良かったのはないのか。ボクも含め、失って初めてそのことに気づく。人間とは、やはり愚かな生き物なのだと思う。


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