シゲチャン日誌・2008年10月

2008年10月4日

 ランドに黄・赤・黒の雪が降る。いや、雪じゃなかった・・・テントウ虫だ。「また、テントウ虫の話かい?」と言われそうだが、頭の中はテントウ虫漬けなのだから仕方がない。市街地に住む人には、ちょっと想像しにくいことかもしれないが、まるで雪が降るがごとく大量のテントウ虫が越冬するためランドに飛んでくるのだから堪ったものではない。
 昨年の今ごろ、ランドを数日臨休し、私用で東京へ行ってきた。その滞在中にも、そろそろ奴らが飛んでくるころか?それとも、天敵であるオヤジの居ぬ間にとばかり、喜び勇んで奴らは大襲来しているのではないのか?などと、気になってしょうがなかった。全く、始末に負えない性格だと自分でも思う。相生に帰ってきて、恐る恐るランドに行ってみたならば、意外なことに館内へ潜り込んだ量が少なかったので、かえって驚き「この世には、神も仏もいる」と狂喜する。
 だから今年もひょっとして?と淡い期待を抱いたのであるけれど・・・甘かった。昨年の埋め合わせだとばかり、倍々になって飛んできたではないか。今年のランド名物「秋のテントウ虫祭り」は、長いこと賑わいそうな気配である。



フットハウス
秋のナナカマド。よく晴れた秋空に真っ赤に実るナナカマドを見ると写真を撮られずにはいられなくなる。24枚撮りのフィルムを必ず2本は撮ってしまう。



2008年10月7日

 我家の目の前の風景が一日で激変した。12年前に東京から移ってきたころは、一面にカラ松林が壁のごとくそびえ立ち、日中でさえ光をさえぎり薄暗かった。それが、造林業者のブルドーザーなどが入り、伐採作業を始めたところ、千坪ほどのカラ松林がたったの一日で平地となる。植林して40年と聞くが、その年月に比べ、切ってしまうのは一瞬の出来事である。
 伐採の前は、ひっそりと森に暮らすという雰囲気であったが、いざ伐採が終われば、まっさらな荒野となり、山奥で造材する切り出し現場にでも越してきたようで、面食らうばかりだ。
 森での生活に憧れる都会人は多い。広葉樹の森ならともかく、植林したカラ松林は実際に住んでみると生活する上では色々と問題が多いものだ。
 落葉した葉っぱが屋根に積もれば、屋根の痛みが早い。家に日光が当らないので湿気が多く、じめじめして虫も多い。革製の衣類や靴などはカビが生え、洗濯物の乾きが悪い。これらの問題点は、12年間暮らしてみて初めて気付いた事であるが、カラ松林のすぐそばに家を建てるものではない。後悔は後から追っ掛けてくる。しかし、この伐採により、家の寿命は5年ぐらい延びることであろう。
 今、我家はかつてはなかった日差しを浴び、土の中から出てきたモグラのごとく目をしばたき、びっくり仰天しておる。なに、ボクとてこの強烈な明るさが妙に照れ臭い。


カラスの親子

トタンを切って作った防寒用帽子の作品。
「北の暮らしシリーズ」の1点で、この手の帽子を4つほど持っていて、大寒のころは必需品である。



2008年10月27日

 山田風太郎の「あと千回の晩飯」を読み返している。前にも読んだことのある本なのだけれど、近ごろの作家で読みたくなる本に出合わないからだ。そんなわけで、家のタンスに山と積んだ本の中から引っ張り出しては再読することとなる。
 内田百けい(注:「けい」は門構えに月)・山口瞳・山本夏彦・深沢七郎・色川武大と皆すでに他界している作家たちばかりである。だから、いくら待ったとて、新作は出ない。生きている作家では、赤瀬川原平と中野翠ぐらいか。やはり、老境に入り何でもない身辺雑事を淡々と語るものに味わいを感じ、老いをユーモアで切り抜けるあたりのものが面白い。近ごろの中高年の作家は、素敵な親父さま像の受け狙いで、足元が何やら怪し気だし・・・弱ったものだ。


LAND TOP