シゲチャン日誌・2006年2月

2006年2月2

 朝起きて窓の外を見ると、白熊が消えていた。いや、白熊を飼っていたわけではない。家の庭にある木の枝に雪が溜まり、それがどう・・・誰が見ようが白熊としかいいようのない形で固まっていたのだが、ついに足下からくずれてしまい、ただの雪だるまになっていたのである。
 昨年末に湿った雪が降り、その後厳しく冷え込む日々が続く。家の森の樹々の枝には、雪が綿菓子のように長いことへばりつき、やがて気温の変化で、熊やウサギ、クジラ、ナマコなどに変身しだす。晴れ渡った日など、それらの動物たちが青空にくっきりと白く浮かびあがり、あたり一面は、まるで空中に浮かぶ動物園がやってきたかのように賑やかとなる。
 毎朝コーヒーを飲みながら「今日も白熊は元気か?さて、クジラは・・・」と、この空中動物園を眺めるのが日課となっていたのである。時として、自然というものはこのようなイタズラをしては、ボクの目を楽しませてくれるのだ。


今春のシゲチャンランドに展示する新作群。カエルの鈴なり、レコードの鈴なりと、鈴なりシリーズで作業場はパンク寸前だ。



2006年2月10日

 羽を束ごとむしり取られるようなニュースが耳に飛び込んできた。いやぁ・・・カメラの話ですが。
 あの世界のニコンが、フィルムカメラ2種を残してデジタルカメラの世界に移行。近年、コニカミノルタが経営統合し再生を図っていた矢先、フィルムとカメラ事業から撤退。そこへ追い打ちをかけるかのように富士フイルムも2、3割の人員とフィルムの生産をカットするというのだ。残されたものといえば、デジタルカメラの一本道である。フィルムの運命は風前のともしびなのか。フィルムを常用するボクにとって、これは食卓のテーブルに茶わんと皿がドォ〜ンと並び、肝心のごはんとおかずは、ほんのわずか死なない程度にそっと器にもられるようなものだ。いくら利益優先の商売だからといって、各メーカーがこれまで山ほど作ってきたカメラやフィルムに対して愛はなかったのか!!そんな簡単にポイ!と捨てられるものなのか?「新宿の女」じゃあないんだぞ!!(古いか?)このことは、カメラの世界に限ったことではなく、常に全てが右へならえという風潮が根強い、こんな幅のない日本が、あー嫌いだ。


ヘ〜イ、セニョール。むかし東京で空腹時にテキーラを立て続けに一気飲みし、グラスを持ったまま後頭部から倒れたことがある。



2006年2月27日

 家の脇を流れているホロカマハシリ川に倒れていた木を作業場に持ち込んで作品づくりをしている。体長4メートル弱の妙な奴で、しっぽがやたら長い新種のエイリアンのようである。全体像はほぼ見えているが、肝心要の顔の部分がいまいちしっくりとこない。「人形は顔が命」と森光子もいっているくらいだからね。
 口元に何か欲しいと思っていたところ、以前に歯医者で上3本の入れ歯を新しいものに作りかえた時、家に持ち帰った古いのがあったのを思い出す。それを仮にはめ込んでみたところ、これが実にドン・ピシャ!ときて、顔が急にイキイキとして迫力も出てきたのだ。まさか、ここで役立つとは思いもよらなかった。
 入れ歯とはいえ、己の身体の一部を作品に移植するというのは今回が初めてのことであるが、何か、ずっしりと重いものを他人に提供したような妙な感覚に陥り、しばらくは作品の前に座り込んで動くことができなくなってしまったのである。


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