シゲチャン日誌・2006年8月

2006年8月2日

 最近読んで面白かった本が2冊ある。まず1冊目は、漫画家東海林さだおの「もっとコロッケな日本語を」だ。文章も読みやすく小学生でもスラスラ読めるだろう。ところが、この読みやすく入りやすいというのが曲者で、笑いながら読み飛ばしてしまいそうなところに、彼一流の鋭い視点と思考を忍び込ませているので油断がならない。読み進むうちに、グイグイと東海林さだおワールドに引き込まれていく。例えば、道端に転がっているありふれた石コロをダイアモンドに仕上げてしまうような見事さがあり、噺家の話芸ならぬ文芸に酔う。名人芸です。
 2冊目は、小説家森茉莉の「ベスト・オブ・ドッキリチャンネル」だ。明治の文豪森鴎外の長女である。すでに故人であるが、これぞ元祖不思議少女、いや不思議オバさんだ。内容は、テレビ番組評など含み、著名人を直球でバッタバッタと三振に打ちとるような実に爽快な快著。森茉莉の目の網膜には、凡人が持ちえない特殊なフィルターが張りついていて、世間や人々を見ている。その感性についていくのがやっとで、ボクの脳はグチャグチャに攪乱されっぱなしであるが、お茶目で可愛いところがある。まあ、正真正銘の変人で、もし、身近で付き合う羽目になったら、きっと逃げ出してしまうだろう。でも、好き。


大西青年

ドラム缶の横でポーズをとる若き日のボク。無国籍な風景に出合うと、すぐこのようにポーズをとりまくっていた。喝!



2006年8月16

 今でも忘れられないカルチャーショックを受けたことがある。それは高校を卒業して横浜郵便局に就職した時のことだ。全国から高校を卒業したての若者が、この横浜郵便局に集まってきた。その中に、川崎出身で、当時流行のファッション、アイビー・ルックでビシッ!と決めた菱沼君がいた。田舎出のボクには、いかにも都会育ちのオーラを発つ彼がまぶしすぎて、近寄りがたいものを感じずにはいられなかった。受けたショックとは、そのことではない。
 それは、仕事の合間か何かの時、彼から発せられたひと言であった。「郵便局に入ったのは、定年まで勤めれば、恩給と年金が貰え、毎日が貯金しているようなものじゃん!!」ときっぱり言い切ったのである。これには、天地が引っくり返るほど驚いた。ボクが横浜を選んだのは、そのころ日活映画のスター小林旭や赤木圭一郎が、映画の中で横浜港に立ち、上着を肩に引っかけ鉄柵に片足をかけるポーズを見ては、何度もシビレていたのだ。「ボクも、いつか横浜港で同じポーズを決めてみたい!!」と実に子供っぽい夢と憧れを持っていたからである。同じ18才で、定年だの年金だのと考えている奴がいたとは・・・。世間は広いものだと痛感する。
 その3ヵ月後に、僕は郵便局を退職した。菱沼君が、彼の宣言通り勤め続けていれば、そろそろ定年を迎えるころであるが、一体どうしているのだろうか。


笑う梅組
笑う梅組。10数年前の作であるが、現在のウキガエルなどの元祖である。



2006年8月22日

 道に迷いランドに入ってきたのが、ボストンからやってきたノーベル賞を受賞した生物学者の利根川進さんご一家だったからビックリ。そして、ボクが東京で仕事をしていたころ、雑誌「ナンバー」からコンピュータ・グラフィックス(以下CG)で表紙を作る依頼があったのだが、何せ、初めての試みであり、CG事情に詳しいNHKのディレクターの方に相談に行った。その時のディレクターが奥さんだったものだから2度ビックリ。偶然とはいえ、こんな山奥で24年ぶりの再会があろうとは・・・。人間、生きていると何があるか分からん。



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