シゲチャン日誌・2005年11月

2005年11月2

 今年のランドも無事に閉館し、冬ごもりのための後片付けをする。戸外に設置してあった大小の作品などを室内にしまったり、各展示館を血管のように張りめぐらした旗を降ろす。オープン時には、赤・黄・青と色鮮かだった旗も5年間風雨にさらされてきたので、色落ちも激しく、ボロボロとなる。が、これはこれで、ランドの歴史を物語るものなので愛着がある。いつぞや、この美しい旗 (?)を見て「これ、洗濯物を干しているの?」と、ほざくガキがいて、これには「蹴飛ばしたろうかっ!!」と、思わずカッ!!ときた。何とデリカシーに欠けるガキであろうか。
 こんなボロ旗ではあるが、夏の強い日射しの時など「また、これでかなり色があせてしまうなぁー」と気をもみ、風の強い日や台風が来れば「もうーボロボロに千切れて飛び散ってしまうのではないか?」と、それはそれは日々気にかけている可愛い可愛いやつらなのである。「今年もご苦労さん」と感謝を込めて、からんだ旗を一本一本ほぐし、納屋におさめる。


東銀座の歌舞伎座の前でテスト撮り、凄い描写力。
35mmフルサイズで世界最小のカメラ「ミノックス35」を東京滞在中に購入す。



2005年11月5日

 想いは必ず叶うものだ。シゲチャンランドを始めるにあたって、ぜひ、観てもらいたいと心密かに思っていた編集者・アーティストが3人いた。それは、都築響一・大竹伸朗・横尾忠則の3氏である。都築響一さんは、3年前にNHKの番組「美と出合う」で取材に来てくれた。
 今日はあの大竹伸朗である。そう、ランドを観たいと来てくれたのだ。彼とは、25年ほど前に、東京でひょんなことから知り合い数回会ったことがある。80年代に、ニューペィンテングの旗手として美術界に華々しくデビューし、今日まで次々と衝撃的な作品を発表し続け、そのエネルギー・才能たるや近年たぐい稀なる怪物である。ゴミや海からの漂流物を素材とした作品が多々あり、ボクのやりたい方向と重なる部分があったので、常に気になる存在であった。作品を作ったりしている時など、つい、彼に似かよった構想が浮んだり、出来上がってしまいそうなことがよく起る。それでもいいのだが、彼とボクとでは、バックボーンも、才能も、キャラクターも違うのだ。「これは、マズイ!!」。長い葛藤の末に、どうにか「大竹伸朗は大竹伸朗」と結論を出す。やっぱり、人はだませたとして、自分だけはだませないものがあるのだ。微力ながらも、自分は自分なりにコツコツ作って行こうと腹をくくる。大竹伸朗は、ボクにとっての指針であり、反面教師であり、いわば恩人なのだ。
 今日、その巨大なる恩人と肩を並べてランドを案内しているのだと思っただけで、緊張と嬉しさがごちゃ混ぜとなって、心臓がパックン・パックンしてきて、足は地につかず、まるで夢の中での出来事のようである。シゲチャンランドを造って、本当に良かった。


以前にも登場した奴だけど、
冬眠前の顔をドーンとアップで。



2005年11月21日

 先週の1週間ほど、イラストレーションの講義などで東京へ行ってきた。
 電車内や食事の最中に隣り合わせた男どもが「今の経済状況が云々・・・」と、雑誌・テレビ・ネットで得た受け売りの情報話が、いやおうなくボクの耳に飛び込んでくる。己の言葉・考えなど皆無であり、ボクの気持は冷え込むばかりであった。偶然にも、以前から探していた古謝美佐子のCDを見つけ、「天架ける橋」・「童神」を聞いて、何とか1週間を乗り切る。


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